第二章 ライヴァン・コーデォニアル

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「ららららイヴァン?」  ずいぶんと浮かれた名前だなと突っ込むのも忘れてライヴァンは貴公子然とリアーネの体勢(たいせい)を立て直させた。ぐいっと上に持ち上げられちょっと痛かったリアーネである。  それからライヴァンはさりげなく男の手を外させると、同じくぽかんとライヴァンを見ている間抜け面の王子を無視した。  それから貴公子の名にふさわしい甘い笑みを浮かべて、 「ここにいたのか。探したじゃないか」 とリアーネの腰に手をまわし回れ右をさせてエスコートに見せかけた連れ去りに及んだ。   リアーネが初めて見るライヴァンの社交的な笑みに呆気(あっけ)にとられている間に、会場から連れ出していたのだった。  手近な控室にリアーネを引きずるように押し込んだライヴァンは、さきほどの社交仮面が嘘のような形相でお説教をはじめた。  リアーネはあっという間に涙目になった。  曰く、 「油断しすぎだ」 「子どもがお酒を飲むなんてもってのほか」 「リンカインから出席者がいることぐらい事前に調べなかったのか」 など、一体いつ息継ぎをしているのか心配になるほどである。  ライヴァンは言いたいことを全部言い終えると、涙目でうつむいているリアーネに気づき動揺した。 「……今日は殿下の結婚のお披露目なのですから」  動揺して出てくる言葉も小言の続きなのだからどうにもならない。 「……申し訳ありません。こういった場にあなたが不慣れなことを考慮すべきでした」 とようやく言えた。  リアーネは涙にぬれた上目遣いでライヴァンを見つめた。 「違うわ……。心配してくれてちょっとうれしいなと思ったのよ。私はいてもいなくてもいいんじゃないかと思っていたから」  ライヴァンは言葉を失った。  リアーネのやわそうな耳たぶから大粒の真珠がぶらさがって感情を代弁するかのごとく揺れている。  夜の闇のようなつややかな髪にやっぱりそれはよく似合っていて、それを選んだときの自分が思い返された。 「イヤリング……つけたのですね」 「そりゃもらった以上使うわよ。こんな高そうなもの……そうだライヴァン、あんまり無駄遣いしないようにアルドベリク殿下に言っておいてちょうだいね」  リアーネの勘違いにひどくがっかりしている自分にライヴァンは驚いて舌打ちした。 「もう部屋に戻りますか」 「そうするわ。なんだか注目を集めてしまったみたいだし王女様のお顔も見られたから」  リアーネはがしがしと目元をぬぐう。せっかくミーレンがほどこした化粧が台無しになった。 「では送りましょう」  ライヴァンが言えば、リアーネはうろんげな顔を向けてきた。 (相変わらずなんの自覚もないんだな、あなたは) 「王子の側近のあなたがこれ以上席を外すわけには……」 「黙りなさい。……今夜のあなたは一人で帰すには扇情的(せんじょうてき)すぎる」 「……戦場?」  ライヴァンは氷の視線ひとつでリアーネを黙らせたのち、彼女を館まで送り届けた。    ***  バレスは広げた本に視線を落としたままの主が考えごとをしているのに気付いた。  さっき見た時からページが変わっていない。  ケガは癒えた。  自分の置かれた状況を理解すると、シオンは驚くほど冷静になった。  自らバレスやイニス国から連れてきた従者に話しかけ、少しでも記憶の隙間(すきま)を埋めようと努めるようになった。  イニス国から届いた手紙や私物を確認しながら、なくした記憶のかけらをていねいに元の場所に戻す作業を根気よく続ける主を、バレスは痛々しいと思う。  取り戻した記憶の中の自分の国は、これから失われることが分かっている。シオンは二度も祖国を無くす痛みに向き合わなければならなかった。  以前であれば、バレスに対してだけは本音を漏らすこともあったのに、事故から目覚めたあとのシオンには隙(すき)のようなものがなくなった。弱い自分を見せないようにしている。  バレスにも引け目がある。自分は彼がなくした記憶の一番大きなかけらを隠し持っているのだから。  リンカインの王女の話をするときの脂下(やにさ)がった王子の顔がバレスは好きだった。  しかしあの記憶を取り戻したところで、シオンは再び現実を受け入れなくてはいけなくなる。 (だったら思い出さないほうが幸せってこともあるよなぁ……)  バレスは居室を出るとドアを閉めた。  思考に沈んでいたシオンはバレスが出て行った際の扉の閉まる音ではっとした。 (今なにか)  一瞬、なにかが戻りそうな気がしたのだがそれはすぐに消えてしまった。 (バレスが出て行っただけだろう?  ……それが何だというんだ)  シオンは読みかけの本を閉じると立ち上がった。もう何時間も同じ姿勢でいたことを思い出す。  少し体を動かそうか。さすがに乗馬はする気になれないが散歩くらいなら、と思ったとき無性にバルコニーから見える景色が気になる。  夕暮れ時の暖かい色合いを窓越しに見るたびに、近寄って何かを探さずにいられない。何を探しているのかも分からずに。 (事故から一ヶ月も経つというのに)  だが自分はイニス国の王子だ。  これから国はなくなるが、国民は生かさなくてはと思う。そうでなければ今まで王太子として特権を得てきた面目が立たない。  オプスクルドの王女との婚姻が彼らを守る一手となるという。 (私はそのためにこの国に来た)  自分にできることがあると聞かされたから、内政で荒れた祖国をたった一人出てきた。  バルコニーから見える景色は、ここ一ヶ月見てきたものと変わらない。目を引くようなものは何ひとつない。 (この景色に足りないものがあるのか?)  かつて自分はここから何を見たのだろう。  再びドアが開く音がしたが、今度は心の琴線に触れることはなかった。  じっとバルコニーから記憶のかけらを探し続けるシオンの背後では、侍女がお茶を用意している音がしている。  やがてその気配もなくなり、再び部屋にはシオン一人だけが残された。  テーブルに置かれたカップからは、湯気が立ち上っている。その横に一枚のハンカチーフが置かれていることに彼はまだ気づいていなかった。    ***  夜会のあと、王宮内ではあるうわさが広まった。  かの『氷の貴公子』の不貞疑惑である。  新婚の彼が、アルドベリクとヴィクトリア王太子妃のお披露目の場で女と密会していたらしい。  なかには会場から抜け出すところを目撃したと言い出すものまでおり、しかも相手が正体不明の美少女だったと付け加えられたことで、初めのほうこそ『あの融通の利かない次期宰相に限ってそんなことあるものか』と一笑に伏していた部下たちもときおり何とも言えない目で上司を見るようになった。  ライヴァンは部下たちに、無駄口をきく暇を与えない許容量ぎりぎりの仕事を容赦なく割り振ってやった。  そんな中ライヴァンが、仕事中にオプスクルド王に呼び出しを受けたのである。  もちろんみな『ついにきたか』と思ったし、忙殺の仕打ちにあった部下は『これでやっと家に帰れる』と涙を流したという。  会議室に向かうライヴァンの背中に吹雪のような幻覚をみた宮廷人はみな凍えた。  部屋に入るとそこには、王と宰相となぜかにやにやしたアルドベリクが彼を出迎える。 「お呼びと伺いました」  いつもの無表情で言えば、アルドベリクが 「聞いたぞ。大変だな」 と楽しそうに言った。 (もとはといえばあんなドレスを贈ったあんたのせいじゃないか) 「否定してやりたいところだが、リアーネのことは知られたくないし耐えてくれ」  オプスクルド王に言われるまでもない。わかっているから鬱陶しいのではないか。  エネリーの両親に何と言われるか気が重い。ただでさえ結婚前に娘を孕ませた色眼鏡ごしで見られているというのに。  もうすべての元凶のアルドベリクを葬ってやろうかと殺意すら感じる。 「それでお話というのは」  冷たいまなざしで王子をひと睨みしてからライヴァンは王と宰相に向きなおった。  即座に場の空気は引き締まる。 「イニス国に動きがあった」  口火を切ったのは王であったが、詳細は宰相から語られた。  シオンの意識不明を伝えた使者が持ち帰った話によると、シオン王子はすでに亡くなったのではないかと言い出したものがいるらしい。  もちろん意識が戻った時点ですぐに次の使者を送り報告したのだが、クーデター側が疑心暗鬼になっているようだ。  それもそのはずで、シオンの安否次第で シャルロッテ王女の降嫁という、オプスクルド王国からの後ろ盾がなくなるからだ。  シオンの安否が確認できないかぎり、これ以上王族との交渉に応じる気はないと言い出したらしい。 「シオン王子をイニス国に帰らせるしかないか?」 「いや、罠ということもあり得る」  彼がオプスクルドにいるのは万が一の暗殺に備えてのことだ。もし連中がとっくに交渉のテーブルから降りているのならば、帰ったところで彼が拘束されるようなことがないとも限らない。 「まいったな……親書を送るにしてもよりによって記憶を無くしている状態だ。なにか齟齬(そご)があれば逆効果になりかねん。本人を見れば替え玉を疑われることはないだろうが」  シオンが殺されたとしてもオプスクルドが非を被る覚えはないが、後味の悪いことは間違いない。なんだかんだとこの国の王族はお人よしだ。リンカインに対してさえ強く出たためしがないのだから。  ここまで黙ったままなんの発言もしなかったライヴァンは、馬場の近くであった時の彼を思い出していた。  今思えばあの時の自分はかなりきつくシオンにあたった。  国と国の約束を違えるな、シャルロッテの代わりにリアーネを利用するな、と。  一国の王子に対して礼を欠いていた自覚が十分ある。 (居場所がなくなればいいと願いさえした)  王子を呪ったのは自分かもしれないという思いが消せない。 「わたしにまかせてはもらえませんか」  ライヴァンはそう切り出した。    ***  祖国の状況を聞いたシオンはすぐさま、 「国に帰ります」 と答えた。 「さきほど申し上げましたが、向こうが疑っているというのなら、こちらも相手を疑った方がいい」  ライヴァンはあえて明言を避けたが、シオンはもちろん自分が幽閉され最悪の場合においては殺されるかもしれないことを考えているのだろう。それでも決意は変わらないようだった。 「私はあの国で王子として育った。ここで責任を放棄したら、いままで私を次期国王と育ててくれた父や母、民に顔向けできません」 (不思議なものだ。記憶を失ってからの方がよほど王族らしく見えるとは)  帰る場所がないと無気力だった子どもの影が今の彼には見当たらない。  イニス国王は息子を守るのではなく、息子に国を守らせるべきだったのではないか。 「決意は変わりませんか、シオン殿下」  シオンは静かに頷いた。 「わかりました。イニス国には私も同道いたします」  ライヴァンの言葉にシオンは目を見開いた。
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