第三章 リアーネ=リンカイン

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第三章 リアーネ=リンカイン

「あなた、どちらへ」  背後から声をかけられてアルドベリクはぎくりとした。振り向いたときにはすでにいつものほほえみ王子として完成していたが。 「早いね、もう起きたのかい?」  寝間着にガウンを羽織っただけのヴィクトリアは、寝台に腰を掛けたまま新婚の夫を見上げていた。おろされた髪を片側に寄せた姿はどこかなまめかしい。 「あなたこそ随分早いのね。出かけるの?」 「ちょっと厄介ごとが持ち上がってね。悪いな、今日も遅くなりそうだ」  ヴィクトリアは立ち上がると、アルドベリクの前までやってきてほほ笑んだ。 「わかりましたわ」  アルドベリクはヴィクトリアを抱き寄せて彼女の額に軽く口をつけると、 「まだ休んでいるといい。行ってくるよ」 と笑みを深めた。  扉を静かにしめた瞬間、 「……隠し事が好きな方たちだこと」 とヴィクトリアが呆れたようにつぶやいた気がした。  王族だけが集う部屋へ向かうアルドベリクは、自分が緊張していたことに気づいて肩の力を抜いた。  ヴィクトリアが来てからずっとこんな調子だ。絶対に言うなと、ライヴァンに言われている例の隠し事がアルドベリクをそうさせる。 (罰があたった)  美しい妻だが、自分は彼女に心を開くことができないだろう。 (エネリーは大丈夫だろうか)  側近の妻を想い泣きそうになりながら、アルドベリクは部屋に入る前にはすでに王太子の顔になっていた。 「それで……リアーネは」  部屋に集まった面々はみな一様に焦燥を隠せずにいる。 「一度も外に出たことのない箱入りだぞ。近くで迷っているところをかどわかされたりしたら」 「あんなに可愛らしいのですもの」  王妃は真っ青になって両手で顔を覆った。 (こんなことならもっと早くあの子の居場所をきちんと作ってやるべきだった。リンカインのことなど気にせず、政治に利用されそうだと貴族たちから隠すくらいならとっとと私の嫁にしてしまえばよかったんだ)  アルドベリクはこつん、とテーブルをたたいて発言した。 「緊急事態と判断して昨夜のうちに手は打った。最悪なことにはならないと思う」 「というとライヴァンに?」  アルドベリクは頷いた。  イニス国には悪いが、彼らにとっては他国の王子よりリアーネの方が大事なのだ。 「でもさすがに彼でもすぐには……」  不安そうな王の言葉に、アルドベリクはちょっとうんざりした顔をした。 「いえ、ライヴァンならすぐリアーネを見つけるはずです」  一同の視線がアルドベリクに集中した。 「ライヴァンはリアーネのことならなんでも知っているのです」 「なんでもとは」  コーデォニアル宰相が続きを催促してくる。自分の息子の仕事ぶりを上司に聞く親の顔である。 「ライヴァンが季節ごとにリアーネの身の回りの品を整えていることは知ってるでしょう。……いつもぴったりなのです」  アルドベリクはちょっと目を泳がせる。 「衣装のサイズが」  一同は脱力した。アルドベリクは勢いづく。 「あの子が採寸なんてめんどくさいことさせるわけないのに!測ったかのように毎回ぴったりなんですよ!それだけじゃない、この間なんて私が贈ったドレスのサイズだけでなく下着の」  宰相があわてて王子の口をふさいだ。聞かなきゃよかったという顔をしていた。  王がこほん、と場を立て直した。直ってない人もいる。 「しかし、いくらなんでもそんなすぐには」  誰かの発言は突然の侵入者によってさえぎられた。  乱暴に王室の扉が開けられ即座に閉じた。  そこにいる全員がみんな信じられないような表情になる。まるで幽霊でも見るかのように。 「何があった。説明しろアル」  そこには氷点下を身にまとったライヴァンが立っていたのだから。    ***  がりがりがりがり。  真夜中の空気をふるわせる音に、従者のバレスはさきほど横たえたばかりの身を起こした。すぐさま護衛対象のシオンを確認すると、同じ音を聞いていたのか彼もまた身を起こしていた。 「なんの音だ?」  ここはまだオプスクルド国内だ。  国境手前のオプスクルドの国境警備施設の宿舎に泊まり、明日には越境を果たす彼らは、なにか不穏な気配を感じとり、体をこわばらせた。 「まさか奇襲?」 「いや、オプスクルドに喧嘩を売るようなことは、さすがのあいつらもしないと思います」  そのために時間に余裕があるにもかかわらず、ここで夜を過ごすことにしたのだから。  会話の間も、なにかを削る様ながりがり……は続いている。 「ライヴァン殿に確認してきます。王子はここを絶対に出ないで下さい」  奇襲を否定したものの、バレスも警戒はといていない。  廊下の様子をこっそり目視したあとすばやく部屋をでると、隣に宿泊しているはずのライヴァンの部屋を目指そうとして、件の彼の部屋のドアから光が漏れていることに気づいた。  少し隙間が空いている。  バレスは足音を消し近づくと、そっと中の様子をうかがった。  部屋のつくりはバレス達と同じ二人部屋だ。その部屋にある書き物机に向かっているライヴァンの背中が見える。床には書類が散乱しており、バレスが見ている間にも一枚二枚と増えていく。  書いては床に落とし書いては床に落っことしている。 (うわ。ナニ。あの音、なにか書いてる音?あんな筆圧じゃペンが何本あってもたりなくなるだろ)  がりがり……ぼきっ……がりがりがり……  時おり何かの折れる音も交じっているが、まったく意に介さないその背中に背筋の凍ったバレスは、前を向いたままそうっと後退する。  そのまま再びシオンの待つ部屋へと戻ると、主は身を起こしたまま不安げな顔をしていた。 「バレス?」 「んー、あー、大丈夫ですたぶん」  少なくとも自分たちに危険が及ぶことはないはずである。 「とりあえず明日に備えて寝ましょう」  明日の朝になればわかるだろう、とバレスは投げやりに思った。 (なんかおっかないんだよな、あの人)  再び横になった二人であったが、また異変が起きた。 「……バレス……なんだか寒くないか」 「王子もですか。実は自分も冷気を感じます」  主に隣の部屋から。  バレスはそこに誰がいるかを知っている。なぜならさっき見たばかりである。 「バレス。こんなこと言いたくないんだが」  シオンがちょっと言いにくそうにバレスに持ち掛けたのは……。  数分後、主従コンビは互いの布団を持ち寄り二枚重ねにして、一つの布団で同衾していた。それでもぶるぶると震える互いの体を抱きしめあって。 (これは夢だ悪夢だ……男同士の秘密ですよ王子)  ようやくあの『がりがり』が聞こえなくなり二人がうとうとしだした頃、今度はノック音である。  叩かれているのがまさに自分たちのいるこの部屋だとわかると、ふたりは顔を見合わせた。 「お、王子。でてくれません?」 「お前は私の護衛ではないのか!」  無茶苦茶こわいが、仕方なくバレスが恐る恐るドアを開けると、解放部から足元を這うような冷気が一気になだれ込んでくる。 「遅い。この状況で熟睡できるとは仕事のできる護衛だな」 (寝てないし!つららみたいな嫌味!おれたちは国賓じゃないのかよ!)  言い返さなかったのは、ひとえに目の前の男がおそろしく不機嫌だったからだ。 「ライヴァン殿、どうされましたか」  来訪者をみてとったシオンが、緊迫した面持ちで声をかける。  彼の様子からは何かが起きたとしか思えない。それも非常事態が。  ライヴァンはこちらの心情など慮ることなく告げた。 「おはようございます、シオン殿下。今から至急王宮に戻りますので支度をしてください」 (おはようございますって寝てないし!まだ夜だし!)  バレスはもうなにがなんだかわからなかったが、さすがにシオンは発言内容に疑問を感じたらしい。 「戻るとは?イニスへ行くのでは」 「やめました。あなた方にも王宮に戻ってもらう」 「いやでも」 「うるさい!時間が惜しい。早くしろ」  シオンとバレスは室内が凍り付く前にあわてて支度を始めたのだった。    ***  バレスから話を聞き終えた王室の面々は、 「それは……なんというか……申し訳なかったな」 と謝罪を余儀なくされた。  王族からの謝罪といういたたまれない状況でもバレスの愚痴は止まらない。 「しかも」  え、まだ何か……と戦々恐々とする王族に、 「あの人国境警備室に乗り込んで、非番の騎士をたたき起こしたんです。で、胸倉からありったけのお金をとりだして、お駄賃をやるからこれをイニス国に届けてくれって親書みたいなの渡して」  いいながら思い出したのかぷるぷる震えだした。 『殿下の無事を確認したいといったのはあちらなのに、なぜこちらから出向かなければならない。やつらがオプスクルドにくればいいのだ』 「いまさらそんなこと言い出したんですよ。あの貴公子!」  さらにあちらが応じるかどうか、と小さく反論したシオン殿下に、 『なに問題ありません。震えあがってオプスクルドに来ざるを得ないようにこの文書を届けさせますから』 と紙の束をばさばさ振ったという。 「あの人何を書いたんですか!がりがり削ってぼきぼき折ってたのはクーデター側の心ですか!?彼らはうちの国民なんですけど!」 「うちの側近が、なんかごめん」  もう謝るしかないアルドベリクだった。  その後、持ち金を全部お駄賃に使ってしまったライヴァンは、シオンに「金を出せ」と言って小銭も含めて巻き上げ、それを使って国境からここまでの最速最短の交通網を駆使したのだという。  頭をかかえたアルドベリクは、「ほんとごめん。あとで返す」と力なくテーブルに突っ伏した。 「どういう育ち方してるんです!カツアゲも手馴れてたし!親の顔が見てみたいっすよ!」  コーデォニアル宰相はそっと目を伏せた。 「大体今回の件だって王様の勅命なんでしょう。それを『そんなことどうでもいい』って言ったんですよあの人!」  オプスクルド王はかくしきれぬショックのあまり魂の抜けた顔をした。  次々と心をへし折られていく面々に、王妃様が勇敢に立ち上がった。 「それでシオン殿下はいまどちらにいらっしゃるのです」  バレスは顔を覆った。その肩がぶるぶると震えているのを見て、まさか王子の身に何か起きたのであろうかとみな息をのんだ。 「ふて寝してます。……ほら昨日の朝、『俺に何かあってもお前たちは生きろ』って涙の別れをしたのに、二日と立たずに戻ってきちゃったもんだから……使用人のなんでいるの?みたいな空気が……」 「いろいろカッコつけたい年頃だよね……」  こうして一夜にして何人もの心を折った『氷の貴公子』はまたひとつ伝説を作った。 「で?あの魔王はどこにいったんですか」  バレスが聞いて、 「……家出した王女の捕獲に出て行った」 とアルドベリクが答えると 「わぁぁあ!王女うしろ!逃げて逃げて!」  と狂乱し、一同の賛同を得た。
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