4人が本棚に入れています
本棚に追加
さまざまな遺伝
ひさしぶりに顔を出した社交クラブで友人に捕まった。
「やあ、きみ。最近見なかったじゃないか。いったい、どうしたんだ」
友人はわたしの目の前に陣取って、逃がさない態勢だ。しかたなく、話につき合ってやることにした。
「なにもないさ。たまたま都合がつかなかっただけだ」
「そうか。大きな事件に巻きこまれているのではないかと心配したが、杞憂に終わってよかった。しかし、まさかとは思うが、優雅に旅行へ行っていたのではないだろうね。元来、家にこもりがちのきみのことだから、旅に出るなんてことはないと思うが、真相のほどはどうだ」
「どこへも行っていないさ。家でやっかいな仕事に取りかかっていただけだ」
「なるほど、じつにきみらしい。それにくらべてあいつはどうだろう」
友人がひとりの会員を指さした。派手な服装をして、周りにひとを集めている。
「きみと同じように彼もこのクラブに顔を見せるのはひさしぶりでね。だが、理由はきみと真逆さ。ちょっとひまができたものだから、外国に旅行へ行っていたんだ。きみも知っているだろう。彼の旅行好きを」
わたしはうなずいた。
「すこしでも時間が空いたらどこかへ出かけるのが彼の流儀だ。それが朝だろうが、夜だろうが関係ない。体が旅を求めているのだろう。一種の依存症のようなものだ。今回はどこへ行ったのだったかな。なあ、きみはどこの国へ行ったんだい」
旅先を聞きに、友人はわたしのもとをはなれていった。会話の輪のなかに入り、お目当ての情報を聞きだしている様子だ。目的が達せられると、友人はふたたびわたしのもとへ帰ってきた。
「そうだ、そうだ。さっき聞いたばかりだった。東へずっと旅をしてきたらしい。鉄道や船を使った、のんびりした行程だったそうだ。そんな贅沢ができるのも彼がひとより金を持っているからだ。いくら旅好きでも金がなければそうそう旅行できるものではないよ」
友人が息を継ぐ。
「そもそもなぜ彼が旅行好きなのか、知っているかい」
「なんだ。理由なんてあるのか」
「それはあるとも。大ありさ。彼の母親というのがこれまた旅行好きでね。いまの彼に負けず劣らず年中旅をしていたんだ。そうか、きみは知らないのか。彼の母親は旅先で彼の父親と出会っているんだ。そのまま意気投合して、旅好きの彼が生まれたというわけさ。旅が嫌いになるわけがない」
「へえ、それはずいぶんと筋金入りの一家なんだな」
「ああ、そうさ。彼の母親はいまも父親を連れだして、どこかへ旅をしているといううわさだ」
友人はわたしが話を切りあげるのよりもはやく、つぎの話題へ移った。
「連れだすといえば、彼のとなりの男さ」
旅行好きの会員のすぐわきに控えめな男が立っている。話にもあまり加わらず、終始愛想笑いを浮かべていた。
「最近このクラブに入った会員だ。彼は気が弱く、ひとに頼まれたことを断れないんだ」
「それは気の毒な性分だな」
「ああ、おかげでとくに旅好きでもないのに今回の旅行に連れまわされたらしい。ほとほと疲れただろうに、まだひとの言うことに従っている。ああやって聞きたくもない旅の思い出話に混ざっているのだから、病気といっても過言ではないな。彼の気が弱いのは、彼の母親を見ればわかるさ」
「また母親か」
「ああ、きみは知らないのか。彼の母親も、とあるクラブに所属していてね。毎年といってよいほどめんどうな役員を引きうけていた。それもこれも周りの人間からの頼みを断れなかったからだ。本人は乗り気ではなかったらしいが、ひとに頼まれては断りきれなかったのさ。いずれ彼もそうなるぞ、かわいそうに」
友人がもの知り顔であごに手を当てる。まるでお偉い批評家だ。
「そう思うのなら代わりに引きうけてやったらどうだ」
「冗談じゃない。あいにくぼくは奉仕精神というものを持ちあわせていない。それに、考えようによっては彼はとても便利な存在になる。このクラブでやっかいな仕事を押しつけられそうになったら彼にゆずってやればいいんだから。彼なら断らないだろう。自己犠牲の精神を持っている貴重な存在さ。母親がそうだったように、彼もこのクラブの役職を歴任することになるだろう」
「もう決まっているのか」
「だいたい決まったようなものだ。いや、しかし、わがクラブには目立つのが好きなやつがひとりいたな。そいつが出しゃばれば、その限りにならないかもしれない。やつときたら他人より目立つのがなによりも好きだからな。肩書きがつくのが大好物だ。そら、前のとき、立候補してえらい目にあっただろう」
「そんなこともあったかな」
「あったさ。忘れたとは言わせないぜ。当選するだけ当選してあとはなんの仕事もやらなかっただろう。目立つのは得意だが、実務能力に関しては皆無だ。本人が自覚していればまだ救いがあるが、やつはそんな冷静な目は持っていない。自分が上に立てば下々のものが勝手に働くと思っている」
友人がやれやれとばかりに首を振る。
「そういえば聞いたか」
「なにを」
「今度の選挙にやつの母親が出るらしい。こんなクラブのお遊びの選挙じゃない。わりとまともなほうの選挙だ。目立ちたがり精神もついにここまで来たかという心境だ。やつの母親が当選したら、この町は目も当てられない状況になるぞ。お荷物の町長を町人全員で支えるはめになる。とんでもない重荷だ。まったく、遺伝というのはおそろしいものだ」
ひとりで腕を組んで、友人はうなった。
「きみもたいがい話好きじゃないか。それも遺伝だろう」
わたしが言うと、友人が意外な顔をした。
「おかしなことを言うな、きみは。わたしは家族のなかで一番おとなしいと評判だったのだよ。無口で将来が不安だと母に心配されたくらいさ」
〈了〉
最初のコメントを投稿しよう!