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モブ男
※この作品は『モブ男は恋に気づかない』の続編になります。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まだ俺が幼く、世界が単純で自分の事をモブ男だなんて気づいていなかった頃の話。
俺は周りとは少しだけ違っていて存在感がないというか、いつもその存在を忘れ去られるような子どもだった。
勿論当時は自分が忘れられているなんて思ってもいなかったし、ただみんな忙しくて俺の相手をする暇がないのだと思っていた。
あの日の放課後、俺は珍しく人数が足らないからとサッカーに誘われ帰りが遅くなった。
小学生とはいえ他の子はいつも遊んでいるからか息もピッタリで動きが早く、俺はついて行く事もできなくて本当にただの人数合わせだったけど、とても楽しかった事を覚えている。
帰る頃には走り回ったせいかお腹が空いて堪らなかった。
みんなと別れ、少しでも早く帰る為に近道をしようと細い路地を通ろうとした時、行列を見たんだ。
色んな制服を着たお姉さんたちが行儀よく一列に並んでいた。
何の列か分からなかったけど妙に興味をひかれ行列の先の方を見ると、綺麗なお兄さんが何か…お菓子の入った袋を一人ずつ手渡していた。
お腹が空いていた事もあり俺は迷わずその列に並んだ。
少しずつ進んでいく列。
前に並ぶお姉さんたちの頬は赤く染まりみんな笑顔だ。
きっとものすごく美味しいお菓子なんだと思った。
お腹が減っている事もあるが、何より美味しいお菓子が食べられる事にワクワクした。
やっとの事で順番が回って来た時、お菓子を配っていたお兄さんの手には何も握られていなかった。
周りをきょろきょろと見てみてもひとつも残っていなくて、自分の分はないのだと分かりお腹も限界でぶわりと涙が浮かんだ。
「――あーっと、お菓子欲しかったんだ?」
お兄さんの優しい問いかけに俺はこくりと頷いた。
「そっかぁ……じゃあこれあげる」
お兄さんはそう言うとごそごそとポケットからお姉さんたちが貰っていた物とは違う箱を出して、俺の手の平に乗せてくれた。
「――いい、の……?」
「うんうん。折角並んでくれたんだしね」
俺は遠慮なく箱の中から可愛い猫の形をしたチョコを取り出し口いっぱいに頬張った。口の中に広がる甘い甘いチョコレートの味。
「おいひー……」
お兄さんは「よかったね」とにっこりと微笑んで俺の頭を撫でてくれた。
優しい手つきに気持ちがよくて、まるで自分がさっきのチョコの猫になったみたいに目を細めうっとりとしてしまった。
チョコがあまりにも美味しかったからまた食べたくなって、あれから何度かあそこを通ったけどあの優しいお兄さんに会う事はなかった。
代わりにお姉さんには何度か会うんだけど特に何を言われるでもなく、俺の存在を全く気にしていないようだった。挨拶をしても知らん顔だ。
俺としては一緒に並んだ仲間意識のようなものがあったんだけどね。
でも、ある時お姉さんのひとりが俺に言ったんだ。
「あんた志貴君の弟じゃないんだよね? だったら『約束』を破る事にはならないわよね……」
『約束』とは何なのか俺には分からなかったけど、お姉さんが俺の事を嫌っている事は分かった。初めて向けられる悪意に足が竦む。
「あんたさー志貴君からひとりだけチョコもらったからって調子に乗ってるんじゃない?」
「え……? 僕……別に……」
訳も分からず頭を振り続ける事しかできない俺にお姉さんは続けた。
「あんたなんてモブのくせに。誰もあんたの事なんて相手にもしてないのよ。モブはモブらしくただの通行人やってなさいよ。もう二度とここへは来ないでっ」
よく分からない事で怒られた。
怖かった。怖くて怖くて堪らなかった。
俺は後ろを振り返る事なく家に向って夢中で走った。
途中何度も転びそうになったけど、あの『悪意』から一分一秒でも早く離れたかった。
『モブ』、俺の事をモブだと言った。
でも、『モブ』って何?悪い事なの?僕は悪い子だから『モブ』なの?
だからあんなに怒っていたの?
言いようもない恐怖と悲しみが俺の心を占めていく。
親に『モブ』の意味を訊く事はできない。
もしものすごく悪い意味だったら、俺がモブだと言われた事が知られると両親を悲しませてしまうと思ったから、だから訊けなかった。
翌日学校へ行き、同じクラスの委員長に訊いてみた。
委員長なら色んな事を知っているしきっと『モブ』の意味も知ってるはず。
思い切って訊いてみて、返って来た答えは……。
「モブ? そりゃ紺野くんの事でしょう?」
「――――え? 僕……?」
委員長もあのお姉さんと同じで僕の事を『モブ』だと言った。
じゃあ、モブって何?僕がモブだとして、どういう意味かは分からない。
「モブって……何?」
「モブっていうのは……その辺の人って事だよ。ただの通行人。名前もないその辺に転がってる石ころみたいな……誰にも気にしてもらえない人」
「……」
俺は委員長の言葉で全てを理解した。
いつも……いつも俺がみんなの輪からはみ出てしまう事や、存在を忘れ去られていると感じた事。それは全部全部その通りで、俺がモブだから、誰にも気にしてもらえていなかったって事……。
俺はショックのあまりその日から三日間熱を出して学校を休んだ。
熱にうなされている間沢山沢山考えて出した答えは、『みんなの役に立とう』だった。
そうすれば俺は必要とされると思った。
頑張っていればいつかはモブではなくなって、主人公にはなれなくても紺野平というひとりの名を持つ登場人物にはなれると思っていた。
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