ルール2 嘘をつかない

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ルール2 嘘をつかない

 嘘をつかない。  産まれてから死ぬまでに、これを実践出来た人は母だけかもしれません。誤解を恐れずにいえば、学校の先生だって、教会の神父だって嘘をついたことはあるはずです。しかし、この社会で生きていくためには、多少の嘘は仕方ないことだと割り切ることも大切であり、私もそう考えています。  放課後。いつものように、仲良し三人組で話していると、自然と恋愛の話題になりました。年頃の私達にとって、恋愛話は何よりも興味を惹く話してあり、楽しく会話ははずんでいたのですが、友恵の好きな人を聞いた時、顔が引きつってしまいそうになりました。 「私、横山くんが好きなんだよね」  おとなしい性格で、背の高い横山くんはあまり目立つ方ではありません。しかし、優しい性格と整った顔から、一部の女子に隠れファンがいて、私もその一人です。毎日、同じ教室で遠くから眺めている――それだけで満足でしたが、まさか友恵も横山くんのことが好きだとは思ってもいなかったので、友恵の告白には驚かされました。  友恵とは、小学校からの付き合いで、親友と呼べる間柄ではありましたが、これまで恋愛の話はしたことがありません。お互い恋愛には縁がなく、他人の恋愛話を聞いて楽しんでいただけに、友恵の気持ちが本気であることが、痛いほど伝わったのでした。 「真希は、好きな人いるの?」 「……え、私? 私は――」  友恵からの質問に、私は即答することができません。友恵の性格上、私も横山くんのことを好きだと知ってしまったら、身を引いてしまうでしょう。逆に、友恵が身を引かなかったとしても、これまでのような関係が崩れてしまう恐れがあると思うと、私は嘘をつくことを、秘めたこの想いを隠すことを決意しました。 「――いないよ。それより、私応援するね。友恵の恋」 「あ、ありがとう。……私がんばるね」  少し頬を紅めた友恵の顔を、少しだけ恨めしく思うと同時に、胸の辺りにチクりと痛みを感じながら、その日は家へと帰りました。  家に帰っても胸の痛みは治まらず、食事も喉を通りませんでした。味付けの濃い母のカレーが、今日は薄く感じてしまうほど、心境が味覚に影響を与えるのを知りました。 「何かあったのか?」  お風呂から出てきた母が、私に尋ねます。感の鋭い母には、私の様子がいつもと違うことを見抜いていたようで、表情はいつも通りでしたが、心配してくれているようです。 「……実は――」  本当のこと話するか迷いましたが、母は嘘に敏感な人なので、きっと解ってしまうと観念し、すべてを話しました。 「――ってことがあったの。私は、どうすれば良かったのかな?」 「……」  私の話を聞き終えた母は、お風呂上がりには習慣となっていたビールを一気に飲み干しました。私の言葉を飲み込むように、私の気持ちを飲み込むように、一気に胃袋へと流し込んだ後、私にこう言いました。 「人は、何で嘘をつくのか解るかい?」 「それは……時と場合によると思う。何でかなんて解らないよ」 「まあ、あんたぐらいの人生経験なら、それが精一杯の答えだよね」  少しバカにされているようでムッとしましたが、母は話を続けます。 「人が嘘をつく理由、それは自分を守るためだよ」 「自分を守るため?」 「人のためだとか、大切なもののためだとか、色々と理由付けをする人もいるけれど、その本質は自分を守るために人は嘘をつく。遅刻した人は自分の罪を軽くするため、約束を破った人は自分の罰を軽くしてもらうため、人は意図的にあるいは無意識の内に自分の罪と罰を軽くするために嘘をついてしまう。あんたの話にしったてそうでしょう?」 「……」  友恵に本当の気持ちを伝えなかったのも、応援するなどと心にもないことを言ったのも、すべて私を守るため嘘。友恵との友情関係が、壊れてしまうことを恐れた私が、自分が傷つかないためについた嘘。だからこそ、私の胸が痛いと思っているのでしょう。  それは、私の心の弱さを表していました。 「人は、弱い生き物だ。外にも内にも敵がいて、常に私たちは複雑な天秤の上で必死にバランスを保とうとして生きている。でもね、人を傷つけないで生きることはできない。そして、自分が傷つかずに生きることもできない。だから、あんたには強い心を持って欲しい。人を傷つけることも、自分が傷つくことを恐れない強い心を……」 「……私にできるかな?」  頭を撫でながら、母は答えました。 「できるさ。あんたには、心の痛みを感じることができている。それができる人間は、心が強くなる可能性を秘めている証拠だから」  母が嘘をつかない理由。それは、強い心を持っているからに他ならない。つまり、人を傷つけることも、自分が傷つくことも恐れていない母の強さであり、嘘をつく必要がないからです。  明日、友恵に謝ろうと思います。謝ってそのうえで、私の本当の気持ちを告げようと固く誓いました。  その時、私の胸の痛みは消え、ドキドキと力強い鼓動を感じながら、眠りにつくのでした。
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