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エピソード 9
「やったー!ウェントス、ありがとう。」
フィンは飛び上がって喜んだ。
「ちゃんとアカネをエスコートしろよ。」
そう言ってウェントスは笑いながら軽くウィンクを飛ばす。
「もちろんさ。アカネといっぱい楽しいことしてくるね。さぁ行こう、アカネ。」
フィンが茜の手を引っ張って、遊園地に向かって走る。
「待って、フィン。そんなに早く走れないわ。」
茜は苦笑いしながらフィンの背中に抗議の声を投げた。
チェルシーパークは、ホイットチャーチにある広い公園と遊園地が併設された人々の憩いの場。
ここを経営するチェルシー伯爵が、「階級や身分に区別なく皆が楽しめるように」と作った遊園地だということだ。
今日ジプシーたちは、その遊園地で公演をさせてもらい、いつものように拍手喝采を浴びた後、公園の隅にテントを張り、今夜の夜営の準備を整えた。
するとウェントスは茜とフィンを呼び、遊園地に行って楽しんでくるようにとお小遣いを渡してくれたのだった。
時間を気にせずゆっくり楽しめばいい、そう言って。
ウェントスは、リリーの死に母親のライラ以上に茜が憔悴しているのを感じていた。少しでも気分転換になれば。
茜は、リリーの眠るシュルーズベリーの街にもうちょっといたい、と思っていたのだか、逆にジプシーのメンバーたちは、その悲しい想い出の街を早く出発したかったのだ。メンバーが亡くなることは珍しいことではない。気持ちを切り替えてまた新しい明日に向かうために。
だから、ジプシーたちは、結婚式の宴で演奏した足ですぐに次の街、ホイットチャーチにやってきたのだが、茜だけが前に進めないでいる、そんな風にウェントスは思っていたのだ。
「ねぇ。アカネ、あれに乗ろうよ。」
フィンが指さしたのは、すべてが木製の回転木馬。
ゆっくりと赤や青に塗られた木馬が回っている。
「うわぁ。素敵ね!古い木馬。」
「いやだなぁ、アカネ知らないの?あれ、古くないよ。回転木馬って、最高に新しいんだぜ。イングランド中でもあれがある遊園地なんてそんなにないって。」
「えー?そうなの?」
すべて木で作られた回転木馬なんてイマドキじゃないと思ったけど、意外と最新鋭なんだ。
茜とフィン、街の子供たちが乗った大人気の回転木馬は、ゆっくりと三周するとまた同じ場所に戻って止まった。
「あー。終わっちまったー。あと一周して欲しかったな。」
そう言ってフィンは後ろの木馬にいる茜ににっこり笑いかけた。
「もう一回乗る?」
茜が尋ねると
「ううん。それよりも他のを見たい!」
そう言って先に降りたフィンは、木馬を降りる茜に手を貸す。
フィンといるとレディになった気分だわ、茜は思う。
「次は、射的もいいよなー。オイラ、弓を引くのが上手いんだ。アカネにいいところを見せたいし。」
フィンが嬉しそうに茜を見上げて弓を構える仕草をして見せた後、正面に見えてきた広場に気付いて
「あそこ、ナポリの騎士像に行こう。」
フィンが叫んだ。
「ナポリの騎士像?」
「そうさ。ここの遊園地に前にきた時にウェントスが教えてくれたんだけど、あの騎士像二体の間を目を閉じて通り抜けることができたら、願いが叶うんだ。アカネ、やってみなよ。」
見れば、向こうの広場に石で作られた馬にまたがる大きな騎士が二体、50メートルほど間をあけて向かい合って立っている。
あの間を通り抜ければ、願いが叶う。
「わぁ。面白そう。フィンは以前にやったの?私もやってみるわ、おもしろそう。」
茜の願いはただひとつ。家に帰らせて欲しい、だ。
まずはじめに、像と反対側の広場のスタート地点に立ち、目を閉じる。
そうして、まっすぐに像と像の間に向かってゆっくりと歩き出すのだ。
一緒にいる人は、まっすぐ目的地に到着できるように声で誘導しても構わない。
「方向が狂ったら、アカネのすぐ近くで教えるから、オイラの声に集中しておくれよ。」
フィンが声をかける。
「わかったわ、よろしくね、フィン。」
茜はフィンに笑って答えてから、二体の像を見つめ、ここからの距離を頭の中で測ってみる。
50メートルくらい?
茜は目を閉じて、ゆっくりと一歩踏み出した。
「そうそう、その調子!いいよ、アカネ。まっすぐ進んでいる。」
フィンが茜の少し後ろの方から上手く誘導してくれるせいか、足を出すのが怖くない。
茜はぐんぐん像に向かって進んで行った。
「あと少し!アカネそのままだよ。5ヤード。」
5ヤードがどのくらいなのかはわからなかったけど、もうすぐに違いない。
あと少し。
ペースをあげる。
「アカネ、危ない!」
ドン!!
フィンの叫び声が聞こえたのと同時に茜は何かにぶつかってしりもちをついた。
「いたぁ。」
「アカネ、大丈夫?」
後ろからフィンが駆け寄る。
目を開けると地面に絵の具や筆が散らばっていて、目の前に大きな手が差し出されてた。
「申し訳ない、お嬢さん。大丈夫ですか?」
見上げると差し出した手の持ち主が申し訳なさそうにたたずんでいる。
淡い金色の髪、青い瞳の爽やかな青年だ。
絵描きなのか、キャンバスを片手に抱えている。
「ごめんなさい。目を閉じていた私がいけないんです。」
茜は謝りながら、差し出された青年の手をとった。
青年は茜を助け起こすと
「もしかして、目を閉じていたのは、願いごとをするため?」
いたずらっぽい笑顔を見せた。
「はい。騎士の像の間を目を閉じて通り抜けることができたら、願いが叶うと聞いたので。」
茜は急に恥ずかしくなってきた。そんな迷信を信じてると大人に思われることが。
「いいね。僕も挑戦したことがあるよ。ずっと以前にだけどね。」
「お兄さん、その時の挑戦で願い事は、叶ったの?」
そばにいたフィンが口を挟んだ。
「オイラも前にやった時、願いがかなったんだ。」
どうだ、と言うようにフィンが胸を張った。そのフィンの願いは、思い切りたくさんのトウモロコシを食べたい、という願いだったのだが。
青年は、フィンの言葉に短く笑って
「もちろん、願い事は叶ったよ。まぁ、小さな願い事だったんだけどね。」
そう言うと腰を屈めて散らばってしまった絵の具を拾う。
茜とフィンもそれを手伝って絵の具を集めて彼に手渡した。
「ごめん。筆の絵の具が飛び散ったみたいだ。君のスカートに青い絵の具がついてしまった。」
みると茜のスカートの裾に青色のシミがついている。
慌てて青年はポケットからハンカチを取り出した。
自分で拭くべきか茜にハンカチを渡すべきか少し悩んだ後、彼は自分で拭くことに決めたようだ。
かがんで茜のスカートを軽くつまみ、ハンカチを押し当てる。
「洗えば大丈夫ですから。」
茜は恐縮して青年に笑いかけた。
「君、街の子?家はどこ?よかったら僕の家にくる?代わりのスカートがあると思うんだ。」
「あ、だっ、大丈夫です。私たちジプシーなんで、家はこの街にないんです。」
シュルーズベリーの街での医者たちの対応がよみがえり、茜は慌ててフィンの手を引っ張る。
「ジプシーは卑しい身分。」
茜たちがジプシーだと気づかなかったから、その青年は親切にしてくれたけれど、わかった後はどうなるのか。
親切にされた分辛く感じる。
フィンがモゴモゴと何かを言いかけたが、茜はフィンの手を引いてその場を立ち去ろうと青年に背中を向けた。
「君たち、ちょっと待って。」
青年の声が聞こえたような気がしたけれど、茜は後ろを振り向かずに足早に走り去ったのだった。
次の日、ジプシーたちが呼ばれたのは、そのチェルシーパークの持ち主、チェルシー伯爵の居城だった。
チェルシー伯爵が、皆さんを食事にご招待したいとのことです、と連絡が入ったのは、昨日の夕刻。
演奏、ではなく、食事への招待、にジプシーたちは驚いた。
何かの間違いではないのかといつでも音楽を奏でられるように、と準備をしてでかけたジプシーたちは、チェルシー伯爵の誘いが本当に食事であったことにかなり驚いた。
テーブルに並ぶ豪華な食事。しかも私がいては気詰まりだろうから、とチェルシー伯爵は姿を見せない。
気兼ねなくジプシーが食事を楽しめるようにとの伯爵の配慮らしい。
街の人々に愛されているチェルシー伯爵。
彼が身分や階級に関係なく人々が楽しめるチェルシーパークを作った、というのも納得できるね、ジプシーたちも食事をしながら口々にささやいていた。
茜も皆の心地よいおしゃべりに耳を傾けながら、イングランド風に固めのパンで作られた小エビのサンドイッチを楽しんでいた。
すると部屋の隅に控えていた老人が頃合いを見計らって茜に近づき、
「少しお時間をよろしいでしょうか?私についてきていただけますか?」
と耳打ちした。
隣にいるフィンも食事に夢中で気付かない。
なんだろう?
茜はうなづいて席を立ち、その老人の後を静かについていく。老人は広間を出て長い廊下を進み、ある部屋の前にくると
「ルイスさま、お連れしました。」
ノックをして茜を案内した。
ドアが開かれ、豪華な装飾品に囲まれた部屋で満面の笑みを浮かべて立っていたのは、昨日の絵描きの青年だった。
「昨日は申し訳なかったね。会えて嬉しいよ。僕はルイス・ウィリアム・チェルシー。」
この人が、チェルシー伯爵?
茜は、しばらく口がきけないでいた。
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