「おはよう」を言いたくて。

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 「おはよう」は、嫌いじゃなかった。  朝は忙しい。誰よりも早く起きる。  寝相の悪い夫が隣のベッドで、足を布団からはみ出させている。  ボサボサになった自分の髪を掻き上げながら、「仕方ないなぁ〜」って思う。  十年使った羽毛布団を引っ張り上げて、お父さんの足にかぶせた。  お父さんは何も言わずに寝返りを打つ。  ――多分もう半分起きているのだ。いつものことだから知っている。  階段を降りてリビングへ。ガスファンヒーターのボタンを押す。  床暖房だけはタイマーセットしているから素足でもちょっと温かい。  毛糸の靴下を履いた。  ピンク色のパジャマからモコモコの部屋着に着替える。  パジャマに引っ張られてクールネックTシャツが脱げたので一緒に着直した。  ケトルにお水を入れてスイッチをON。  肩のランプが光って温め始める。  冷蔵庫の中から取り出すのは昨日作った唐揚げ。  長男のお弁当に使う予定だ。お弁当箱を取り出して開く。  炊飯器は予約通りに炊けている。  この炊飯器もあと二ヶ月くらいで故障するみたいだけれど、今はまだ元気だ。  朝起きてすぐはちょっとお腹が減る。だけど自分のご飯は後回し。  みんなを送り出してからゆっくり食べるのだ。  冷蔵庫をもう一度開く。右奥にこっそり隠したモンブランを確認した。  一昨日に買った。自分のためのモンブラン。  賞味期限は今日のお昼。  自分に向けて「お疲れ様」のプレゼント。――自分自身へのご褒美だ。  階段を降りる音がする。この足音は小学五年生の娘――七海。 「おはよう、七海、今日は起きれたのね?」  おはようと返事もせずに、七海はコクンと頷いた。  昔から「挨拶だけはしなさい」って口酸っぱく言ってきたけれど、どうにも定着しない。  お父さんがちゃんと挨拶しないから、かもしれない。  いつもなら「七海、おはようはっ!?」て言うところだけれど、「今日くらいは、もういいかな?」って溜息をついた。  早くに起きてきたのは良いのだけれど、結局は暖房の前でまた横になってしまうのだ。  七海はそういう子だ。  七つの海と書いて、ななみ。  海みたいな広い心を持ってほしい、広い世界に目を向けてほしいと思って付けた名前だ。 でもこの子の未来がどんな風になるのか、私は見届けることが出来ないんだなぁ。  でも知っている。この子は優しい子。  そして小学校五年生なのに本当はもう随分としっかりした子。  私が倒れて入院した時、一番世話を焼いてくれたのは七海だった。  まだまだ自分が面倒を見られないといけない年齢なのに。
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