第二章 ライヴァン・コーデォニアル

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 その日王妃のお茶会に招かれたリアーネは身の置き所がなかった。  最近王宮を騒がせている例のうわさが話題になったからである。 「あの『氷の貴公子』がそんなに情熱的な人だったなんて、ちょっとどきどきしませんこと?」  シャルロッテのお茶会とは違い、今日はリアーネの存在を知る数少ない側近の奥様方が数名招待をうけているのだ。ちなみにシャルロッテはいないので、お茶会のネタに上がるものの中にはゴシップも多い。 「なんでもかなり強引だったみたいよ。若いっていいですわね」  事情をしっている王妃は苦笑いしながら、時々心配そうにリアーネをうかがう。 (ああ……どうしよう。また嫌われる理由が増えた……) 「結婚された時も驚きましたよ。確かシャルロッテ様にお勉強を教えていた方でしたわよね」  ご婦人の一人が王妃に水をむける。 「エネリー様はとても優秀な方でしたから。シャルロッテもさみしがっております」 「すでにお辞めになってしまわれたの?結婚も急なら辞めるのもすいぶんと急でしたのね」 「では新婚なのに他の女性を?なんてこと!」 (早く終わってくれないかしら、この話題(ネタ)  リアーネは冷めたカップからぐびぐびと紅茶を飲みほした。やけ酒をする大人の気持ちがちょっぴりわかろうというものだ。  リアーネに気を使ったのか、王妃は、 「奥様方、噂は事実と違いますわ。現にライヴァン殿は明日から奥様のために休暇をとるのですって」 と、ライヴァン=愛妻家説を投下した。 (なるほど。王妃様はこうして宮廷内のうわさ話を収集しつつさりげなく収めているのか)  リアーネはいつも穏やかな王妃の暗躍を尊敬の目で見た。 「……そういえばエネリー様のお母様がつわりがひどいと心配しておりましたからね」  誰かが思い出したように言ったので、またその場は騒然となり、リアーネは呆然となった。 「だから夜会にもいらっしゃらなかったのね!たしかに新妻の前で女性と密会なんてできませんもの。妊娠中でしたのね。それで他の女性に?」 (……聞きたくなかった)  リアーネはカップに手を伸ばしかけ、すでに飲み干してしまったことを思い出す。 (そりゃ夫婦だもの。いつかはそういう話を聞くことになるのはわかっていたけど)  予想より少し、いやだいぶ早かった。 (というより絶対結婚前にあれこれしている計算よね。あのむっつり!)  リアーネはその後どうやって自分の部屋に帰ったのか覚えていなかった。    ***  部屋に戻ってお茶会の装備を脱ぎ捨てると、リアーネは下着姿のままソファに横になってごろごろ身もだえた。  ミーレンはお茶会でよほど刺激的なゴシップでもきいてきたのであろうと慮(おもんばか)って、見ないふりをしてくれている。  しかしそれを見逃してくれない相手が見ていたようだ。 「いくら自室とはいえ使用人には男性もいることをお忘れなく」  びっくりして顔を上げると、部屋の入り口で仁王立ちになっている不機嫌な氷の貴公子がいた。 「らららライヴァンっ!」 「この前から言おうと思っていましたが私の名前を勝手に改名しないでください」  リアーネはあわててめくれ上がった下着を直す。  さきほど聞いたばかりの話がリアーネのなけなしの羞恥心に火をつけた。 (この人むっつりなんだったわ!)  今までさんざんもっとあられもない姿を見せていたことに、幸いリアーネは気づいていなかった。 「どうしてここに?」 「明日からしばらく不在になりますので、行き違いがないように直接指示を出しに来たのですよ」  そういえばライヴァンは妊娠中の妻のために休暇をとると言っていた。 「そう、ご苦労様!……ってだったらなんでわたしの部屋にいるのよっ」  おかげで恥ずかしい思いをした。  結婚前にあれこれしていたライヴァンが急に生身の男性に見えてリアーネはばふっとクッションに顔を押し当てた。  ライヴァンはあきれたようにリアーネに近寄って、 「あなたは何をやっているのです」 とリアーネの手からクッションを取り上げた。 「息ができませんよ、それじゃ」  至近距離で聞こえたライヴァンの低い声がリアーネをぞくりと震わせる。 (ひいぃ。もうやだ。なんであんな話きいちゃったのよ) 「ふ、不在って新婚旅行?」 (しかもなんで墓穴まで)  もういっそこのまま眠ってしまいたい。でも今夜は眠れないに違いなかった。 「……リアーネ様。明日、シオン殿下がイニス国へ戻られます」  リアーネの頭が一瞬で冷え固まった。 「わたしもそれに同行することになりました。表向きは休暇ということになっていますが」 「……どうして……危険なのではないの……?内戦状態なんでしょう……こ、殺されたり」  ライヴァンはリアーネの様子に、体をかがめリアーネと目の高さを合わせてから噛んで含めるようにゆっくり答えてくれる。 「安心なさい。そうさせないために私が一緒にいくのです」  ライヴァンはリアーネがシオンのことだけを心配していると思っているらしい。  リアーネは今日は一日、感情のいったりきたりを繰り返していたせいで振れ幅が広がっていた。  このとき一瞬で、怒りの沸点に達したのだ。 「違うわよ!身重の奥さん置いてなんでそんな危険なことするのかって聞いてるんじゃないの!」  シオンは心配だ。  だけど彼はイニス国の王族なのだ。逃げるわけにいかないのはわかる。  でもライヴァンは違う。この国に愛する妻とこれから生まれる子どもがいる。  ライヴァンはリアーネを不思議そうに見た後、 「そうした事態をさけるために行くと言ったでしょう。それに万一のことがあれば、私の家族はアルドベリク殿下が……」  考えるより早くリアーネの手のひらがライヴァンの頬を打った。  思い切りぶったつもりが、実際にはぺちんとかわいい音がした。  けれどライヴァンに与えた衝撃は十分だったらしい。何も言えなくなっている。 「……あなたもお父様と同じね。子どもなんてどうでもいいのね。他人にまかせても平気なのね」  リアーネはライヴァンの肩を思い切り押しやって精気のない瞳を向けた。 「出ていけ、むっつり」  それきりもう二度とライヴァンを見ようとはしなかった。  ライヴァンが正気に返ったのは、執務室に帰り着いた時だった。 (シオン殿下を心配したのではなかったのか?)  叩かれた頬は跡すら残っていない。なのにライヴァンは違う痛みを覚えて戸惑っていた。 『あなたもお父様と同じね』  向けられた軽蔑のまなざし。普段あれほどめまぐるしく感情を浮かべている瞳には、あの時なんの色も映っていなかった。 (むっつりってなんだ?)    ***  翌日、シオン=イニスはオプスクルドの王宮を旅立った。  来た時に伴ってきた従者のうち今回の帰国に随伴するのは護衛騎士を兼ねているバレスという従者だけで、残りはオプスクルドで預かりの身としてもらう。 (万が一の場合は、彼らだけでも……) との思いで同行を願う彼らを押しとどめた。  そして、二人の出立の前にすでに一人オプスクルドの王宮を出たものがいた。  交渉の見届け人としてオプスクルド王が任命したのは、時期宰相候補と目されるライヴァン・コーデォニアルであった。  時を同じくして、賓客を預かる館からも二人の女がいなくなった。  普段から特定の人間以外とは没交渉で、フラフラと自由に出歩いてばかりいる人物の不在は、その日晩餐に現れないことを不審に思った館の使用人が、不在のライヴァンの代理人・アルドベリク殿下に奏上するまで気づかれることがなかった。
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