96人が本棚に入れています
本棚に追加
繋がる そして解放
日曜の昼過ぎ、八重樫くんの家にお邪魔する事になっていた。
待ち合わせ場所はいつものバス停だ。
――――――。
待ち合わせ時間を過ぎても八重樫くんは姿を現さなかった。
一体どうして……。
病気でもしたのかな? それとも突然用事が?
どちらにしても八重樫くんの事だから連絡すらしてこないのはおかしかった。
俺は妙な胸騒ぎを覚え、八重樫くんの家へと向かう事にした。
あ!
丁度帰って来たばかりなのか鍵を開けて家に入ろうとする八重樫くんのうしろ姿を見つけた。
とりあえずは怪我とか病気とか……何ともなさそうで良かった。
ほっと胸をなでおろす。
「――八重樫くんっ!」
俺の声に振り向いたのは、八重樫くん――ではなかった。
八重樫くんを成長させたような――――。
あ……れ? そう言えばここは――――……。
遠い記憶が蘇り、頭の奥がずきりと痛んだ。
目の前の人は、八重樫くんというよりもあの時の綺麗なお兄さんを成長させたような……。
「――――お兄……さん?」
「んん? 瑞貴の友だち?」
「あ……はい。あの……瑞貴くんは……」
「んーとね、何だか昨日帰ってきてからあいつ様子がおかしいんだよね。ごはんも食べないで部屋に籠ってて――キミ、何か知ってる?」
「いえ……。あの、会う事はできますか……?」
やっぱり何かあったんだ。来てよかった。
いつもいつも俺の事を大切に想ってくれていた。
その想いはずっと立ち止まっていた俺に勇気をくれた。一歩踏み出す勇気を。
今度は俺が八重樫くんの力になりたい。そして友だちになりたい。
「ふむ。ま、いっか。どうぞ?」
俺はあの日と同じくリビングに通された。
当たり前だがあの日の夢のような世界はそこには存在しなかった。
同じ場所にいるのに全然違う。
八重樫くんがいないだけでこんなに違うなんて――。
「とりあえず少し僕と話をしない?」
「お兄さんと……?」
「なんだかキミと会ったのが初めてのような気がしなくて、ね」
八重樫くんに似た顔で柔らかく微笑む。
その微笑みに、ああ……やっぱりあの時の綺麗なお兄さんだと分かる。
こないだ来た時はなぜかこの場所があの場所だったと分からなかったんだ。あれ以来近づこうとも思えなかった場所――。
――八重樫くんと一緒にいた、から?
「キミが昔会った子に…似てる気がして……気になるんだ」
「あの……多分それ俺です。昔お兄さんにチョコを……貰いました……」
「あ、やっぱりあの子はキミだったんだね。あの後キミは……その……何かひどい事を――言われたんじゃない?」
びくりと肩が跳ねる。
「モブ男のくせに」あの言葉が耳の奥で蘇り、俺の心を縛り付けていた鎖のようなものがきつく締め付ける。
――――そうか……。俺がモブ男だって八重樫くんは気づいてしまったんだ。
だから来なかったのか――。
さっきまであった勇気が途端にしゅるしゅると音を立てて萎んでいく。
カタカタと震えだす身体。
息の仕方を忘れてひゅーひゅーと鳴り始める喉。
そのまま意識を手放しそうになるが、ふわりと何かに包まれる感じがしてなんとか踏みとどまる事ができた。
俺はお兄さんに抱きしめられていた。
「大丈夫、大丈夫だ。よしよし」
「お、れ……モブ……ちがっ……」
「モブ……そんなひどい事を言われたのか……」
小さく聞こえたお兄さんの声。悲しんでいるような怒っているようなそんな声だった。
「キミはモブなんかじゃないよ。キミの名前は『紺野 平』君、でしょう?」
「俺の名前……」
「そうだよ。キミがモブなら俺は名前なんか知らないはずだろう? だけど俺はキミが紺野平だって事を知っている。弟が嬉しそうにいつもキミの話をしているんだよ? 弟が話す紺野君のイメージ通りですぐに分かったよ。玄関で会った時はあの時の子にキミが似ていてびっくりしちゃったけど、まさか同一人物だとは思わなかった。世の中広いようで狭いね」
お兄さんは楽しそうにくすくすと笑い、もっと優しい顔になって言った。
「それにキミが弟の……瑞貴の大事な人だって事も知っているよ。そんなキミがモブなわけないじゃないか」
途端に楽になる呼吸。
お兄さんは抱きしめたまま頭を撫で続けてくれた。
「ごめんね……長い事キミを苦しめてしまって……。あの子はキミに焼きもちを妬いてしまったんだ。それもキミが悪いわけじゃなくて、僕が考えなしにチョコをキミにあげてしまったから……。本当にごめん」
――俺は……悪く、ない?
俺は……モブじゃ、ない?
俺の心を何重にも縛り付けていた鎖がぽろりぽろりと音を立てて解けていく。
それと同時にダムが決壊したかのようにどばっと涙が溢れた。
最初のコメントを投稿しよう!