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エピソード 3
「おい、起きろ。」
ザワザワとした喧騒の中、ぶっきらぼうな男の声が落ちてきて、茜はぼんやりと目を開けた。
何かにもたれかかって寝ていたらしい。
うっすらとかすむ視界に、数人の人間が自分の顔を覗き込んでいるのが見えた。
それまで茜が見たこともないような派手な色の服装、長い漆黒の髪、日に焼けた褐色の肌の男たち。
大きな金色の首飾りの男が、ぎらぎらした大きな黒い目で、茜を射ぬくように見つめて口を開いた。
「お前、誰だ。どこから来た?なんで俺たちの荷馬車にいるんだ。」
茜はその鋭い眼差しに怯え、息を飲んだ。
荷馬車って、何?
意味わかんない。
男に返すべき返答を絞り出そうと茜は、頭を巡らせる。
夏休みで。。
ピアノのレッスンに行き。。
素子先生から、「偉人たちの恋文展」のチケットをもらって。。
博物館に行った。。
途切れ途切れに記憶をたどる。
そこで。
グランチェスターの恋文を見たんだった。
あの時。わたし、ふらついて。
そう言えば。
部屋の様子がおかしかった。。。
「わかんない。。。私、なんでこんなところにいるんだろう。」
男の質問に答える、というより、茜は自分自身を力づけるように声を出した。
「それは、何も覚えていない、と言うことなのか?」
男は、茜の返答を慎重に確認する。
後ろに立っているふたりの男たちも険しい顔つきで成り行きを見つめている。
正確には覚えていないのではなくて、どうしてここにいるのかがわからないのだけれど、茜はこくりとうなづいた。
博物館の出来事の後、ここで寝ていたと話せば、頭がおかしいと思われるかもしれない。
記憶がないと思わせていた方がマシだ。
これは、夢なのだろうか?
夢なら早く覚めてー。
しかし、これは夢ではないと茜が今着ている紺色のワンピースがささやく。
ピアノのレッスンの時は、きちんとした格好で行きなさいよとママが言うから仕方なく着ていったワンピース。
間違いなく、この格好で博物館に行ったのだ。
けれども今、あの時、手に持っていたはずのピアノ教本の入ったレッスンバッグが見当たらない。
ひょっとして。
恐ろしい考えが頭をよぎる。
そう言えば、面白くてテレビで毎週見ていたドラマ「信長協奏曲」
詳しい設定は忘れてしまったけど、高校生男子が、塀から飛び降りたら戦国時代にタイムスリップしてしまった、という物語だった。
あのサブロー君もタイムスリップのショックで、カバンに入っていた教科書を失くしたんだっけ。
まさかー。
私もタイムスリップを?
そんなことってー。
「わからない。なんでここにいるのか、全然わからないの。」
急に怖くなって、泣き出したくなる気持ちを必死に押さえて、茜はつぶやいた。
「君、邪魔なんだけど。俺のヴァイオリンケースに触るな。」
その時。
冷たく感情のこもらない声と共に、金色の首飾りの男の後ろから、ひとりの少年が現れて、茜のすぐ後ろに置いてあった黒いケースを取り上げた。
茜には目もくれず、そのまま立ち去ろうとする。
「ああ、リオン。すまない、ちょっと遅くなる。先に音だししておいてくれ。」
金色の首飾りの男が、その少年の後ろ姿に声をかけた。
「了解、ウェントス」
少年は、振り返りもせず、左手を上げて合図した。
肩までの柔らかな栗色の髪、すんなりと伸びた手足、少女のように整った顔。
一度見たら忘れられないくらいの美少年だ。
「で、どうするんだ?お前、どこか、行くあてはあるのか?」
ウェントス、と呼ばれた金色の首飾りの男が、茜の目をのぞきこむ。
口調もさっきより、いたわりの優しさがにじんでいるように思える。
私、どうすればいいんだろう?
警察に行く?
行って何を説明すればいいの?
そんな、茜の様子を見て、ウェントスが力強く宣言する。
「行くところがないのなら、俺たちと行こう。俺たちは、何者にも支配されず、何事にもとらわれず、風のように生きる放浪の民。」
なぁ、と言うようにウェントスが、同じ漆黒の髪をした男たちに同意を求める。
「そうだ、行こう。俺たちジプシーの音楽団と。俺たちは来るもの拒まず、去るもの追わず、だ。」
鮮やかな緋色のサッシュベルトの男も歌うように言う。
「社会のしがらみに縛られることなく、自由に、きままに生きていこう。音楽とヒースを渡る風を感じることかできれば、俺たちは幸せだ。」
漆黒の髪の男たちの熱い言葉を聞きながら、茜は今夜ここで寝て、明日朝起きたら、自宅のベッドで目を覚ましますように。
そう祈りながら、茜は、男たちの「一緒に行こう」という言葉にうなづいたのだった。
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