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☆☆☆
運転席で疲労困憊の相を露にした橋本がいるのに、助手席にいる宮本の笑みがとまらない。目的地につくまでにかみ合わないやり取りが、延々と続いたせいだった。
「たくさんの写真をまとめるのに苦労しそうだけど、いろんな顔の陽さんがコレクションできるのは嬉しすぎる♡」
「あー、はいはい。運転交代だぞ、気を引き締めろよ」
「わかってますって。最初は普通に登って行くので大丈夫ですよ」
「おまえの普通は普通じゃねぇよ……」
橋本は峠の登り口の脇道にインプを停めて、手際よくシートベルトを外し、颯爽と車外に降り立つ。入れ代わりに宮本がシートに躰を埋めた。
「陽さんのぬくもりを感じながらハンドルを握る、この瞬間がたまらなく好き♡」
シートから伝わるぬくもりを宮本が両目を閉じて噛みしめていたら、これまでの苦労を吐き出すように深いため息をついた橋本が、冷たいひとことを告げる。
「きちんとシートベルトしろ。ニヤけすぎだろ……」
「ニヤけちゃうのは見逃してくださいって。俺にとっては、至福のひとときなんですから」
指摘したというのにもかかわらず、だらしない顔を晒し続ける宮本に、橋本は呆れながら助手席に座った。じわりと伝わるあたたかみに、同じような表情にひきずられそうになる。宮本の手前、だらしない顔を晒すわけにはいかないので、必死になって真顔を決め込んだ。
「陽さん、シートベルト締めましたか?」
「OKだ。いつでも行ってくれ」
真顔を保っているつもりでいても、隠しきれない感情が声になって表れる。ぬるい声色で返事をしたことにヤバいと思った橋本の隣で、宮本は頬をパシパシ叩いてからシフトレバーに手をかけた。
「白のワンエイティのあとを追いかけます」
宮本が後方確認をしながら告げた瞬間に、アクセルが勢いよく踏み込まれた。その勢いを示すように、躰がシートにぐっと吸いつく。キビキビ走る前の車を追いかけるために、アクセルが深く踏み込まれたみたいだったが、「普通に登って行く」と宣言した言葉とは裏腹な走りに、橋本は焦りを覚えた。
これまでの宮本の運転の経験から、遠心力で躰が投げ出されると予想。左手でアシストグリップを握りしめながら、前方を走るワンエイティを見つめる。
「雅輝くん、これ普通の走りじゃないと思うんだが」
「そうなんですけど……。ワンエイティを追尾するには、これくらいの速度じゃないと駄目なんですって」
夕暮れから夜に変わる時間帯なので、ライトが点灯されている。ワンエイティの丸いテールランプがコーナーの曲線を鮮やかに彩るように、左右に揺れた。
「だけどアクセル踏みすぎだろ」
「三笠山よりも傾斜のきつい峠ですし、ヒルクライムなんだから当然アクセルは大目に踏みますよね」
「すでに、口外しちゃいけない速度になってんぞ。最初は普通に走るって言ったくせに」
「前のワンエイティ、多分地元の人だと思うんです。だからこそ走りを間近で見てみたい」
目力を込めてワンエイティを見つめる宮本の左手に、橋本の右手が重ねられた。
「だったらなおさら車間距離をあけて、ワンエイティの動きを遠くから見るべきだろ。ハンドルを握る手の力が入りすぎてる。なにかあったときに、大きくハンドルを切るきっかけにもなる。無駄な動きを削ぐために、もっと肩の力を抜け」
「陽さん……」
「夢中になると我を忘れる、おまえの悪い癖。俺が止めなきゃ、暴走するくせに」
宮本の手の力が抜けたことをしっかり確認してから、橋本はやんわりと手を放した。名残惜しさを感じたがそれどころじゃないので、そのまま膝の上に置こうと思ったのに、宮本の手が橋本の右手を躊躇なく掴む。
「雅輝?」
「やっぱり陽さんがいないと駄目みたいっすね。もうひとりじゃ走れない」
一瞬だけ橋本の手を強く握りしめたのちに、素早くハンドルを握りしめる。
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