三内丸山遺跡

5/5
前へ
/81ページ
次へ
大型竪穴建物である。こちらのほうが価値があるという説がある。 なにしろ中が広いのだ。 日本一大きいというその建物で、人々は雑魚寝したのだろうか。 雑魚寝はいやだな。と思う。床はなく地べたに寝るなんて 無理だと思う。しんしんと冷えるだろう。 自分は寒がりなので、そんな劣悪な環境は敬遠したい。 それに前述した六本足君だって、そもそも上に昇れなければ 意味がないだろう。 自分は上になんて昇れないし。地面から1メートルの場所に数秒でも留まることさえ、出来るかどうか。 その時あの集落にいたら即ハブかれたと思う。 話しは戻るが六本足君は遊具だったわけではないと思う。 森には天然のアスレチックの宝庫だし。わざわざ作る必要はないだろう。 過酷な自然のなかで、幅1メートルの大木に よじ昇ることなど朝飯前で、寒い地べたの家も大丈夫な縄文時代の方々に 深く尊敬を抱くことしか出来ない。それにああいった建造物を、人力だけで 作り上げたことに、とにかく、すごいなと思う。グレイト! 縄文時代。 かなり長い間が縄文時代。 その晩期の5900年前から4200年前に、この三内丸山遺跡は 大きく発展したのだという。方々は食料のため団栗を栽培したという。 あの団栗だった。 1700年も幅があるし、その前も縄文時代は延々とさかのぼれるし もう、ついていけない……   ※どんぐりについては「みかん きんかん 観覧車」を参照されたし
/81ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加