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 母を納得させるため、あらかじめ独身寮のある会社を選んでいた。私は独りではない。いつでもどこかしらに人の目があって、私に何かあったときには連絡が入る。そう、説明するとようやく条件付きで納得してくれた。  条件とは、子供のころからの生活の決まりを、ずっと守り続けること。なんだ。そんなことか。それこそ口約束でいい。私は精いっぱい誠実な顔をして頷いてみせた。  いざ一人暮らしが始まると、私を心配して毎日のように電話をしてくる母が鬱陶しい。  そんな日々があまりに続くものだから、地方への転勤を希望し、寮を出て、母には行先を告げなかった。  携帯の番号も変え、ついに私は母からの連絡を一切受け取れないようにしてしまった。  決して葛藤が無かったわけではない。  私も母のことを深く愛している。感謝もしている。  なのに、この言いようのない嫌悪感はどうしようもなく、濃く私にこびりついたままなのだ。母の姿を見るたびに、声を聞くたびに積み重なり、濃縮されていく。  優しく、ふんわりと抱きしめられたことを思い出すと怖気が走る。少しも触れたくないとすら思う。  なぜ?   私だって、安らかな気持ちで母に包まれたい。  何度も想像した。別の『母』を。私を心地よく抱擁してくれる『母』という存在。私のすべてを許し、認め、受け入れてくれる人。  抱きしめてくれた背に腕を回したい。思いやりたい。愛を返したい。  それなのに、なぜ私は――。  目の前の母に対しては到底、それができそうにない。 「お母さん……」  何度も一人で涙を流した。母が、あの人でなければ良かったのに。 たった一人の家族。たった一人のお母さん。愛している。感謝している。  それでも、どんなことをしても一緒にはいられないほど、あの人のことはただただ気持ち悪い。 「ごめんなさい……」 私はせめても罪滅ぼしにと、月に一度わずかながらの仕送りと手紙かかさず送るようにしていた。
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