「おはよう」を言いたくて。

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 卵を割ってお椀に落とす。手際よく掻き混ぜる。  あまり人には言っていないけれど、私は卵を割るのが昔から好きだ。  カチッと割れて、ドロッと出るあの感じ、なんだか良くない?  誰にも言っていないから賛同者がどれだけいるのか知らないけれど。  死んだお母さんにもし会うことが出来たなら、そんな話をしてみたいな。  七時三〇分を回って、二階から目覚まし時計の音が鳴る。  長男の博貴の目覚まし時計だ。すぐにドンって音が鳴って止まる。  いつもすぐに止めて、また寝てしまうのだ。  中学三年生。意気込んだ有名私立中学受験に失敗したのが三年前。  リベンジの高校受験はもうすぐだ。頑張れよ、わが息子。  お父さんと違って、あまり頭の良くないお母さんでごめんね。  私に似ちゃったのだとしたら、申し訳ない。  だから君の好きな卵焼きだけは、毎日作ってあげたかったんだけどね。  ――それも、もう作れなくなっちゃうね。 「博貴〜! 起きなさいよぉ〜! 遅刻するわよ〜」  最近あの子も、随分と夜更しするようになった。  勉強しているのだと信じたいけれど、もしかしたら違うのかも。  思春期の男の子が何を考えているのかって、やっぱり想像がつかなくてちょっと困る。  でも博貴には、お父さんがいるからね。大丈夫だよね。  知ってるよ。なんだかんだで、君がお父さんのことを尊敬しているのは。  ドタドタとした足音が鳴った。博貴? ――と思ったらお父さんだった。  小学生の頃は簡単に聞き分けられた二人の足音は、今ではなかなか区別がつかない。  体格も話し方も、何もかもが良く似てきた。 「お父さん、おはようございます」 「ん――、あぁ……うん」 「うん、じゃなくて?」 「……おはようございます」 「よし」  子供の挨拶忘れは許しても、お父さんの挨拶忘れは許しませんからね。  お父さんはそのままの洗面所へと向かっていった。  朝は暖かいお湯で手と顔を洗うのが習慣なのだ。  博貴はまだ起きてこない。 「博貴ぁ~! 本当に遅刻するわよぉぉ~~!」  音量マックス。近所迷惑かなぁ、と時々思う。  でも、背に腹は代えられないのである。 「お母さん、そんなに大声出すくらいなら、お兄ちゃんの部屋に行って起こせばいいのに」
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