第三章 リアーネ=リンカイン

5/6
16人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ
 オプスクルド王国にアタニア王女が降嫁してからの日々をある人は『怒涛(どとう)』だと語った。  まずアルドベリクの側近にして時期宰相候補の地盤を名実ともに固めつつあるライヴァン・コーデォニアルに第一子となる女児が誕生した。すくすくと育ち今よちよち歩きの一歳になる。  誕生からしばらくして、彼の妻のエネリー・コーデォニアルの逝去の報が伝わった。   もともと丈夫な体ではなかっという本人の希望で、無理をおして出産した末のことであった。  それでも生まれた我が子を抱き上げ、寝台に縛り付けられながらも数か月授乳を続けたというのだから、母は強しと宮廷雀の涙をさそった。  新婚そうそうに男やもめとなったライヴァンは、孫にメロメロのコーデォニアル宰相とその夫人に養育を手伝ってもらいながら、なんと時折は娘を背負って出勤することまであるという。  氷の貴公子の氷を溶かした娘を一目見たいとライヴァンの執務室に押し掛けた部下たちを、氷の視線で一掃し震え上がらせたという逸話とともにまた宮廷雀をさわがせた。  アルドベリクは、側近の妻の出産を知り感動のあまり泣き出した。  そして逝去の報の際には、ライヴァンに一ヶ月もの休暇をあたえ、自身は執務室に閉じこもった。  ライヴァン不在中の仕事を自ら引き受けたのだと聞き、アルドベリクのライヴァンへの厚遇はさらにライヴァンの足元を固めたのだった。  アタニア王女、いまはオプスクルド王太子妃となったヴィクトリアも大きな風を吹き込んだ。彼女はたおやかな見た目とは裏腹に、女傑であった。 「それであなたは墓場まで持って行けと言った私の忠言を無視して簡単に吐露(とろ)したわけですか」  ライヴァンの冷たい視線にアルドベリクは頭を限界まで下げている。  エネリー逝去の際、執務室に閉じこもった夫に対し、飴と鞭(むち)、もとい労(いたわ)りと懐柔をもって真実を暴き出したというのだから女の勘とはまことおそろしやであった。  その上で王太子夫妻にそろって頭を下げられたライヴァンは、身の置き所がないという経験を初めてした。  娘の養育をまかせてほしいと目を輝かせるヴィクトリアの申し出を丁重に辞退したライヴァンは、かわりに成長したら必ず王宮に召し上げる約束をさせられたのだ。 「あなたに国を任せて大丈夫なのか不安になりました」 「ヴィクトリアがいるから大丈夫じゃないかな」  アルドベリクは相変わらずのほほ笑み王子でへらっと言った。 「だっておかげでリアーネの館に人を増やすこともできただろう?」  そう。  エネリーの件をぺろりと白状したあと、バキバキと心を折られたアルドベリクは、なんと不遇の従妹に対する心配事まで彼女に相談していたのである。 (わたしがどれだけ心を砕いてリアーネの存在を守ろうとしたと思ってるのだ、ぽかぽか頭め!)  このとき自国の王太子を今度こそ葬ってやろうかと思ったライヴァンである。  しかしヴィクトリアはここでも女傑ぶりを発揮した。 「幼い子供になんて仕打ちを!リンカイン許すまじです!」 と怒りをあらわにし、ついでにオプスクルドの王と王太子を会議室に呼びだし並んで正座させた。 「何のための権力です。無力な子どもひとり守るのにそれだけ頭がそろってて知恵の一つもわかないのですか」  無能な頭ははねておしまい!とでもいいだしそうな剣幕で、さっそくリアーネの周りに人を手配し生活や待遇を改善した。  さらに、リンカイン王国にこれまでのリアーネの養育費を五割増しで請求し、支払いをしぶるならリアーネをオプスクルドに寄越(よこ)せと使者を送った。  これに青くなった王族がさすがに戦争はまずいです姉(アネ)さん、と震えながら訴えると、女傑はウフフンと笑った。 「リンカイン王国と国境を接しているアタニアはいつでも領土を広げる覚悟がございますわよ」 と言い切り、 「早速母に協力をあおぎます」 と不敵に笑った。  ちなみにアタニア王妃は『女帝』と名高い人物だそうで、これまで幾度もご無体な……と叫ぶ男の屍を……の話の下りで、王と王太子はそろって白旗を上げた。  結局リンカインはあっさりリアーネの養育権をオプスクルドへと譲り渡した。それに関してはまた別の怒りも買ったが、概ね穏やかに収まった。  リアーネの話に大激怒したアタニア王妃をなだめるために、オプスクルド王の頭髪の進退がちょっぴり後退した。近隣諸国で戦争が起こらずに済んだのでみなは胸をなでおろして、王様にちょっと高価な毛生え薬を送ったということだ。リンカインは今後交易で大変苦労することになるだろう。  王妃はもうすっかりヴィクトリアのファンである。  王宮は女性がやたらと活気づき、男女平等参画社会を形成しつつある。    *** 「まぁ!あなたがリアーネ様でしたの?なんてかわいらしいのでしょう!」  会っていきなりヴィクトリアの抱擁を受けたリアーネはかわいそうなくらいにおびえていた。  周囲に助けを求めるそぶりをするが、残念ながら部屋の中にいる半数は役立たずであった。ちなみにあと半数の女性陣は微笑ましく事態を見守っている。 「結婚のお披露目の夜会の途中で氷のライヴァン殿が血相を変えてどこかの部屋に連れ込んだと聞いて、あれはどこの傾国(けいこく)の美少女なのかとこっそり噂していましたのよ」  ヴィクトリアのとんでもない発言にぎょっとしたのはライヴァンである。アルドベリクとオプスクルド王の視線が痛い。 「部屋に連れ込んだ?」 「従者もいないのにか!」  リアーネはあわててヴィクトリアの抱擁から身を起こして、 「違うのです、王太子妃さま。あれはわたしがあまりに不慣れで失敗ばかりするから、ライヴァンにお仕置きされてただけなのです」 とかばった。いや、かばっていない。  ヴィクトリアはあらそう、と部屋の中に視線を巡らし件(くだん)の男に行きつくと不敵な笑みを浮かべた。あとで詳しく、とその目は語っている。  目でモノを言うとはとんでもない能力を備えた女だとライヴァンは頭が痛くなった。ついでにアルドベリクざまぁみろとも。 (頼むからそれ以上墓穴をほらないでくれ!)  これは尋問の結果いかんでは墓穴を本人に掘らせ、後ろから一突きにされそうな雲行きである。  ヴィクトリアは改めてリアーネに向き合うと、今度は慈愛に満ちた顔で、 「リアーネ様、わたくしだけは何があってもあなたの味方ですわよ」 と『わたくしだけ』を強調していった。  これにはさすがにほかの面々も黙っていられなくなった。 「何を言っているんだヴィッキー!わたしが今までどれだけリアーネを可愛がってきたと思ってる!」 「そうだぞ。シルヴィに詫びながらリンカインをどうやってぎゃふんと言わせようと酒瓶をいくつ空にしたか」 「わたくしは侍女姿でリアーネのところに行くのを宰相に見つかって止められました」 「わたくしリアーネお姉さまが大好きです」  みな口々にヴィクトリアに抗議する。  中には違うものもあったが、それはすべてリアーネの心に等しく届いた。  ヴィクトリアはふんふんと満足そうにリアーネに向き直った。 「……ですって」  リアーネの頬がみるみるうちに紅潮し、やがて瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。  みんなが自分を見ているとわかって、リアーネはこぼれるように言葉を紡ぎだす。 「知ってます……わたしは不幸だと思ったことなんてここに来てから一度もありませんから」  ただ少し寂しく思うことがあっただけ、と照れ笑いになったリアーネに、みな例外なくとろけるような表情を浮かべた。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!