モブ男の恋は

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モブ男の恋は

 俺は促されるままベッドの隅に腰を下ろした。八重樫くんは椅子だ。  八重樫くんの部屋は綺麗に片付けられていて薄いブルーを基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だった。  不躾だとは思ったけれど緊張して落ち着かなくてきょろきょろと見渡してしまった。  そして視線の先にみつけたある物。  俺が八重樫くんにあげたチョコの包み紙が綺麗に皺をのばされて、可愛い額に入れられて飾ってあったのだ。  八重樫くん……キミは――本当に……本当に……。  熱い物が込み上げてきて胸がいっぱいになる。  俺の気持ちは最初から決まっていた。  ただ俺はモブだから決して叶う事はない恋だと思ったから、自分の気持ちに蓋をして、自分の事を守ったんだ。  あの日チョコをくれた優しいお兄さん。その面差しに少し似ていた彼に俺はどうしようもなく惹かれた。あの優しいお兄さんは八重樫くんのお兄さんなんだからそりゃ似てるよな。  別にお兄さんの事が好きだったわけじゃない。  お兄さんに似ているから八重樫くんの事を好きになったわけでもない。  彼の俺を見る優しい瞳や、優しい声や誠実な態度――彼の全部が好きなんだ。  俺がチョコをあげた時、彼は驚いた顔で俺の事を見ていた。  俺がそのままバス停に走ると大きな声でお礼を言ってくれた。  何の裏もない素直なお礼の言葉だった。  それからあの雨の日、彼だけが俺の事を助けてくれた。  彼だけが俺の事をその辺の石ころ扱いしなかった。  勿論小山もそうだけど、でも小山とは少し違う。  彼といる時だけ俺はモブ男ではなく、『紺野 平』でいられた。  彼は『八重樫 瑞貴』、俺は『紺野 平』。  俺にはそれだけで恋に落ちるのに充分な理由だった。  彼と一緒にいる時の俺は特別な存在になったような気がしたし、そうでなくてもモブ男のままの俺でも受け入れてくれるように感じていた。  そう感じてはいたけど自分に自信がもてなくて、彼を恋しいと思う気持ちを友愛に置き換えていた。幼い頃に受けた心の傷はどこまでも深かった…という事だ。  本当は友だちなんかじゃなくて、彼の一番近くの存在になりたかった。  俺は八重樫 瑞貴が好き。  呪いが解かれた今、この気持ちを伝えたい――。  俺の中心からどんどんどんどん溢れてくるこの気持ちを。 「俺……モブじゃないんだって。八重樫くんはどう思う……?」  好き。 「俺にとってあなたはモブなんかじゃないです。最初は名前も知らなかったけど、それでもあなたは『天使』でした」 「ふは……天使って……。八重樫くんはやっぱりおもしろいね」  俺が笑うと「本気なのに……」と八重樫くんは口を尖らせた。  彼にしては珍しく子どもっぽい仕草に可愛いと思った。  好き。 「俺さ、八重樫くんに言わなくちゃいけない事がたくさんあったはずなんだ。だけど、そんな事より何より言いたい事がひとつあるんだ。聞いてくれる?」  何を言われるのか怖いのかおずおずと頷く八重樫くん。  そんな不安気な顔をしないで?  キミの優しい顔が好きだよ。  キミの柔らかな声が好きだよ。  キミの温もりが好きだよ。  キミの全てが――――。 「俺、紺野 平は八重樫 瑞貴の事が――――好きです」 「――っ!」  ぽろぽろと大粒の涙が八重樫くんの瞳から零れ落ちていく。思わず手を出し受け止めるとそれはキラキラと光る小さな飴玉のようだった。 「――昨日、あいつ……香川と公園で抱き合ってた、から、俺……」  見られていたのか……それで――。と彼の心の痛みを想い心がきゅっとなる。でも、違うから。大丈夫だから。俺が好きなのは目の前にいるキミだけ。 「あれは……香川くんも俺と同じで何かに縛られてるんじゃないかって思って、それで解放してあげられないかなって……。そうする事で自分もモブじゃなくなるんじゃないかって思ったんだ……。それで香川くんとは友だちになった」 「友だち……ですか?」 「そう。友だち。最初は八重樫くんとも友だちになろうと思ってたんだ。恋人にはなれないけど、モブでも主人公の友人Aくらいにはなれるんじゃないかなってね」 「紺野さんは――」 「あーうん。もう自分の事モブだなんて思わないよ。だから八重樫くんに告白したんだし、俺は八重樫くんの……恋人に、なりたい。そんなのモブ男じゃ無理だろう? だから俺はモブ男なんかじゃない。で、返事は?」 「そんなの……」  続く言葉は「決まってる」。  そのまま包み込むように抱きしめられた。さっきのお兄さんに抱きしめられた温もりとは似ているようで全然違う。  八重樫くんの事を好き、だから?  ふわりと香る八重樫くんの甘い匂い。  八重樫くんはキラキラだけど手の届かない王子様なんかじゃなくて、キラキラの甘い甘いお菓子みたいな人だ。どんな時も甘くって、俺を幸せな気持ちにさせてくれる。  あの日みたいに色とりどりのお菓子がなくたって、キミがいるだけでいつだってどこでだって俺はこんなに幸せな気持ちになれるんだ。 「好きです。紺野さんの事が死ぬほど好きです。愛してます」 「うん。知ってたよ」  なんて強気な言葉。だけどキミになら許される。許してくれる。  俺は俺のままキミを好きでいていいんだ。  今まで伝える事ができなかった沢山の想いを込めて、自分から初めてのキスを贈った。ちょんっと唇と唇が触れるだけのキス。  いきなりだったから八重樫くんは驚いた顔をしたけれど、すぐに破顔して今度は八重樫くんからキスを贈られた。甘い甘い大人のキス。  俺の方が年上なのに、本当キミには敵わない。  恥ずかしくて、でも嬉しくて俺の心臓がポップコーンみたいに音を立てて弾けだす。  好き、好きだよ。  まだ少しだけ怖いけど、キミと一緒なら大丈夫だって思えるんだ。  だから八重樫瑞貴と紺野平とのこれから始まる俺たちの恋が、今は楽しみで仕方がないんだ。 -終- 次ページはおまけイラストです🦔
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