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『さぁ、日本が誇る女神、湖上選手の演技がまもなく始まります!』
今年で小学四年生になる櫻木雪乃が自室で明日の宿題を片づけていると、リビングにあるテレビから、興奮気味に話す男性リポーターの声が聞こえてきた。BGMはリポーター以上に興奮した様子の人々の歓声。
でも雪乃には、何が面白いのかさっぱり分からなかった。テレビの中にいる無数の人たちの声も、冷静に解説する女の人の声もただの雑音にすぎない。
――うるさいなぁ。もうちょっと静かにしてよ。
雪乃は、誰に言われずとも黙々と宿題をこなす。が、それは別に勉強が好きだからでも、雪乃が特別に真面目だからでもない。宿題をやっている時だけは、自分の中にあるよく分からない虚無感を忘れることができた。自分が何かに打ち込んでいると、思いこむことができたからだ。
雪乃は比較的簡単な漢字ドリルをボーっと眺め、手が赴くままに漢字を書いていく。
〈片仮名になっている部分を漢字に直しなさい〉
・ホウ律を学ぶ。
・お菓子を袋にツツむ。
・テストの結果にマン足する。
どれも簡単で、つまんない。
そう思いながらスラスラと漢字を書いていた手が、思わずぴたりと止まる。
・時間をムダにする。
その問いを見た瞬間、雪乃は息が詰まるような感覚と今まで感じたことのない虚無感に襲われた。必死に気付かないようにしてきた事実が、鋭利なナイフとなって胸に突き立てられた気がした。
これは学校から出された宿題。大人たちがわたしたちのために出してくれているものだから、これはきっとわたしにとって大切なことなんだ。
自分自身にそう言い聞かせるが、頭の片隅でもう一人の雪乃が問うてくる。
じゃあ、どうしてわたしはこんなにも胸が躍らないのかな、と。
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