短編

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

短編

ある時から、俺は母親と交流をしなくなった。一般的に言えば、俺と母親は不仲というヤツで、俺自身は親元を離れてからは関わろうと思わなく、母親も不思議と俺に関わろうとしなかった。 家族構成は、父親と母親と長女と次女と三女俺の末っ子で生活も極普通の一般家庭であったと思う。 父親と姉達とは、頻繁にとは言わなくとも普通に連絡を取り合い、時間が合えばご飯を食べに行く事もある程度の普通の交流はしていた。 2人からは、鬱陶しく「偶には母さんと連絡しないのか?心配してる」と聞かれる事もあるが、そんな事を言われても連絡を取ろうと思えない。 父親は、母さんを想って母親とも連絡して欲しいと偶に言う。連絡しない息子の姿に咎めること無く、俺を想って矯正する事はなかった。 長女は、長子らしく責任感が強く真面目で我が家の母親と俺の不和に関して、誰よりも気を揉んで「連絡しなさいよ。実家にも顔を出せばいいのに」と会う度に言われるから苦手である。 次女は、父親として長女と同じような感情を抱いているが、俺の気持ちも考えて2人と違って何も言わない。 三女は、俺と同じで母親に対して良い感情を抱いてないが、俺と違って普通に交流はしてるらしい。 俺と母親は歪な関係であった。 母親は、男の子が欲しい願望が強かったが悲劇な事に立て続けに産んだのは女の子で、やっとこで男の子の末っ子の俺が誕生した。 一般に聞く、望んで出来た性別の子供は凄く甘やかすと言われているが、母親は俺を厳しく育て上げて過剰な程の過保護と干渉をしていた。 幼稚園の頃から友達の悪影響を受けて育たないように母親が選別していた。 ちょっとだけ、勝気で口が悪いって理由だけで友達付き合いをするなと命令されたが、俺からは男気があってカッコ良くて、当時の憧れの存在であった。 命令されても子供の俺には理解が出来ずに「いーやーだ」と泣き喚いて駄々を捏ねても許されなかった。 小学校、母親に構わずに友達を作っていたが、どうやって情報を得たのかは分からないけど俺の交友関係を把握され、口出しをしてきた。 友達に直接に俺と関わるなと忠告をされるようになってからは、1人、1人と俺に関わろうとする人が減ってきた。 学校の教師等は、それを重く見て母親を説得し始めたがどうにもならなかった。 中学に上がると、同じ小学校出身の子達から事情を聞いた別の小学校出身の子達に広まって、最初から腫れ物の様な扱いを受けた。 中学受験の時、俺の母親を知らない遠くの高校に行こうと決意をした。 俺の希望の進学先を知った瞬間に、母親は当然反対をして荒れていた。 理想は、高校から一人暮らしだったが許されるはずも無く、次のプランで母親の影響が無く実家から通える程度の進学校を希望した。 これには、迷いを見せながらも偏差値の高い進学校というだけで許可を頂いた。 自分の学力では、勉強を頑張らなきゃ行けなかったが、気兼ねなく友達が出来るかもしれないと希望を抱きひたすらに勉学に励んだ。 無事に合格が出来たと知った瞬間は、自分の努力が報われたと喜んだが一瞬だけであった。 母親は自分がコントロールをしづらい遠くの学校に通わせる事に抵抗を覚えた。 滑り止めで受けた近隣の高校に入学手続きを勝手にされた。 それを知った父親は、流石に俺の事が不憫に思って母親と戦ってくれた。 「お前、息子の第1希望の合格を取り消してどうするんだ」 「私が元々希望していた学校にちゃんと入学手続きをしたわよ」 「何故、俺や息子に聞かずに勝手な事をするんだ。折角、合格したのに可哀想だと思わないのか?」 「あの学校に知り合いが居ないのよ?私に隠れて悪い友達が出来て、変な影響を受けたらどうするのよ」 「高校生になっても、口出す気か?」 「当たり前よ!私の息子よ。私は息子の為を想ってやってるのに」 「そんなのは、息子の為にならん」 「はぁぁぁ???」 そこからは、ずっと怒鳴り合いを続けていたが俺が希望した高校の入学を辞退した事、母親が希望した高校に入学手続きをした事を覆せるわけもなかった。 強行突破をした時点で分かっていたが、その日から俺は操り人形のように母親の言う事を全て聞いていた。 もう、逃げれないんだとポッキリと心を折られた。 小中高と人間関係の干渉を続けていた。 高校3年になったばかりの春、ある事件が起こった。 ある友人が自殺を試みたのだ。母親に認められた友人は、俺と似た境遇で互いの母親に干渉される事から仲良くなった。 諦めてしまった俺と違って、友人は反抗して自由を勝ち取ろうとしていた。一般的な、グレて荒れる等は、余計に母親の干渉を強くして自分の人生を無駄にするだけで意味が無いからやらずに、望まれるやるべき事はやって自分が許せない部分だけを反抗していた。 彼は、勉強をする事に不満はないが交友関係を決められるのが1番に苦痛と話していた。 俺と同じだって思いながらも彼の反抗は俺と同様で気づかれる。それでもと諦めない。 そんな、彼の姿は僕には眩しく見えていた。 だが、そんな眩しいと思えた友人も限界が来たようで日々の苦痛を綴る日記を残して、お風呂場にお湯を張って手首を切って自殺をしようとした。 幸いに、彼の母親に見つかって直ぐに病院に運ばれて命の危機を救われた。 彼にとって皮肉であろうな。彼の母親に追い詰められた事によって、命を絶とうとしたのに彼の母親に見つかって命を繋げられてしまった。彼にとっては悲劇であろう。 その出来事は、口さがない教師によって生徒には勿論、保護者にも広まった。 俺には他人事に見えなかった。 「父さん、俺も彼の気持ちが分かるよ」 何気なく言った言葉に、本気だと気づいた父親は本格的に俺と母親を切り離す事にしたのであった。 大学は、母親が希望した家でもなんと通えそうな所を受験するフリをして海外の大学に入学をした。 俺の大学受験に関しては、俺と父親と事情を説明して担任と校長先生しか知られないようにお願いした。 校長先生らは、自殺未遂をした友人の二の舞にならないように万全を期し協力をしてもらえた。 海外にいる父親の親戚に頼って俺は大学生活の時にお世話になった。 子供が出来なかった夫婦で、自分の子供のように接して貰えて俺自身も本当の家族の様に接して甘えた。束縛をされない普通の距離感が心地良いと思った。 大学卒業後は、そのまま現地の日本企業に就職をしたが不幸な事に日本にある会社に送り込まれてしまった。幸いなのが、自分が育った街から飛行機の距離でかなり遠い所だ。 大学を行って以来、会わなかった姉達と程よい交流をするようになった。 姉達にも俺の居場所を知らせてなかったから、心配で「何処で何をしてたの」と聞かれる事が多かった。充実した大学生活を伝えて安心をさせた。 姉達と交流することになって、初めにお願いした事は母親に俺に関してる事は漏らさないでと言い、それが出来なければ、弟の俺は存在してないと思って欲しいと関わっていく事は無いだろうと話した。それに、了承した姉達は、母親に俺の事を話さなかった。 不思議な事に、父親と姉達と交流してると分かってるのに俺の居場所を必死に聞くことはないらしい。あんなに執着をされたのに母親からも俺に関わろうとしなかったのだ。 これが良いと思ってた矢先に、長女に母親が倒れて病院に運び込まれたと聞かされ、このまま一生会わない気で居るのかと問われた。 そう言われた俺は、会おうとは思ってなかったが一生会わない気でいたのかは分からなかった。 分からないこそ、会ってみよう気になった。 俺の情報を渡したいとは思わない。ただ、一回は会ってみるだけと自分に言い聞かせる。 会うことを決めた途端に、三女以外の家族は喜んでいた。三女は、辞めた方が良いと散々と言われ、三女の気持ちも分かるが分からないままで終わるのも気分が悪い。答えを出す為に、逃げる今までと違う事をしてみたくなったのだ。 久しぶりの地元の駅に到着してみれば、自分の知らない建物が増えていた。こんなにも栄えていたのかと当たりをキョロキョロと見渡してみれば、自分が住んでた時にもあった建物を見かけたら思いの外にホッと安心するものがあった。その建物自体に、語れる思い出の欠片もないのだが記憶の中で素通りする知ってる建物があるって状態が凄いのである。 バスに乗って病院の目の前まで着くと、長女が待ち構えていた。長女が慣れたように病室までスタスタと歩いていた。消毒液の匂いや日常では嗅ぎなれない愉快とは言い難い匂い。 長女が立ち止まった病室の前に、複数の名前と共に母親の名前も表示されていた。 中に進むと、それぞれのカーテンで仕切られていた。長女が遠慮なくカーテンを開けた所が母親の寝所だろう。続けて中に入る。 母親の姿は、記憶の中よりも老けて痩せ細っていた。あんなに、大きく見えて怯えていた相手なのに、今では俺の方が強いと何故かそんな感情が湧き上がってくる。 「花の水を変えてくる」 長女は、配慮か分からないが俺の意見も聞かずにさっさと花の水を変えに行って、母親と2人きりにされた。 母親は、俺を視界に入れると何も言わずにジッと見つめていた。 俺も何かを話そうと気もなれずに観察するように見てみる。 どれくらいの時が経ったかは分からない。長女が帰ってこないから、そんなには経っていないのだろうと推察する。 母親が口を開く、俺は何を言われるのか緊張していた。 今まで、何をしていた? 今まで、どこに行ったの? 何故、騙したのか? 何故、逃げたの? 思いつく限り考えてみたが、どれも違ってありふれた言葉だった。 「久しぶり」 余りに、普通でびっくりをしてしまった。 母親の印象は、俺の意見なんて聞かずに決めつけて俺の全てを支配する人であったから、普通に挨拶するとは思わなかった。 挨拶には挨拶を返さなければいけないのに、口が重くて口の中がピタッと張り付いている。 母親は、俺の様子に悲しげに語り始めた。 「私も悪かったのよね」 (??) 「私の姑...貴方のおばあちゃん」 母親が語ったのは、祖母が立派な跡取りを産めとプレッシャー掛け続けられたらしい。なのに、女ばかりが産まれて責められてきたと言う。男の俺が授かった時は、大変嬉しかった。そこからは、立派な子に育てなきゃとプレッシャーを与えやれ、実際に母親も同じような事を思うのだ。幼稚園の頃に、俺に教えてないガサツな単語を言うようになって、悪い子の影響を受けると恐怖に陥ってあのような教育になった。 「本当にごめんなさい」 周りの同室の人達に迷惑にならないように、静かに涙を流していた。 その姿を見て、俺は昔の記憶を思い出していた。 姉達は、自由な交友関係、自分で進学先、興味のある習い事、休日の遊び方が本当に自由だった。 俺は、全て母親が決めてて何一つの自由がなかった。 高校の時に、なんとも思ってなかったクラスメートに手紙を渡されて、あの時の必死な姿と丁寧に書かれた字と一生懸命さが伝わる内容に、気になる子へと惹かれ始めていたのだ。その手紙は、誰にも見られないように机の奥に隠していた。ある時、その手紙が引き裂かれて無惨な姿でリビングのテーブルに置かれていた。机の中まで勝手に見られるのだと、自分の自由のなさに嘆いたのを覚えてる。 「この子と付き合うの許さないよ」 「なんで?」 「ママ友の情報で、この子は両親が離婚して母子家庭らしいのよ。離婚する位に、母親に問題があったんでしょ?こんな、汚らわしい女の子供なんて、ろくなもんじゃないわ」 「母子家庭の何が悪い?お母さんの方が悪いと決まった訳じゃないのに」 「離婚してるんだから悪いに決まってるでしょ?貴方は、子供だから知らないのよ。私は、貴方のことを思って言ってるのよ」 「そんなことないって」 「あの子と付き合わないよね?付き合ったらどうなるか分かる?」 今までの母親のやらかしで異常さを知っている。反抗をし続ければ、素敵だと思い始めた子に迷惑掛けてしまうと思った僕は、その子に断りの返事をした。淡い初恋になりそうだと予感をしていたのに...。自分にとっては苦い思い出となった。 ふと、そんな事を思い出す。何故、今の状況で脳裏に思い浮かんだのだろうか...。 母親が泣きながら謝罪の言葉を繰り返す。 こんなに泣いてるのだ。慰める言葉を言わなくてはいけないのに、それが出来ない。 シャッと突然にカーテンが開いた。花の水を変えてきた長女が戻ってきた。母親の姿に驚きながら、ハンカチを取り出して涙を優しく拭いていた。 長女が来たことによって、固く閉じてた口を開く。 「俺を厳しくしてた理由は分かった。母さんも大変だったんだな」 「え~。私が居ない間に仲直り出来たの?」 長女母親が俺を期待した様な眼差しを向けてきた。 「話を聞いても、今後も母さんに会うことはない。申し訳ないけど、俺を居なかったと思って欲しい」 「なんで」 「やっぱり、許せないよね」 「許せる許せないじゃない。会いたいと思わなかっただけです。産んでくれた事に感謝します。ありがとうございました」 「意味が分かんない...ちょっと」 俺は頭を深く下げて、長女に呼び止められたのも無視して部屋を後にした。 今日は、一生会わないと確信した日である。 病院を出て、バス乗り場に向かってる途中で腕を掴まれた。 「ちょっと待って」 「姉さん」 「いや、本当に意味わかんない。なんで急にあんな事を言ったの?」 心底、理解出来ないと顔に書いてある長女に、丁度話したい事、ずっと長女に思う事があったから場所を移動する事を提案する。 近くにあるファミレスに入って、程よい賑やかさで話し合いに向いていた。 「姉さんって、部活や部活の自主練に打ち込んでて、寝る為だけに家に居なかった」 「そうね。それがなんなの?」 「だから、俺がどれだけ母さんに苦しめられたか知らないんだ」 「厳しかったとは思うけど...」 「姉さん達は、自由だった。だから、分からないんだよ。何もかもを支配される苦しみを」 「それでも、さっさと逃げたじゃない」 「俺が自由で居られたのは大学からだ。それまで、母さんが認めた物以外は許されなかった。友達も恋も進学先も着る洋服全てまで、俺の意見は許されなかった」 長女は、今まで軽くとしか思ってなかった母親の干渉の酷さに口を閉じた。 「姉さんは、全て自分が思うままに進んできたから俺の苦しみを分からない。だから、簡単に母さんに連絡しろと言うんだ」 「お母さんのしてきた事は、やり過ぎだと思うよ。反省してるんだし良いじゃない」 「俺は、母さんを信用出来ない」 「それも、時間をちょっとずつ掛けて...ね」 「なんで、母さんの為に時間を割かなきゃいけないんだ」 「それは、親子だし...円満の方がいいって」 「その考えは、恵まれてきたから言えるんだ。今日、母さんに会ったら自分が惨めだった時代を思い出した。悔しい...」 「悔しい?」 「あぁ、自分が情けねぇよ姉さん。言いなりになった自分がさ...本当に辛くて惨めで思い出したくねぇ」 「それは...」 「母さんが、今日語った事で、大変だったのは分かる」 俺は、長女に先程思い出した記憶を姉さんに話した。 「どんなに大変だったと分かっても偏見まみれの母さんに期待はしない。戻れないあの頃の時間だけでも苦しいのに、母さんの為に時間を割きたいと思わない」 「そう」 「母さんが倒れても、亡くなっても俺に連絡しないでくれ。関わりたくないんだ」 「そこまで」 長女は悔しそうに涙を流していた。 「ごめん」 「分かった」 (私も悪かった) その言葉は、どういう意味だろうか。祖母に苦しめられて、祖母が悪くて自分も悪かったという意味か...。あるいは、俺自身も悪かったと言っているのだろうか。 いつも、俺の為だと言っていた。 痩せ細って弱々しく見える母さんだが、母さんの目を見ると分かる。あれは、まだ俺を支配したいと思っている目であった。 今後、誰かと付き合って結婚までに発展し子供が生まれれば、奥さんにも子供にも悪影響である。 将来の為を思うなら、母さんと関わらないのが1番なのであろう。 皮肉な事に、今日は5月の第2土曜である。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!