聖竜と邪竜

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豊かな大地と流れる山河の恩恵を受け、大きく発展した街があった。 商人が交易のために立ち寄るため、多くの宿屋や酒場が立ち並び、 旅人たちに対する観光業も盛んだった。 そこへ或る日、一匹の黒き竜が現れる。 街にある数百人が収容できる教会よりも大きな身の丈に、 黒々として艶めかしく煌めく鱗に、トカゲの顔を思わせるも、 その大口の中はそんな可愛らしいものではなく、 咀嚼よりも引き裂くことを目的としたような牙が並んでいる。 黒き竜はその身の丈からは少々小ぶりな腕を振り回し、 人々が建築に長い歳月を有した建物を一撃で払い倒してしまう。 その残骸は雨のように降り注ぎ、人々を恐怖のどん底へと叩き落す。 さらには大きな咆哮と共に、口から灼熱の炎を吹き出し、 街の半分を焼き尽くした。 街の人々が怯えながら、泣きながら、絶望しながら逃げ惑う中、 天高く飛翔する白銀の竜が舞い降りた。 身の丈は黒き竜と同等だったが、その洗練された立ち振る舞いや、 流麗とした白銀の鱗は人々の恐怖を晴らす力があった。 白銀の竜は黒き竜をそのしなやかな尻尾で叩きのめす。 黒き竜はたまらずたたらを踏んだ。 白銀の竜は片腕で、黒き竜の頭を地面に押し付ける。 すっかり力を失い、倒れ伏した黒き竜。 白銀の竜は、 荒れ果ててしまった街をゆっくりとその大きな首を巡らせて一瞥すると、 黒き竜の首を両手で掴み上げ、翼をはためかせて天空へと還っていった。 街の人々は惨劇の跡に取り残されながらも、 両手を組んで天を仰がずにはいられなかった。 「それが、99年前の今日起きた出来事なのです!」 わっと観衆の声が沸き起こる。 大きな街の中心には、ひと際目立つ広場があった。 円形の窪地になっていて、 徐々に段差をつけて中心に向かうような構造になっている。 その中央には、聖なる竜を象った見事な銅像が立っていた。 聖なる竜の足元には、地に臥せった邪竜が倒れている。 まさに、街を救った聖竜をたたえた象徴だった。 「今ではすっかり街も復興を終え、さらには数倍にも発展がなされました。 それもこれも、聖竜様のおかげなのです!」 またまた歓声が飛び交う。 銅像のすぐ下で、演説のように聖竜の伝説を語るのは、街の若い役人だった。 銅像を囲うように、民衆が祈っていたり、拍手を送っていたりする。 「竜が人を救うという行動は、非常に稀な事ということで、 研究者たちもその理由を未だに明らかにはできていないのです! まさに奇跡!」 役人はそう言って、いよいよ語りのクライマックスに突入する。 「来年はいよいよ、聖竜様がこの街を救ってくださって100周年なのです! 街をあげての盛大な催し物が行われる予定なので、皆さまもぜひまたこの街にお越しください!」 役人のパフォーマンスに近い解説を聞き、 青年は人込みからやや離れたところから拍手を送る。 年のころはまだ二十代前半というくらいだろうか。 燃えるような赤髪が特徴だ。 小脇には、紙袋を抱えていた。 「実にたくましいな。復興はもとより、厄災を商売に利用する気概。 なんと商魂たくましい」 周囲はすっかり夕暮れ。夕日が竜の像を照らし、その影を大きく作っている。 その先端あたりに位置する場所、 広場の段差に腰を下ろしてうなだれる青年がいた。 艶やかな黒髪が特徴的だった。 大衆は銅像の周囲に集まっているため、 遠巻きに見るとぽつんと孤立している。 この広場に来る者たちは、 銅像を観に来るので彼のような行動を取るものは珍しい。 赤髪の青年は、彼を見るなり気さくに話しかけた。 「やあ、こんなところで同族に会うとは思わなかった。 気落ちしているようだが、どうかしたのかい?」 二人は年齢こそ近そうではあるが、顔立ちや身なりはまるで違う。 黒髪の青年は顔を臥せったまま応えた。 「ああ。まあ、何というか……。この場所にいるとため息が出るんだよ。 もちろんそれには理由があるんだけど」 「ほう、それは興味があるな」 赤髪の青年は、黒髪の青年の横に腰掛ける。 手に持っていた紙袋を、大事に石畳の上に置く。 黒髪の青年は、顔を赤髪の青年の方に向けて問いかける。 「君は、この街の伝説を聞いたことはあるかい?」 「もちろん。実は私の母がこの街特産の『聖竜チーズケーキ』が大好きでね。よく買いに来させられるんだよ」 赤髪の青年は、紙袋を持ち上げてほほ笑む。 「ああ、そうなのか……。 それも何とも、俺としては感想を述べにくいな……」 「よかったら、話を聞かせてくれないか?」 黒髪の青年は、一つ大きなため息をついてから顔を上げ、 銅像を見やりながら意を決したように口を開く。 「あの邪竜……、俺なんだよね」 「……何だって?」 赤髪の青年は予想のつかない言葉を受けてか驚いていた。 「いや、本当に若気の至りなんだよ。生まれて三か月くらいかな。 ちょうど火を吹けるようになって、テンション上がっちゃって。つい……ね」 「それは……。まあ確かに気持ちはわかるが……」 「いやいや、俺も分かってるんだって。ホントに馬鹿な事やっちまったって」 「では、あの聖竜というのは?」 「ああ、母さんだよ」 黒髪の青年は、再びうなだれる。 「なるほど。という事は、この街の伝説は、暴れまわっている困った息子をせっかんする母というのが真実か。 これはまた、貴重な話が聞けたよ。研究者たちに話しても、信じてはもらえなそうだが」 赤髪の青年は小さく笑う。 「改めて言わないでくれ。情けなさが際立つだろ」 「しかし、それならなぜ、こんな場所にいるんだい? ここはいわば、君の恥の中心地ともいえるわけだが」 「母さんの言いつけでさ、100年間毎年一度この場所に来て反省しろって」 「そうか、それは難儀だな……」 赤髪の青年は、黒髪の青年の肩をぽんと叩き、気遣ってやる。 「母に頭が上がらない気持ちはわかるさ。私もこうして、いまだに小間使いにされているわけだし。竜族の母は強すぎて困るくらいだ」 「そう言ってもらえると、少しは気が楽になる」 「よし、ここで会ったのも何かの縁だ。 気晴らしに、共に飲みに行こうではないか」 「いいけど……。この時期は、どの店も伝説フェアとかいって、聖竜の話に絡んだサービスをやってて、酒がまずく感じるんだ」 「まあまあ。そうやって君をある種戒めるのがご母堂の差し金なのだ。一つ受け入れて大人になろう。なに、ここは私のおごりだ」 黒髪の青年は、赤髪の青年の提案に身を乗り出す。 「……飲みたい気分なのは確かだ。じゃあ、いっちょパーっと行きますか!」 「あまり羽目を外して、人化の魔法が解けるようなことはしてくれるなよ。 でないと、私が次の聖竜にされてしまう」 二人は笑い合いながら、街の人込みに消えていった。
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