第1章/猫又男子のお仕事探し

46/59

67人が本棚に入れています
本棚に追加
/62ページ
「逃げるのか? この会社から。多少辛いからって現実から逃げていると、今後の君の人生に絶対よくない。こちらに来なさい。私が社会というものを教えてやる――」  その時。  電話が鳴り響く。社長あての内線だ。 「……井ノ中。そこに待っていろ」  勢いをくじかれ、苦々しい顔をして社長が受話器を耳にあてる。  その瞬間、彼の表情が固まり――見る間に顔が青ざめ、視線が泳ぎ始めた。 「――はい。わかりました。はい。ええ、それでは失礼いたします」  受話器を置いた社長はじっと沈黙していた。先ほどまでの威勢がない。  小さな声でうめくように彼は言葉をつぶやいた。 「井ノ中、帰れ」 「えっ」 「いいから、帰りなさい。もう来なくてもいいから」 「え、えええ、え?」  突然の猫なで声。 「辞表を受け取っていただけるということでよろしいでしょうか」 「いいから。うん。君の気持ちはわかったから。……後の話し合いは、ちゃんと受けるから」  私はタイムカードをかしゃりと打刻する。 「お、お疲れさまでした……!」  深々と挨拶して、私は明るいうちに、会社を後にした。
/62ページ

最初のコメントを投稿しよう!

67人が本棚に入れています
本棚に追加