第三章 リアーネ=リンカイン

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 イニス国王子シオンが、自国のクーデター側とオプスクルド国内において話し合いの場をもったのは、リアーネの家出騒動から半月ほど後のことだ。  その場の指揮をとったのは、次期宰相と噂されるアルドベリク王子の側近、ライヴァン・コーデォニアルであった。  数日間にわたる話し合いのあと、彼らは国へと戻っていった。  その日、賓客用の館をおとずれたアルドベリクを、シオンは王宮の庭園に誘った。 「あなたは王宮で一日にどれだけの金が使われているか知っているか、と聞かれました。その一方で、貧民街で一日にどれだけの人間が食うにつめて死んでいるか知っているかとも」  彼とこんなふうに話をするのは、はじめてだった。  違う国の、同じ立場の人間と本音を語り合う機会などないめったにあることではない。  アルドベリクのまとっているおだやかな空気が、シオンに弱みをはきださせたのかもしれなかった。 「情けないことにわたしは答えられませんでした」  未だ年若い王子は、言葉通り己を恥じるかのように顔を伏せた。  対立する相手の言い分に何も言い返せなかったことへの悔しさからではない。 「彼らを救う気がなかったわけではない……わたしは自分の国で起きていることを知らなかった。そのことが恥ずかしかったのです」  どうやって国内の貴族をまとめようかと考えたことはあるのに、その実(じつ)本当に見るべきものを見ていなかった。それをようやく知った。  そこには自分の役割に真摯に向き合おうとする苦悩のあとがみてとれて、アルドベリクは我がことのように自然と表情を引きしめた。 「いままでのイニスの政治は独房で行われているようなものだったと、臣下であった者から言われて、やっとわたしにもこれから父がなそうとしていることの意味がわかった気がします」  イニス王は、扉を開けようとしている。  どんな建物にも戸がなければ入れない。  窓がなければ光も差し込まない。  閉ざされてきた王室のあり方を変えることを選んだから、シオンをオプスクルド王国へとつかわし、シャルロッテ王女との縁談を申し入れた。  それすら理解せず、ただ自分の居場所が奪われようとしているのだと思っていた。 「国民の延長線上にありたい。政治の場に民の言葉を届けたい……わたしもそう思うようになりました。彼らにもそう伝えたのです。  敵対するのではなくあなたたちと一体となり我々にもできることはないかと。……命を惜しむからこそのきれいごとだろうと笑われましたが」  相手にもされなかったとシオンは苦笑いして言った。  アルドベリクもつられたように笑う。 「為政者がきれい事を言わなくなったら終わりだよ。  実のところ、国民にとって王なんていなくてもいい存在だからね。彼らは強くたくましい生命力をもっていて、わたしたちがいなくても生きていくことはできるんだ。逆にわたしたちは、彼らがいなければ満足に口を満たすこともできない。養われているのは本当のところわたしたちなんだよね。  だから兵役、徴税……奪うものの代わりに、個人ではできない公共事業や安全の保証をしてやるのが統治者の存在意義だ。それをしなければ我々など、国民にとってはただの厄介者でしかない」  シオンが感じている無力感に、目の前のこの王子も突き当たったことがあるのがわかる言葉だ。 「アルドベリク殿下」  静かに、決意をあらわにした相手に、アルドベリクも視線をあわせる。 「あらためてお願いしたいのです。シャルロッテ王女をわたしに……イニス国に賜りたい。利用することになったとしても」 「……殴っていい?」  アルドベリクの低い声音に、シオンは一瞬怖じ気づいた。その様子をみて、表情を緩ませた王子は、 「冗談だ。でも言っておくけど、不幸にしたら奪い返しに行くからね」 と、まんざら冗談ともとれないようなことを言ったのだった。  彼らが立ち去ったあとしばらくしてその場に降り立ったのはリアーネだ。 「あなたはあいかわらずお転婆ですね」  てっきり人気(ひとけ)がなくなったと安心したところに声をかけられて、飛び上がりそうになる。 「ライヴァン……!?」 「そのうえ盗み聞きですか。あなただとわかっていたから護衛騎士をとめましたが」  さんざんお小言を言われた覚えのある木登り常習犯は、ひっと小さく悲鳴を上げて上目遣いで口うるさい保護者を見上げた。  ライヴァンは目を細めてリアーネに近づいてくると、無言で肩についていた葉っぱを払いのけた。  ほんの一瞬だけ感じたぬくもりに照れくさくなって、 「シオンなら大丈夫よね。うん……だいじょうぶ」 とごまかすようにつぶやくと、ライヴァンはため息を吐いた。  それきり何も言わなくなったので、どうやらお説教はないようだ。 リアーネをオプスクルドへと連れ帰ってからのライヴァンは、なんだか以前より態度が和らいだような気がする。  今なら素直に言えそうな気がして、 「あのねライヴァン……ずっとお礼を言いたかったの。これまでわたしのために必要なものを用立てていてくれたのがあなただってこと知ってたから」 と、リアーネよりずっと高い位置にある彼の顔をまっすぐ見つめると、ライヴァンは驚いた顔をした。 「お礼なら相手を間違っています。王とアルドベリク殿下におっしゃってください」 「わかってるけど、あなたにも言ったっていいでしょう」  すねてみせるとライヴァンは苦笑したが、 「ねえ、イヤリングのことだけど」 と聞いた瞬間すこし動きを止めた。 「なんで買ってくれたの?……すごく高かったんでしょう」  一瞬の間のあと、 「あなたに似合うと思ったからです」 とそっけなく告げた。  どうやら今日のライヴァンも、いつもと違うようだ。顔をしかめて居るのは照れ隠しだろうか。  そう思ったら、なんだか目の前の人がかわいく見えないこともない。 「……売るのではなかったわ」  リアーネが本心からつぶやくと、ライヴァンははっとしたようにリアーネから少し離れた。  人差し指をこめかみにあてて目を閉じている。 「あなたは本当にときどき……」 「え?」  平素ないようなうろたえた声にリアーネが首をかしげて見つめていると、次の瞬間にはいつもの冷ややかな彼に戻って、 「部屋に戻りますよ。早くなさって下さい」 と、あっというまにいつもの怒っているような顔になっていた。
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