主人公の友人Aになりたい

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主人公の友人Aになりたい

 あの雨の日の一件以来あの子――香川 涼(かがわ りょう)くんの様子がおかしい。  今までどんなに香川くんがツンツンした態度をとっていても、嫌われているなんて思った事は一度もなかった。  だけど最近の香川くんは俺の事を避けているように思う。  そのくせこちらを気にしているようにも感じた。  俺は香川くんと、できたら友だちになりたいと思っていた。  香川くんは嫌な態度をとっていてもあの時のお姉さんのように怖くはなかった。  時折見せる香川くんの表情に、きっとこれはこの子の本心ではないんだろうと思った。  だから俺は香川くんの事が嫌いにはなれなかったんだ。  俺がモブであるようにもしかしたら香川くんも何かの役を演じさせられているんじゃないだろうか?  俺なら香川くんの苦しみが分かるかもしれないし、分からなかったとしても俺に話をする事で少しでも香川くんの心が軽くなるのなら――俺は頑張りたい。  以前は香川くんと関わらない事が香川くんの為なんだと思ってたけど、それはただ逃げていただけだったのかもしれない。  モブだし、モブだから――何もできないし、何も求められてもいないって。  今までの俺だったら避けられた時点で仕方がないって諦めていた。  俺はあの日自分がモブだと分かった日から人の役に立つ事で何者かになろうとしてきけど、それはどちらかと言えば受け身的な考えだ。  今の俺は積極的に自分から動こうとしている。  八重樫くんとの出会いが俺を変えてくれたんだ。  それでも正直今でもモブ男の俺がキラキラの主人公と友だちだなんて……という思いはある。ましてや恋人だなんてあり得ない。  だけど、友人になりたいって思えたから。その想いを諦めなくてもいいんだと思えたから。  どんな俺でも八重樫くんなら応援してくれる気がして、頑張ってみる事にしたんだ。 *****  そう考えてから二週間が経った頃、朝ではなく帰りのバスで香川くんと一緒になった。香川くんと朝にバス停で一緒になる事はあっても帰りは初めての事で、チャンスだと思った。 「あの、香川くん、少し俺と話をしてくれないか……?」  バスを降りたところで呼び止め遠慮がちにそう言うと、香川くんの大きな瞳が零れ落ちてしまうのではないかと思えるくらい大きく見開かれた。 「――話……?」 「うん。あ、今月あんまりお金持ってなくて……缶ので悪いけどコーヒーでも奢るからそっちの公園で話さない?」  少し行ったところにある公園の方を指さす。 「……」  香川くんは小さくこくりと頷いてくれた。  良かった。拒否られたらどうしようかと思った。  振り絞った勇気だけど、拒否られたら萎んでしまうところだった。  ふたりで少しの距離を連れだって歩き、公園のベンチに並んで座ったが香川くんは俯いたままだ。  さっき買った缶コーヒーを手持無沙汰なのか手の中でコロコロと転がしている。 「あの、さ……。俺はモブじゃない何者かになりたいんだ。紺野平という名前の何か。たとえば香川くんの友だち、とか、さ……」  俺の言葉に顔を上げた香川くんをまっすぐに見つめる。 「友だち……」  香川くんのごくりと息を飲む音が聞こえた。 「――ダメ、かな? 香川くんはさ何だか無理をしているように見えるんだ。無理矢理キャラを演じているような……そんな感じ」 「――オ、レ……」 「突然こんな事言われて気を悪くしたかもだけど、俺は友だちとして香川くんの力になりたい。香川くんが本当の香川くんとして笑っていられるように――俺に何ができるかな? ――あの件だって香川くんが早く忘れてしまえるように何だってするから、さ。友だちって……そういうものだろ……?」 「――……め……て……」 「何? 何て言ったの?」 「抱きしめて……って言った……」  消えてしまいそうな震える声だった。  俺には香川くんが何を思って俺に抱きしめて欲しいって言ったのか分からなかった。  だけど、力になるって決めたから、この震える小さな友人を心ごと抱きしめようと思ったんだ。  ゆっくりと香川くんの事を抱きしめた。  俺の腕の中で震える小さな身体。  ハッとする。  俺は言われるがまま抱きしめたけど、この行為は香川くんが痴漢にあった事を思い出させるのでは?  と、急いで身体を離そうとしたが香川くんによってそれは阻まれた。  俺の事を逃がすまいと背中に腕を回してしっかり抱きしめられていたのだ。 「――やだ……っ。離さない……で……。これ、でオレ……諦める、から……」  香川くんの呟きは最後の方は本当に小さくて何を言っていたのか分からなかった。だけど、訊いてはいけない事のような気がして今度は訊き直す事はしなかった。  お互いの鼓動の音に気持ちがゆっくりと凪いでいく。  香川くん、キミは本当はとても素敵な子なんだ。だから生意気でもなんでもキミはキミらしく、ありのままの香川涼でいいんだよ。  そんな願いを込めて、俺は小さな友人の事を長い時間抱きしめていた。  その時の俺は八重樫くんが偶然同じ時間に、たまたまこの公園の前を通って、俺たちが抱き合っている姿を見ていたなんて事、思いもしなかったんだ。
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