その友情に×印

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

その友情に×印

(ねえ、和香(わか)。覚えてる? 私にあんなことしたの。あんたの体のどこかに、きっと私と同じように……) 『切る』たびに、沙羅(さら)は和香を思い出した。 あかりなんていらない。スマホの画面がまぶしいから。 沙羅はベッドに潜り込んで、スマートフォンをいじっている。ブルーライトなんて平気だ。目がさえて夜更かししたって、いまは夏休みだ。 「今夜はだれを切っちゃおうかなあ……」 顎にある2センチくらいの×(バツ)印の痣をかきながら、沙羅は画面を親指でスクロールさせる。親指の爪にも同じくらいの大きさの痣がある。 (絶交したってたいしたことないじゃん。こんなちっさい傷。何が『仲良くしましょう』だよ。単なる脅しの注射だったんだ) 「決めた! 美里(みさと)にしよう」 美里はネットのみで親しかった『友人』のひとりだ。 あの政策ができてから高校生は皆、偽りの友情を育んだ。友情は未来永劫の縁。そう思わなくてはいけなかった。思いつきのようにはじまった、ある決まりのせいで。 でも、沙羅はちがう。 あの中継を見てから、いけないことでもしてもいいんだと思った。 (裏切るのが良くないことだってわかってる。私だって、昔……) 「自撮り、加工しまくって目が真ん丸で気持ち悪いんだよ」 沙羅は、SNSに表示されている美里のアイコンを親指でひっかくようにつっついた。ニキビひとつない、なめらかな美里の肌。 (これも加工している。もしかしたら素顔の美里には、私みたいに×がついているのかな。まあ、どっちでもいいか) 「顔に自信がないなら、SNSに載せるな。お面でもつけて生活しろー。バイバーイ」 アイコンの下にあるブロックボタンを押した。 その瞬間、黒々とした×のかたちをした印が、沙羅の頬に浮かび上がった。 できたばかりの痣を撫でながら、沙羅はつぶやく。 「私がこうなったのは和香のせい。和香が悪いんだ。和香があんなことしたから……」 スマホで動画サイトを開いた。化粧の濃い女子高生が早口でしゃべっている。彼女は、沙羅がいつも見ている動画の配信者だ。 『今日の動画は、絶交メイクについてです。これでいっぱい友だちを裏切っても大丈夫! ×印なんて気にならない!』 配信者は、次々とコンシーラーを見せている。全部、近所のドラッグストアで買える商品だ。 『絶交証明注射』 あの注射がはじまってから、カバー力のあるコンシーラーやリキッドファンデーションが飛ぶように売れている。毎日のように新商品が発売されて、売り場も拡大している。女子高生だけではなくて、男子高校生もメイクして登校するようになった。 注射を打った、ほとんどの人の顔に×が浮かび上がったから。 『絶交証明注射』とは、今年の春に政府が打ち出した政策だ。十五歳の若者が皆、この注射を打つ。 どれだけ、人を裏切ったか。 どれだけ、友情を踏みにじったか。 その数だけ、顔や体に×印の痣ができる注射だ。首相はこう言った。 『若者の皆さん、友だちは大事ですよ! 綺麗な体でいるために、みんなで仲良くしましょう!』 口ではそういっても、政策を打ち出したときに十六歳以上の人間は注射を打たなかった。 たったひとり。首相を除いて。テレビとネットで注射する瞬間が中継された。 『私も皆さんと一緒に打ちますよ。……ほら、清廉潔白なら何の問題も……ぎゃあああぁぁ!?』 鏡を見た首相は叫んだ。首相の全身に次々と、×印が表れる。印が隙間なくびっしりとできて、肌が黒ずんでいるように見えた。 大人だって悪い奴だ。その証明をした中継だった。 沙羅は他の動画を見た。 『裏切った数も×印の位置も同じ、奇跡のカプ発見!』 『×印ゲーム配信! 今夜、絶交するんで、私の×印がどこできるか当ててください。当てた方には抽選でサイン入りTシャツプレゼント!』 (私だけじゃないじゃん。裏切るのが怖くない奴) いちばんヒットしている動画のタイトルを見て、沙羅は笑った。サングラスをした配信者が、こちらに向かって歯を見せて笑っているサムネイルだ。髪の長い配信者の、両頬、首、胸元、二の腕、あらゆるところに×印がある。 『隠すなんて時代遅れ! ×印は強者の証だ! アピールせよ!』 沙羅は笑みを浮かべて動画を再生させた。サングラスを外した配信者が映し出された。 「和香!?」 沙羅は思わず、声をあげた。画面に映るのは和香。 あれは小学校のころだ。沙羅がテストで満点を取ったとき。いつも百点だった和香は、たった一問だけ間違えた。 放課後。クラスではじめていちばんになった沙羅に向かって、和香は言ったのだ。 『沙羅なんかきらーい。縁切ったー!』 和香は右手と左手でつくった輪を外す仕草をした。 和香よりがんばったら、友達じゃなくなるの? そんなことはついに聞けなかった。翌日から沙羅は風邪で休んだ。元気になってすぐに、親の都合で転校した。あの日以来、和香には会っていない。 『こんにちは。WAKAです。私は注射を打った瞬間に、こんな×印ができました。ちょっと、ひどくない?』 和香は鼻で笑うと、前髪をかきあげた。 沙羅は吹き出した。 和香の額には、×印がある。おでこの端から端まで広がるような大きな、大きな……。 『人は知らないうちに誰かを裏切るもんです。みんな、開き直って生きようぜ! いえーい!』 和香が拳をあげ、大声を出した。たくさんの×印が浮かんだ真っ赤な舌が、画面に映る。 「和香。あんた、ばかだよ。ほんと、ばかだよ……」 あまりにおかしくて涙が出てきた。 (和香、私と縁を切ったこと覚えていないんだ) 翌日。沙羅はマスクをつけて、ドラッグストアに行った。動画で話題になっていたコンシーラーを買った。店を出ると走り出した。すぐに家に帰って、×印を隠せるメイクを覚えたい。もし自分の顔に自信が持てたら、美里にまた友だち申請しよう。自撮りの仕方を教わろう。吐く息でマスクのなかが蒸れている。夏の熱で体が汗ばんでくる。それでも沙羅は走った。 早く、素肌に風を感じたい。本音だけでは生きていけない。そんなのわかってる。でも、ありのままに近い姿で生きていきたかった。 (私は和香とはちがう。和香みたいにはならないんだ……)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!