第二章 ライヴァン・コーデォニアル

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第二章 ライヴァン・コーデォニアル

 ドレスの裾をからげ、淑女にあるまじき姿で走り去るリアーネの後ろ姿を、ライヴァンは呆然と見送っていた。  その場に足が縫い留められたかのように動かない。まるで自分の体ではないかのようだ。 (なぜあんなことを……)  さきほど自分が彼女に告げた言葉が、ひどく彼女を傷つけたのはわかっている。ライヴァンは彼女が傷つくとわかっていて言ったのだから。  リアーネを見ると、いつも気持ちがささくれ立つのだ。  なぜあれほど無防備なのだ。  ドレスをまくりあげ白い足を惜しげもなくさらし、少し上気した頬や息を切らす様(さま)が男にどんな印象を与えるのかをまるで理解していない。  護衛の一人もつけていないくせに少しは警戒しろと苛々(いらいら)する。 (本当に憎らしい)  リアーネの姿が見えなくなってもなお立ち尽くしたままのライヴァンに、やや遅れてやってきた女性が声をかける。 「ライ?どうしたの?幽霊でも見たような顔をしてるわよ」 「本当に殺してやりたい」  ライヴァンの物騒な言葉に、彼女に付き従っていた介添え人がぎょっとしている。  栗色の巻き毛の女性……エネリーは、大きく開いた目をぱちぱちとさせた。 「なぁに?私を殺したいの?さっき式をあげたばかりの花嫁を殺したら氷の貴公子どころか別の二つ名がつくわよ」  エネリーは朗らかにライヴァンの背中をばんと叩いた。それからさっとライヴァンの腕に自分の腕を絡める。 「さっ、結婚報告も終わったことだし帰りましょ。さすがに疲れたわ」  そういったエネリーの顔色は確かに少し悪かった。血の気がないように見える。  ライヴァンは傍らの新妻を見下ろし、 「体調が悪いのか」 と聞いた。 「まあね。横になりたいなぁと思うくらいには」  ライヴァンの顔が陰ったのを見て、エネリーはくすくすと笑う。 「早く寝室に行きたいわ」  先ほどぎょっとしていた介添え人は、あけすけな新婦の言葉に今度は真っ赤になっている。  ライヴァンは彼女の腰を引き寄せると、もう一方の腕を彼女の膝裏にのばし抱き上げた。  エネリーがあわてて、 「そこまでしてくれなくてもいいのよ」 と言ったが、ライヴァンは無視する。 「ライ……ごめんなさい」  エネリーは彼の耳元でつぶやいた。    ***  ライヴァンのもとにイニス国シオン王子の意識不明の報が届いたのは、結婚式の翌日のことだった。  事故は昨日のことだと聞き、なぜもっと早く報告しなかったのかと部下に声を荒げる。 「で、殿下がライヴァン殿には知らせなくていいと」  どうやら結婚式当日に呼び出して、新婦をないがしろにするのはまずいだろう、とアルドベリクが指示したらしい。  すでに対応には別の者が動いているので、ライヴァンはこの件にかかわらなくてもいいと言う。  王子の善意だとはわかったが、ライヴァンはすぐにアルドベリクのもとに急いだ。  執務室には王子と数人の同僚がいて、さらに父であるコーデォニアル宰相もその場にいた。 「なんだ。もう来たのか」  アルドベリクはあきれたように友人を見たが、来るのは想定内だったようだ。 「状況は。意識は戻ったのですか」  他国の賓客である。慎重な対応が必要なのはあきらかだった。 「けがの方は問題ないないだろうと言っていた。ただ頭を強く打ったらしくてな、意識がまだ戻らん」  コーデォニアル宰相の言葉に、ライヴァンは顔をしかめた。  厄介な……、彼の身になにかあればイニス国がなんと言ってくるかわからないうえ、今後の予定がすべて狂う。 「騎乗が王子自身の意思であったこと、騎乗の世話も馬の選定も王子の従者がてずから行ったことは言質をとってある」 「うちが彼を暗殺する動機なんてないけどね」  ま、かわいい娘を嫁に出したくない王様黒幕説は否定できないけど。  アルドベリクはうそぶいた。 (ばかばかしい。あのお人よしの王がそんなことするわけないじゃないか)  他国を救うために娘をイニスに嫁がせることを決めたのは王自身なのだから。  むしろ反対したのはアルドベリクの方で、黒幕というならよっぽど王子の方がありえる。  いずれにしろ、イニス国へは王からの使者をつかわせることになるため、宰相は忙(せわ)し気に執務室を出て行った。  アルドベリクは他の者たちにも出ていくように指示し、部屋にはライヴァンとアルドベリクだけが残った。 「すまないな、ライ」 「あなたのせいではないでしょう」  ライヴァンの感情の読み取れない表情に、アルドベリクはしどろもどろになって、 「いやイニス王子の件ではなくてだな……エネリーの体調はどうだ」 と頭をかいたのでライヴァンは、そっちの件か、と険しい顔になった。 「大事をとって休ませている」 「そうか……よかった」  ほっとしたようなアルドベリクの様子に、ライヴァンは彼がずっと気をもんでいたのであろうことを知った。 「この先私は君に頭が上がらないのだろうな」  アルドベリクの苦笑いにライヴァンは冷徹な視線を送る。 (なにが微笑み王子だ。さわやかな顔をしてとんでもない男だ、この人は)  エネリーのお腹には、アルドベリクの子がいるのだから。    ***  アルドベリクとアタニア国の王女の婚姻は一年前に決まった。  国同士の政略結婚なのは明確で、双方ともに利益を持たらすこともあってすんなりと承諾された。  資源の産出国ではないアタニアは、オプスクルドからの優先的な資源の入手を必要としていたし、オプスクルドは交易路の拠点となるアタニアとの協力体制はのどから手が出るほど欲しかった。  アタニアに隣接するリンカインでもその役割は果たせる。  リアーネのこともあるし、アルドベリクの婚約者候補に加えてはどうかと議案に上がったが、オプスクルド王がこれに難色をしめした。  王は妹を王妃として娶ったにも関わらず、彼女のみならず一人娘であるリアーネまでもをないがしろにしたかの国をこころよくは思っていない。  事実リアーネを引き取って以後、リンカインにもたらされるはずだった資源の融通をおさえている。両国の冷戦状態は、ここから始まっている。 (アルドベリクの嫁になんてしてみろ。リンカインがこれまでの不実をなかったことにしてリアーネをたてに利益を享受しようと動くのは目に見えている)  そのためにリアーネを溺愛してはならない立場をとらざるを得なかったことも、王や王妃、王子の腹にすえかねている。  それだけではない。  彼女がオプスクルドにとって価値がないということを国内にも知らしめる必要があった。  いくら治世が安泰とは言え貴族も一枚岩ではないからだ。  王や王子がリアーネを特別扱いすれば、それは貴族たちになんらかの思惑を生む可能性があった。  すなわちリアーネを懐柔すれば、王族の覚えがよくなるのではないかと目論む輩がいないとも限らないということだ。彼女が政治利用されるのは避けたかったし、第一リンカインになんといわれるかわからない。  非常に腹立たしいが、リアーネがあの国の王女であるという事実だけはどうしようもなかった。  あの国はオプスクルドの優位に立つことを狙っている。 (放り出しておきながら、なにかあれば文句だけは言ってくるだろう)  表立って守ることができないというのに、あれだけ自分の身の安全に無頓着でふらふらと出歩いているリアーネを、ライヴァンは苦々しく思っていた。  彼女の館に自分の息のかかった者を送り込んで、こっそり厄介ごとの芽をつぶしてきた。これはアルドベリクすら知らないことだった。  いよいよアタニアの王女を迎えるに至って、ライヴァンはこれまで以上にリアーネの立場に気を張らねばと気負っていた。  オプスクルド王国とアタニア国の関係は良好だが、リンカイン王国と領地を接しているアタニア国もまたあの国とそりがあわないらしい話は聞いている。  リンカインの王女の存在を知ったアタニア国が、リアーネを利用するかどうかまではわからないが……  そのために酷とはおもいながらも、リアーネに王族の下で恭順する態度をとるように言った。  リアーネ自身は忠実にライヴァンの意思を受け入れていたように思う。  なのに、台無しにしたのはアルドベリクだ。  シャルロッテ王女のお茶会の日、アルドベリクは、「お前の指図は受けない」と言ったのだ。  リアーネのあの輝くような笑顔が失われることが耐えられなかったのだろう。もっともライヴァンに対して彼女が同じような笑顔を見せたのはもう十年も前のことだったけれど。  あの件でアルドベリクは変な方向へふりきれたらしい。 (まさかエネリーを妊娠させるなんて思わなかった)  ライヴァンは苛立ちまぎれに報告書を執務机に投げ出し、部下を震え上がらせたのであった。
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