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「おまえがどこかに行かないように、時々ブレーキをかけてやんないとさ」
「陽さん以外、誰のとこにも行かないっす」
橋本に言われたように、アクセルを緩めた宮本はワンエイティとの車間距離をあけて、後方から車の動きがしっかり見えるように走行した。
「雅輝ってば、穴を開けそうな勢いで、ワンエイティのケツを追っかけ回してたくせに」
執拗に自分を責める宮本の性格を知っているからこそ、橋本の口から出た言葉だった。
(最初は雅輝のあまりのしつこさに辟易したというのに、いつの間にかそうされないと物足りなさを感じるとか、俺もどうかしてるんだよな)
「陽さんなら、俺がそうなる理由くらいわかるでしょ?」
「まぁな。ワンエイティのドライバーの動きから、ここを走り込んでる自信が走りに表れてるし、コーナリングもべらぼうに安定感がある。雅輝とは別の意味で、センスのあるヤツなんだろう」
タイトなヘアピンカーブの遠心力をやり過ごしながら指摘した橋本に、宮本は感嘆のため息をこぼした。
「俺のセンスとワンエイティのドライバーのセンス、どう違うんですか?」
「こんな険しい峠を口にしちゃいけない速度で、平然と走る神経。つまり、頭のネジが外れてるって意味でだ。雅輝が左のネジなら、相手は右のネジじゃねぇの」
「陽さんその表現、どうかと思いますけど!」
「おっ、そろそろ頂上だな。……ってなんか大勢のギャラリーがいるこの感じ、三笠山で見た光景に似ている気がする」
既視感のある雰囲気に、橋本は顔をひきつらせた。ワンエイティを羨望のまなざしで見つめるギャラリーの多さに、嫌な予感が胸を走る。
「雅輝、離れたところに車を停めろ。地元のヤツに絡まれてバトルにでもなったら、間違いなく面倒なことになる」
走り慣れていない場所でのバトル――三笠山で崇め奉られていた宮本がバトルで負けたとなったら、えらい騒ぎになるのは火を見るよりも明らかだった。
「わかった。向こうの空いてるスペースに停めるね」
宮本はギャラリーの目から離れるように、指示された場所に向けて大回りで徐行した。
「よっ陽さん、ヤバい~!」
「どうした?」
無言のまま、宮本が左手親指で後方を指差す。それにつられて、橋本は後ろを振り返った。
「ゲッ! インプのケツにワンエイティがくっついてる!」
「なにか気に障ること、俺ってばしちゃったのなかぁ」
「おまえが途中まで車間距離つめて、ここぞとばかりにワンエイティを追いかけ回していたからだろ。きっとどんなヤツが乗ってるのか確認しに、わざわざついて来てるんだと思う」
宮本は観念して、橋本が停めろと言った場所にインプを停車させる。その隣にワンエイティが駐車した。ギャラリーは遠くから二台の車を、息を飲んで窺う。
「どうしよう。多分、地元の走り屋なんだろうなぁ。峠の迂回路や空いてるスペースで俺たちが登ってくる様子を観戦した人が、駐車場のギャラリーに連絡したのかもしれません」
「頼むから、売られた喧嘩を買うなよ。俺は生きて帰りたい」
橋本が泣き言を吐いた瞬間に、運転席の窓ガラスがノックされた。その音にふたりそろって車窓を見ると、メガネをかけた女がニッコリと微笑みかける。
「雅輝……」
「もしかして、ワンエイティのドライバー?」
慌てふためきながらもシートベルトを外した宮本が、急いで車を降りた。橋本も助手席から降り立ち、宮本の傍に駆け寄る。
「こんばんは! 私の後ろを追いかけることができるなんて、すごい人だなぁって思って、逢いに来ちゃいました」
「こ、こんばんはです。どうも……」
テンションの高い女の態度に宮本はたじろぎ、視線を右往左往させた。そんな恋人の様子に、橋本は複雑な心境に陥る。
長い髪をポニーテールにし、服で隠しきれない巨乳を揺らしながら、メガネの奥から上目遣いで宮本を見つめる、ロリ顔の女。ヲタクである宮本のコレクションのひとつ、フィギュアのセンターにいるキャラにどこか似ているせいで、橋本は自然と敵意を抱いてしまった。
たじろいでしどろもどろの宮本に、女は微笑みを絶やさず、優しく声をかける。
「あのぅ、どこかでお逢いしたことありませんかぁ?」
じりじりと距離を詰めて近寄る女を見て、橋本は苛立ちまかせに宮本の左手を引っ張って、なんとか距離をあけた。
「すっすみません、人の顔を覚えるのが苦手でして……」
「私は得意なんですよ。乗ってる車と、その人の顔を紐づけして覚えるんです。それと一緒に車を見た場所も! 前からインプに乗ってましたか?」
「いえ、この車は隣にいる知人のでして。前はセブンに乗ってました」
どこか恥ずかしそうに宮本が教えた途端に、女は大きく瞳を見開く。目の前の様子を、橋本はメガネザルみたいだとこっそり思った。
「セブン……。セブンと言って有名どころは、三笠山の白銀の流星じゃ」
車種と一緒に、見た場所と顔を覚える女の記憶力の良さに、橋本はヤバいと瞬間的に悟る。しかも女の走りについていくことのできるテクニックを考慮すれば、この答えが導き出されて当然だった。
橋本は迷うことなく、ふたりの会話に乱入する。
「人違いです! 雅輝、帰るぞ。地元の人の邪魔しちゃいけないだろ」
宮本の腕を掴もうとしたら、それよりも先に女が宮本を引っ張り寄せて、胸の谷間に腕を挟み込み、逃げられないようにした。
「ひいぃっ! むむむ胸がっ!?」
胸の谷間に腕を挟まれたせいで、1ミリたりとも動かすことができない宮本を、橋本は黙ったまま見つめるしかなかった。恋人を掴み損ねた手をぎゅっと握りしめ、拳を作って苛立ちをやり過ごす。
「あんな走りを見せられて、黙って帰すわけないでしょ。雅輝だから、まーくんって呼んじゃお」
「まままっ、まーくん!?」
「まーくんか……。とぼけた雅輝に似合いのネーミングだな」
白い目で自分を見る橋本を、宮本は首を激しく横に振って否定しまくった。
「ねぇまーくん、インプのナビシートに乗ってみたいな。まーくんの走りを、すぐ傍で見てみたい」
「それは駄目っス! 信用してる人しか乗せないことにしてるので」
速攻断った宮本に、橋本はニヤけそうになる。信用に値する自分が優位にたっていることについて、女に自慢したくなった。
「そこにいるおじさんは、まーくんが信用する人なんだ」
「陽さんは、おじさんじゃないですって!」
「いやいや。若い彼女から見たら、充分におじさんだろ。しょうがないさ」
女に負けない笑みを、橋本は顔面に表した。普段お客様にしている営業用のスマイルではなく、嬉しさに揺れるような会心の微笑みだった。
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