第三章 リアーネ=リンカイン

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 十年ぶりに祖国の王宮に足を踏み入れるリアーネの白いのどが上下した。 (どうせどこにも居場所なんてないのだから、大丈夫)  もう一度つばを飲みこもうとして、のどがカラカラなことに気が付いた。  くっと気合を入れて、一歩踏み出す。  自分の国の、それも実家なのに震えそうだった。ここにいい思い出なんてない。  謁見の間の玉座にはすでに父親であるリンカイン王が座っており、となりには細身できつい顔立ちの継母が立っていた。リアーネはかつて自分が彼女を魔女と信じていたことがあったのを思い出した。 (平気。魔王に比べれば魔女くらいなんでもないわ)  こんな時にまでライヴァンの顔が浮かんでくるのがくやしいけれど。 「勝手にオプスクルドを飛び出したそうだな」  最初に口を開いたのは王だった。  そこに父親としての愛情を感じることはできなかった。親子だと思っていないのはリアーネの立ち位置を見れば明らかで、王と王妃、それからアルドベリクの結婚の儀に来ていたいけ好かない王子が上座にいるのに対し、リアーネは一段下の間に立たされていた。しかも侍女のミーレンは同席さえ許されず別室で待機中である。 「国境から連絡をよこすから迎えに行ってやれば、着の身着のまま。侍女を一人連れただけ。とても一国の王女のすることとは思えんぞ」  もともとリンカインから連れて行ったのはミーレン一人だけなので当たり前なのだが、王はあきれた様子でリアーネを見下ろした。 「父上。いいじゃん。ね?結構美人だろう?」  傲岸不遜王子が父親に取り入る様な声で、リアーネをにやにや見ている。 「ちょうど俺の部屋の侍女が孕んじゃって、代わりを探そうとしてたところだし。置いてやろうよ」  下卑た品性を隠そうともしない。いったい異母姉を何だと思っているのか。  リアーネは目線をさげたまま、手のひらをきゅっと強く握りこんだ。(いられればどんな環境にも耐えようと思ってはいたけど……さすがに異母弟の子どもなんて産みたくないわ)  すると、それまで黙っていた継母が、 「目と口元が母親そっくりね」 と憎々し気に言った。  よほど母・シルヴァンのことが嫌いだったのだろう。 「どうせならその顔でオプスクルドの王子をたぶらかしてくれればいいものを。役に立たないわ」 「……アルドベリク殿下はそんな方ではありません」  リアーネは思わず反論してしまった。これだけははっきり言っておかねばならない。 「オプスクルドの王様も王妃様も、みんなよくしてくれました」 「ならばなぜ勝手に出てきたりするのだ。あちらからまだ着かないのかと再三問い合わせがあってうるさくてたまらん」  父はうんざりしたような顔で告げた。 (……やっぱり行き先ばれてた。再三って)  彼らの顔が思い浮かべば、ふわっと温かいものがこみ上げる。でもあそこはすでにリアーネがいていい場所ではない。  アルドベリクが結婚した今、いずれ子が生まれるだろう。  シャルロッテだってイニス国へ嫁いでいく。  今のままでは嫁に行くことすらできないリアーネは、いったいあと何年彼らのもとにいられるかわからない。 (それにライヴァンだっていつまでも私の面倒をみてくれるわけじゃない。彼にも家族ができたのだから)  ちらりとシオンの顔も浮かんだが、リアーネでは彼の国を救えない。彼が必要としているのはリアーネではないのだ。  根無し草の自分が根をはるとするならば、結局リンカインしかないのである。 「まさかあなたオプスクルドで面目の立たないことをしでかしたのではないでしょうね」  継母の言葉にリアーネののどがううっとなった。 (考えてみたらやらかしてるかも……)  王子の側近の頬をひっぱたいたり、浮気相手(濡れ衣だが)になっちゃったり、大手を振って「やってません!」とは言いづらい。  リアーネがもぞもぞしだしたのを見て、上座がいぶかしげな空気になった。 「まあよいだろう。おまえもこの国の王女であることにかわりはない」  父の言葉にリアーネは驚いて顔を上げた。 「あなた、どうなさるおつもり」  とがめるような王妃の声にも王の表情は揺るがなかった。 「交易の融通をきかせてくれそうな他国に嫁がせればいい。……オプスクルドは前の婚姻による約束を一方的に反古にした。リアーネを引き取りたいと言ってきたからくれてやったのになんの音沙汰もなかった。もう信用できぬ」 (なにを勝手なことを……お母さまにひどい扱いをしておいて……わたしのことだって……)  信用に値しないのはあなたのほうじゃないか、と言う言葉をかろうじて飲み込んだ。もう目の前の人を父親と呼ぶのはいやだと嫌悪感がこみあげる。しかし現実にリアーネが頼れるのは、もうこの人しかいない。  ようやくリアーネは理解した。  オプスクルド王はリンカインに利益をくれてやるのがいやだったのだ。 (だからわたしのことを特別扱いするわけにはいかなかった)  ぐっと唇をかみしめてリンカイン王をにらみあげると、父は冷たい視線をよこした。 「せめて政略の駒として役に立て。それまでここにいることを許すと言ってやっているのだ。王妃によく従え」  夫の言葉に、となりの女は愉悦の表情を浮かべた。  信じられなかった。  この人はリアーネがどんな扱いを受けようがそれは王妃の裁量のうちだと暗に告げたのだ……。それがどんなものであるか、想像に難くない。  そのとき、 「失礼する」 と空気を切り裂くつららのような声が謁見の間に響いた。 (え?この声……まさか……)  聞こえるはずのない声。  ……いるはずのない人。 「オプスクルドの王の勅使としてまいりました」  リアーネは呆然とその人を見た。 「ライヴァン・コーデォニアルといいます」  のちにリンカインで魔王降臨、と言われた瞬間であった。    ***  ライヴァンは上座より下の間でぺたんと座り込んでいるリアーネを見て眉をひそめた。 (子どもを床に座らせて上座から見下ろしているとはいけすかない連中だ)  事実はライヴァンに気づいてリアーネの腰が抜けただけなのだが、知る由もない。  まるでいじめの瞬間を目撃した教師のような厳しい目で、他国の王族をにらみつけた。  その氷のような視線にリアーネの義家族は一瞬にして氷漬けと化していた。 「ライヴァン……あなたイニスに行ったのではなかったの」  リアーネが恐る恐る聞くと、ライヴァンは氷の視線の矛先を床で腰を抜かしている王女に向けた。  話しかけるんじゃなかったとリアーネが後悔するより先に、 「そんなことどうでもいい」 ときっぱり言い切った。 「そんなこと?だって……!シオンはどうなるのよ!」 「黙りなさい。君のせいだろう。わざわざ私の不在時に家出などするからだ」  リアーネに責任を転嫁してきた。 (どうしよう。わたしのせいでシオンが……!)  シオンの名がリアーネの口から出た瞬間に、ライヴァンの怒りは王族からリアーネへと速やかに委譲した。 (こんな時まであの王子のことか) 「大体ここまでどうやって来た。国境からのことは報告されているが。君はお金を持っていないはずだろう」  まさか王女が野宿しながら来たのではあるまい。いくら治安がよくとも外の世界は女性には危険がつきまとう。  返答いかんではお説教だ、と逃げを許さないライヴァンの追求にリアーネは、  正直に言えば褒めて許してもらえる説を選んだ。 「もらったイヤリングを路銀にシマシタ」 (ごめんなさいアルお兄様)  だってリアーネに自由になるお金なんてなかったのだ。  もらったものを質草にするのは気が引けたし、案の定足元を見られて安く買いたたかれてしまったが、リンカインまでの路銀としては十分なほどだった。 (アルお兄様の無駄遣いに感謝したもんね。おかげで宿にも泊まれた。ミーレンを野宿させるわけにいかなかったし)  この件に関してはもう全面的にひれ伏して謝る所存である。  リアーネの言葉を聞いたライヴァンは、めずらしいことにぽかんと口を開けた。ぽかんとしてても美形は得だな、などとリアーネが首をかしげると、 「きみは……あれを売ったのか……?」 とかすれた声でつぶやいた。 「ごめんなさい。買い叩かれちゃった」  てへぺろ、とでもしそうなリアーネに、氷の魔王は肩を震わせた。  ふふふふふ……と漏れる地獄の底から聞こえるような笑い声にリアーネとその義家族がびくっとする。 (え……あれってまさか) 「いったいあれがいくらしたと。しかも買い叩かれただと!?」 (ひぃ……やっぱり……!?)  くわっと目を見開いたライヴァンのほの暗いオーラは、その場にいる全員の目に見えていたに違いない。 「わあぁあ!ごめんなさい!国宝だなんて知らなかったのっ」  リアーネの発言に、リンカインの王族はもれなく凍りついた。 「お、お前っ!なんてことをしたんだ!」 「うちは弁償なんてしませんからね!」 「お前なんか姉じゃないからなぁ……!」 (最悪だ……。根無し草の根張り失敗……しかももうオプスクルドにも戻れない)  とうとうリアーネの行き場所は潰えてしまったのだ。  誰もが次の言葉を発せずに、その場に君臨する魔王の審判を固唾を飲んで見守る。  リアーネは床に座って泣いていることしかできなかった。  やがてライヴァンは、ようやくいつもの冷静さを取り戻した。  床に片膝をつきリンカイン国王を見上げた。  無表情でありながら目だけはぎらぎらと憎々し気、という変わった勅使にリンカイン王は飲まれた。 「リアーネ王女に至急詮議すべき事案が発生したとみなし、オプスクルドに連れ帰りたいのですが」  許可を。  それは他国の王にも有無を許さぬ迫力だった。  王は首をこくこくと、壊れた遊具のように縦に何度もふり、 「どうぞお連れ下さい!その娘はもう我が国の王女とは認められません」 ときっぱり言ったのだった……。  そして。  うぇうぇとしゃくりあげ続けるリアーネを片手で腰からぶら下げたオプスクルドの勅使は、リンカイン王国の謁見の間から颯爽と立ち去った。  入り口で見張りをしていた騎士は、王の許可も得ず謁見の間に侵入を許した自らの失態も忘れて、「ちょっと漏れた……」とつぶやいた。  こうしてリアーネ王女の家出は、リンカイン王国滞在数時間という記録で幕を閉じた。 「よかった~!国宝じゃなくてよかったよお」 とミーレンとともに抱きあって喜ぶリアーネを、 「ちっともよくない!」 と一喝したライヴァンは、こめかみに青筋を浮かべて、オプスクルド王国に帰る道すがら、もう二度と家出はしません、とリアーネが泣き伏すまでさんざん心を折った。
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