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本当に一瞬の隙だった。女が気づいたときには、インプのボンネットの鼻先がワンエイティを追い抜く。宮本の驚異的な反射神経のお蔭だった。
「「行けーっ!!」」
橋本と宮本が車内ではしゃぎながら、無邪気な子供のように笑い合った。
勢いよくアクセルを踏み込んでも、すぐにS字コーナーが目前に迫る。それに伴ってインプのスピードが落ちるのを、ワンエイティが背後から虎視眈々と狙い澄ました。
「雅輝、地元よりも早く走れるってところを、思う存分に見せてやれ。今まで我慢して、女のケツを追い回していたんだ。フラストレーションを発散させろ。間違いなく、いい走りになるだろうさ」
「わかった、陽さんが惚れ直すくらいの走りをしてみせるよ!」
(おいおい、これ以上惚れさせてどうするんだか……)
「キラキラ光り輝くピンク色のラインをなぞって走れば、いつも以上に速く走ることができるはず!」
そう断言した宮本の走りは、地元の三笠山で走行したものよりもキビキビしたものだった。最速を目指す走りは一切の無駄がなく、橋本が失神する手前のレベルと称するに値するくらいに凄かった。気がつけば、背後にいるはずのワンエイティのライトが遠くに見えていて、女が戦意を消失したのが明らかだった。
鼻息荒くしながら颯爽と走行し終えた宮本は、峠の入り口にある駐車場にインプを停めて、女がやって来るのを待つ。
ワンエイティが横付けされたのをきっかけに、橋本が助手席から降りると、バトル後でぼんやりしていた宮本も、慌てて運転席から降り立った。
「まーくん、お待たせ♡」
泣き真似した女が宮本に抱きつこうとしたので、橋本は無言のまま女の襟首を掴んで、素早くそれを引き留めた。
「おじさんってば、ちょっとくらいいいじゃない。私の完敗だったんだし、まーくんに慰められたいんだってば」
「余計な刺激を与えるな。バトルしたあとで、雅輝は疲れてるんだから」
「とかなんとか言っちゃって。本当は恋人のまーくんに、触れられたくないだけでしょ?」
女が告げたセリフに橋本はたじろぎ、掴んでいた襟首から手を放すと、すかさず腕を掴まれて、豊満な胸に挟まれた。
「あっ!」
その行為にいち早く反応した宮本が、橋本の反対の腕を引っ張って、女から引き離そうとした。
「雅輝っ」
「だって!」
「まーくんってば、おじさんにぞっこんなんだ。へえ」
橋本はしたり顔する女を無視して自力で腕を奪取し、宮本の隣に並んだ。
「ねえねぇ、どっちが下になってるの? おじさんがまーくんを抱いてるの?」
「そんなこと関係ねぇだろ。それよりもこのこと――」
「陽さんには、もう手を出さないでください! 俺のなんですから!!」
宮本の爆弾発言に、橋本はその場で頭を抱えたくなった。嫉妬心に駆られた恋人を止める術がわからず、白目を剥いて失神しそうになる。
「まーくんはおじさんにぞっこんだけど、おじさんてば最初逢ったときに、私の躰をじろじろ見てたよ。やっぱり男よりも、女のほうがいいんじゃない?」
メガネの赤いフレームを上げながら指摘した言葉をきっかけに、宮本は橋本に鋭い視線を飛ばした。場の空気は最悪を極めていて、とっとと帰りたくなった。
「陽さん、見てたんですか?」
「目の前にいたんだから、普通に見るだろ……」
「おじさんってば、絶対に普通じゃなかったぁ。エッチな目で見てたもん。揺れるおっぱいを物欲しそうに、じーっと見てた!」
「陽さんっ!」
「見てねぇよ。この女の自意識過剰に、まんまと踊らされるんじゃねぇって」
(雅輝の持ってる美少女フィギュアに似てるから見てただけなのに、なんでこうなっちまうんだ)
「だからまーくん、おじさんと別れて」
「へっ?」
宮本は食ってかかっていた橋本から、女に視線を移す。橋本は恋人の様子を、ドキドキしながら横目で眺めた。なにを言いだすかわからなくて、さっきから動悸が止まらない。
「私、おじさんのこと気に入っちゃった♡ ワンエイティの助手席に乗ってもらいたいなと思って。そしたらまーくんみたいに、私も走りに磨きがかかりそうだし」
女のセリフを聞いた宮本は、がらりと表情を変える。それを目の当たりにした橋本は、慌てて会話に割って入るしかなかった。名誉の挽回をする機会を逃すまいと、それはそれは必死だった。
「雅輝とは絶対に別れない。なんでおまえの車に、俺が乗らなきゃいけねぇんだ。都合のいい道具として俺を使おうとしてるのが、見え見えなんだよ」
「とかなんとか言っちゃって。おじさんの腕をおっぱいで挟んだとき、嬉しさのあまりに体温が上がったこと、すぐにわかったんだからぁ」
「嬉しさなんて、これっぽちもなかったって。余計なことして雅輝を怒らせたら、めんどくせぇ展開になるから、それで――」
「陽さん、やっぱり女を抱きたくなったんですか?」
「ほらみろ、言わんこっちゃない……」
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