第二章 ライヴァン・コーデォニアル

3/6
前へ
/18ページ
次へ
 シオンの意識が戻ったと、リアーネに知らされたのは事故から五日目のことだった。  その報を受けたリアーネはすぐに彼に会う許可をもらおうとアルドベリク王子のもとへ向かう途中で突然倒れた。ここ数日まんじりともせずろくに眠れなかったせいだ。  自室のベッドで目を覚ましたリアーネを最初に見舞ったのは、ライヴァンだった。  手ひどく失恋したのはまだ数日前だというのに、幸か不幸かいまだ頭のぼんやりしているリアーネは、夢のような心地でライヴァンを寝台から見上げていた。 「お加減は?食事も睡眠もおろそかにしていたそうですね」  病人に対してもいつもの冷たさで、結婚しても変わらないのがライヴァンらしくて、リアーネはおかしかった。  ふわっとした彼女の笑みにライヴァンの目が細められる。 (あ、お小言モードになりそう)  空気を察してあわててリアーネはミーレンを呼んだ。ライヴァンのために作ったチーフを持ってきてもらうためだった。  ミーレンに身体を起こしてもらい、かごを受け取ったリアーネは中から丁寧にそれを取り出すと、いぶかしげなライヴァンに両手を添えて差し出した。 「ライヴァン、結婚おめでとう」  このときリアーネはぼんやりしていたおかげで、想像の中で思っていたとおりの素直な自分になれていた。 「これをわたしに?」  ライヴァンは心底おどろきを隠せない様子で、手の中にあるものを見つめている。 「ええ、遅くなってごめんなさい。本当はお式に間に合わせたかったのだけど日程を知らなかったものだから」  徐々にぼんやりしていた頭が覚醒してくる。言うなら一気に言ってしまった方がいい、とリアーネは覚悟を決めた。 「それと今までありがとう。もう糸は必要ないわ。  ……そうお父様に伝えてくれる?」  ライヴァンはさらに大きく目を見開きリアーネを見下ろした。 「……なぜ、とお聞きしても?」  よほど驚いたのかライヴァンの声がかすれている。 「もう必要ないから。安心して。ふらふら出歩いたりしないでここで花嫁修業でもするわよ」 (もうわたしのことはかまわないで。幸せな報告なんて聞きたくない)  言いたいことは言い終えた。さあお説教ならどんとこい、というつもりでリアーネは彼の言葉を待った。 「そんなにシオン王子が好きなのですか」  ライヴァンは低くうなるように言ってじっとリアーネの目をのぞき込む。  整った顔にみすえられた。目をそらすことさえ許されないという破壊力にリアーネは少しひるんだ。 「ええ……?シオンのことは好きだけど……?」  リアーネの言葉にライヴァンは力の抜けた声で、 「嫌いじゃない、ではなく、好き、ですか」 と言うと、そのまま背を向けて歩き出した。 (あれ?お説教は?)  寝室の扉の手前で一度足を止めて、身体の向きはそのままに顔だけを向ける。 「アルドベリク殿下からの伝言です。シオン殿下への面会を許可するそうです」  言い放った後、リアーネの方を見ることもなくそのまま出て行った。  どうでもいい、と言わんばかりに思えた。 「なにあれ……ありがとうくらい言ってよ……」  結局またそのあと眠りに落ちたリアーネが、シオンのもとをおとずれたのはさらに二日後のことだった。    ***  ミーレンを伴ってシオンの居住する館へと赴いたリアーネを迎えたのは、よく見かける従者だった。確かシオンはバレスと呼んでいた。 「シオンはもう動けるのかしら」  なぜか困惑した様子をしているバレスにはかまわず、リアーネは部屋の中を覗き込むように聞いた。  落馬の知らせを受けたリアーネはシオンに会いに行くことを禁じられたため、全然様子がわからず歯がゆい思いをしていたのだ。  面会が許可されたことで、そう悪い状況でないことはわかってはいるが早く顔を見て、文句のひとつも言ってやりたかった。 「リアーネ王女様、実は……」  バレスが口を開いたとき、部屋の中で動く人影を見つけたリアーネは案内もまたずに踏み込んだ。 「シオン!もう起き上がっていて大丈夫なの?」  シオンは突然の侵入者に驚いたように動きを止め、リアーネの顔を見るとさっと顔をこわばらせた。  リアーネはずんずんと部屋の中を行くと、介助用の杖につかまるように立っているシオンのもとへ急いだ。 「王子様が馬から落ちるなんてありえないでしょう」  心配したんだから、というより前にシオンは自由になる片方の手で目の前のリアーネの肩を押した。 「きみは誰だ。勝手に入ってくるな!」  リアーネはシオンの様子がいつもと違うことにようやく気が付いた。 「バレス、どういうことだ!?僕の許可なく中に入れるな!」 「シオン……?どうして……」  バレスがあわててリアーネに部屋を出るよううながした。  呆然としていたリアーネはミーレンに手を取られ、あっというまに部屋の外に連れ出されていた。 「リアーネ王女、シオン殿下は記憶をなくされています」  硬い表情のバレスはそういうと、痛ましい表情でリアーネから顔をそむけた。 『記憶をなくされています』 (きおく、……なんの?だれの?だれが?)  答えはさきほどのシオンの様子で明らかだった。  ふらふらと再び部屋の方に足を向けようとするリアーネに、バレスは首を振った。  そのままなぜか食事をとるための広いダイニングに案内される。  こんな場所ですみません、と年配の女性がリアーネの前に紅茶の入ったカップをおいて出て行った。  ゆらゆらと立ち上る湯気だけが時間の流れを感じさせた。  まだ現実に追いつけないリアーネに、バレスは早口で経緯を説明しだした。まるでリアーネが口をはさむことを恐れるかのように。  落馬の後目覚めた彼は、自分がどこの誰であるかも何者なのかもわからない状態だったという。医者は目覚めたことがすでに僥倖だったのかもしれない、といった。  知らない場所で知らない人間に囲まれていたシオンは、パニックになり落ち着きを取り戻すまで二日を要した。  従者であるバレスと先ほどお茶を運んでくれた侍女のことだけは、なんとか受け入れてもらえるようになったのだという。 「忘れてしまったの……?わたしのこと」  リアーネのつぶやきにバレスは頷いた。 「リアーネさま、なぜシオン殿下がオプスクルドに『遊学』しているのかご存じですか」  リアーネはゆるゆると首を横に振った。  たくさんの時間をシオンと過ごしたけれど、彼は自分の国の話をあまりしなかった。なぜならそれは失われた故郷だったから。  目の前にいるリアーネだけが、彼の止まり木だったのだ。 「イニスは今変革に向かっているのです。それまでの王政を廃そうと、貴族たちが動いているからです。言っておきますが現在の国王夫妻は決して愚鈍でも悪政を敷く方でもありません」  けれどきっかけが何にせよ事態が動き出した以上、王かまたはクーデターを起こした側のどちらかに犠牲がでるのは明らかだった。   国王はそれを惜しんだ。  言い換えれば自分の息子や娘に手が伸びるのを。 「王はオプスクルドに内々に使者を送りました。世継ぎの王子を遊学させてはくれないかと。敵も他国の王族の庇護にある王子を引き渡せとは言えないでしょう」  はっきりと敵と言うからには、それは遊学ではなく亡命だ。  バレスは従者でもあるが王子の護衛騎士でもある。王子自らに指名された。 「殿下の妹の姫君は随行をゆるされませんでした。殿下はひとりこの国に逃れたのです。情勢が落ち着くまで、連絡を待てと」 「でも、それでは……」  イニスの王は、シオンだけには生き延びてほしいと願ったということだろうか。 (ただひとり生き延びたところでシオンは……)  バレスが否定するように、ゆるりと首を横に振った。 「王は自分は政権から手をひくお覚悟です。ですが王子と王女の命は救いたいと……一計を投じたのです」  バレスはリアーネをじっと見た。 「オプスクルド王にはシャルロッテ王女とシオン殿下の婚姻の承諾を得ています」  思いもよらない話に、リアーネは息をのんだ。 「シャルロッテ王女は……まだ九歳よ……」 「王族では珍しい話ではありませんよ。もちろん実際の結婚はずっと後にはなりますが、それより先に公示されるでしょう」  オプスクルド王国はイニス国の『クーデター側』を全面的に支持することを表明した。その証としてオプスクルド王女シャルロッテを『王太子』に降嫁させるという。  支持してくれるオプスクルド王国の王女を、彼らは傷つけることはできない。王族は政治の場から退場するが、国の象徴として存在を残すのだという。 「それはもうシオン王子にとってのもとのイニス国ではありません。ですが無駄な犠牲を出すことはさけることができます」  政権が交代しても、既得権益を失う貴族や王の血族の反発は免れず治世は混乱する。  割を食うのは国民だ。  現国王の国民からの信は厚い。王族が象徴として残ることでクーデター側も民に受け入れられやすいはずだ。  これをクーデター側が受け入れるか、まだわからない。イニスの王が交渉を続けているのだと言った。 「万が一のクーデター側の暴走にそなえ、シオン殿下だけはオプスクルドにと王は願いました。……いま王や王妃・王女は軟禁状態にあります」  バレスが一度ぎゅっと目を閉じて、再びリアーネを見つめたときそこには強い決意があった。 「シオン殿下にとってリアーネ王女、あなたが救いになればと思いました。オプスクルドではなくリンカインがその役目を担ってくれればと」  シャルロッテではなく、リアーネがシオンと結婚し、リンカイン王国がクーデター側を支援する。それでもよかったのだと。  リアーネには彼の言いたいことがわかった。 「わたしでは役に立てそうもないわね」  リンカイン王国からも放っておかれるような無価値な王女だもの。 「リアーネ様!」  同席していたミーレンが泣きそうな声をあげ、きっとバレスをにらんだのをリアーネは手で制した。 「申し訳ありませんリアーネ様。私は医者の『僥倖』という言葉をいま噛みしめております。シオン殿下は本当にリアーネ王女のことを……だけど」  リアーネにその役目を期待できない以上、この恋ははっきりと障害になる。 「いっそ忘れてくれたことがありがたいと……ひどいこと言ってますけど、でも……」 「もうけっこうよ、バレス」 (わたしなんて記憶の中にいるだけで邪魔、ということね)  リアーネはにっこり笑った。 「言っておくけど、わたしはシオン殿下のことを忘れたりしないわ。ちゃんと覚えておく。だって彼の言葉は嘘じゃなかったから」  はじめてリアーネに愛を告げてくれた。  だれもしてくれなかったことをしてくれた。  表情を崩すまいとこらえていたバレスの顔がゆがむ。あっという間に涙の堤防が決壊していく。  「申し訳ありません」、「ごめんなさい」、と何度も繰り返す。時々、「悪趣味とか思ってすみませんでした」とわけのわからぬ懺悔もだだもれだ。 「帰るわよ、ミーレン」  リアーネはすっと優雅に立ちあがり、未練も見せずに歩き出した。バレスはまだリアーネが座っていた場所に向かって謝罪を繰り返している。  あわてて駆け寄ってきた年配の侍女に懐からとりだしたハンカチーフを手渡し、バレスの鼻水を拭いてやるように頼むと、 「お茶、冷めてしまったわ。せっかく入れてくれたのに手を付けずにごめんなさいね。どうかシオンを……」 言いかけた言葉は飲み込んだ。  リアーネはにっこり笑って笑顔でその場を立ち去った。    *** 「お前リアーネにシオン殿下のこと説明しなかったのか?」  質問の形式をとってはいるが、アルドベリクはかなり鬼の形相でライヴァンをにらみつけてきた。ライヴァンはそれをものともせずに冷淡な口調で、 「忘れたのです」 と言い切った。 (そんなわけないだろうが!)  アルドベリクはシオン王子の護衛騎士兼従者という男からちょっぴり嫌味を言われたのである。 「お前なー……」  アルドベリクは続けて非難しようとしてやめた。なにしろ彼は自分の側近に対してまったくもってつぐないきれない負い目が現在進行形である。 「申し訳ありませんでした」  ライヴァンは静かに頭を下げると、書類を手にアルドベリクの執務室を出る。 (あれは彼女が悪い)  花嫁修業なんていうから。  もういらないなんていうから。  他の男を好きだなんていうからだ。  リアーネの前にシオンが現れてからの自分を、ライヴァンはもてあましていた。  ライヴァンは懐からリアーネに渡されたチーフを取り出す。彼女の目と髪の色だ。 (なんだって結婚祝いにこの色を選んだというのか。こんなの呪いだろう)  苦々しい思いで再び懐にしまうと、彼は自分の職分である部屋に向かった。そこで彼は部下から書類を受け取る。  定期的にリアーネの様子を知らせる報告書だ。リアーネの様子が細かく書かれている。  ライヴァンはいくつかのことを箇条書きにしてそれを部下に指示するといつものように氷の仮面で仕事を始めた。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加