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アピールするように上目遣いで何度も瞬きする女に、宮本は眉根を寄せた。
「俺はもう、白銀の流星じゃないです。乗ってる車も違いますし……。今は三笠山のインパクトブルーなんです」
(――以前一緒に見た、夢の中の出来事で使った言葉を、現実に持ち出しやがった!)
驚く橋本を尻目に、宮本は微笑みながらインプのボンネットを愛おしそうに撫でる。
「重量のあるその車で、私のワンエイティにちゃんとついてこられるかしら?」
「陽さんとふたりなら、きっとついていくことができます」
宮本はハッキリと言い切った。普段は見せない頼もしさを感じさせるその横顔に、橋本の胸は高鳴り、頬が赤く染まる。
「まーくんってば挑戦的なんだから! だったらついてきて。スタートするときに、クラクションを鳴らしてあげる」
女はちらりと橋本の様子を見たあとに愛車に戻り、派手にアクセルをふかす。
「陽さん、行こう!」
宮本は運転席のドアを開け放ちながら、爽やかに微笑む。赤ら顔を隠すように俯いた橋本は返事をせずに、慌てて助手席に乗り込んだ。インプに乗ったふたりがシートベルトをして出発できる準備ができたのを確認してから、ワンエイティがゆっくり発進する。
「雅輝は走ることになると、マジで挑戦的になるよな。見ていてハラハラする」
「走ることだけじゃないっスよ。陽さんを責めるときも、ここぞとばかりに――」
「あー、はいはい。そうですね!」
「陽さんありがと。くだらないやり取りして、俺の緊張を和らげてくれて」
橋本があらぬところを見ながら腕を組むと、宮本の顔がだらしなく緩んだ。
(これからバトルするっていうのに、コイツときたら――)
助手席からそれを横目で眺めつつ、橋本から弾んだ声をかける。
「なんだ、雅輝らしくないな。いつも空気の読めないおまえが悟るなんてさ」
ふたりが他愛のない会話を交わす間に、インプは峠の頂上の入口に到着する。目の前でワンエイティが、派手なクラクションを鳴らした。
「陽さんの気遣いくらい、俺にだって読めますよ」
「気遣いじゃねぇよ。愛だ」
優しい橋本の声が、宮本の胸にじんと染み渡った。
「雅輝、出遅れてる。あの女にハンデをやったつもりか?」
「違うよ。陽さんの愛を、もう少し噛みしめたかったんだってば」
宮本はインプのシフトレバーをいつも通りに操作しながら、ゆっくりと峠を下りていく。ワンエイティは傾斜を利用してスピードを上げ、かなり前方を走っていた。しばらく直線の続く道路だと宮本の頭で記憶していたので、思いきってアクセルを開けて走行した途端に、ワンエイティが少しだけ対向車線へとはみ出る。
なにがあった? とふたりが考える間もなく、宮本は慌ててブレーキを踏みながら対向車線にハンドルを切ったが、間に合わなかった。
「くっ!」
下りでスピードがノっているせいで、大きな陥没の縁にタイヤがとられて、車体が大きく弾む。思わぬ衝撃に、橋本の額から汗が滲み出た。
「雅輝、悪い。気づかなくて」
「しょうがないよ。薄暗がりで視界が悪い上に、雑草が覆いかぶさって穴が隠されていたし。でもこういうのがあるから、地元の走り屋には敵わないんだよな」
その後、たくさんのタイヤ痕のついたS字のコーナーを、二台とも難なく華麗にクリアした。
「敵わないと言ってるくせに、勝つ気でいるんだろ?」
「車種は違っていても、所詮車は車。同じように真似して走れば、これ以上離されることはないと思う」
左手親指を立ててみせた宮本の余裕のある表情に、助手席にいる橋本の顔に笑みが零れる。離されることはないと言ってのけた宮本が、宣言どおりにやることがわかったから。
「雅輝が攻略できなかったところって、もしかして大きな急コーナーだったりする?」
完璧に峠を走りこなす宮本が、過去に攻略できなかった場所を、橋本なりに特定してみた。それは三笠山にはない、かなり大きなカーブだった。ヒルクライムではアクセルを開けながらコーナーに沿ってひた走ればいいところだが、ダウンヒルになると様子が一変する。
「それくらい、陽さんにもわかっちゃうか」
「どんなコーナーだって派手なドリフトかますおまえでも、あのコーナーは難敵だろ。急コーナーの手前は、今より傾斜がさらになくなってなだらかになるお蔭で、スピードがまったく乗らない。それなのに大きな急コーナーでドリフトするには、ある程度のスピードが必要だから――」
「急コーナーまでスピードを殺さずに、すべてのコーナーをクリアして突破しないと、ドリフトが途中で止まっちゃうんだよ。一か所でもミスったらコーナーの三分の一で止まっちゃうという、格好悪い姿を晒すことになる」
橋本の言葉を攫うように宮本が続けて、その後に訪れるであろう真実を告げた。
「雅輝はドリフトが好きだから俺はこの場所を教えたが、まさかあの女に絡まれることまでは想定できなかった」
目の前を何事もなく悠然と走行するワンエイティを、橋本はため息混じりに眺めた。宮本に負けるとも劣らないその走りは、見ていて惚れぼれするものがあった。
「公道というところで、限界を超えたスピードで走れる場所は限られているし、それはしょうがないよ」
「しょうがなくねぇって! あの女、俺の雅輝に色目を使いやがって」
自分ができない走りに、女性の躰を武器に使いながら宮本に媚を売った女の行動を思い出し、橋本の中に苛立ちが自然と募っていった。
「陽さん……」
「あからさますぎるんだよ、さっきの態度!」
橋本は忌々しげに告げるなり、ぷいっと顔を背けた。
「そんなふうにヤキモチ妬かれたら、今すぐ抱きたくなる」
ベッドでよく聞く宮本の掠れた低い声が、エンジン音に混じって橋本の耳に届いた。
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