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第3話_いざ伊豆へ
次の日、たまたま授業のコマが少なかった蒼矢は普段より早く帰宅した。
いつも通りの帰路を辿り、家の門をあけ、玄関に足を踏み入れるといつもと違う景色に目を少し見開いた。
「…!」
見知らぬ靴が一組、真ん中に並べてある。
年に数回あるかないかのイレギュラーだったが、それをしばらく眺めた後表情を戻し、隣に揃えて靴を脱ぐ。見た覚えのないパンプスだが、趣味や傾向は解ってるつもりだ。
「…帰ってたんだ」
そうぽつりとひとりごとを漏らすと、リビングのある二階へと上がっていく。
「…おかえ」
『SOYA!!』
リビングへ入るや否や、日本語らしからぬイントネーションの少し甲高い声が届き、ついで首に思いっきり抱きつかれてよろめいた蒼矢は、そのままソファを背にし押し倒された。
「…か、母さん…!」
『久し振りね、我が息子! 帰っても誰もいないんだもの、待ちくたびれちゃったわよ』
『いつ帰ったんですか…』
『昼過ぎよ。久し振りに三日も休み取れたから、勢いで帰ってきちゃった』
浴びせかけられるチークキスに目を白黒させながらも英語で返す愛息に、覆い被さる母・髙城 結子は悪戯っぽく笑ってみせた。
蒼矢父は中央省庁官僚だが、母の結子は海外商社に勤めていて、第一線でバリバリ働いているため一年のほとんどを海外で過ごし、帰国してくることは年に数回しかない。教育熱心で厳格な父とは対照に明るく奔放で、こうして予告なしに帰ってきては、会う度に成長していく一人息子に過度なスキンシップで愛情を注いでいる。
帰国するごとに蒼矢の身長とスリーサイズ諸々を測っていくのもお決まりで、地味で無頓着な彼にかわって海外ブランドの服を、季節の変わり目ごとに大量に送りつけている。
それら全て、親らしいことをしてあげられてない結子の後ろめたさや複雑な思いがあってのことで、蒼矢も手余しつつも素直に受け入れている。
余談だが蒼矢は結子似で、彼が常にかけている黒縁眼鏡がなければそっくりと言ってもよく、この美人母の美点を取りこぼすことなく受け継いでいる。
土産話やお互いの近況報告に会話を弾ませつつ、恒例の身体測定が始まる。
「…あら、あまり変わってないのね。そろそろ止まったかしら?」
メジャーをあてながらスマホにメモする母の横顔を眺めつつ、蒼矢は内心がっかりしていた。
測り終えると、結子はリビングを見回した。
「蒼矢父に任せっきりだけど、生活に変わりはないの? 家電とか家具とか、足りないものがあれば買いに行くわよ」
「いえ、大丈夫です。…!」
返答してから蒼矢は何事かに思いつき、そしてリアクションしてしまったことにすぐ後悔する。
「? 何かあるの? 欲しいものがあるならちゃんと言いなさい」
「あ、いえ…」
「親相手に遠慮しないの! あなた普段から何も欲しがらないんだから…離れて暮らしてるから心配なの。私が帰ってる時くらい、わがまま言ってちょうだい」
言葉を濁す息子の両腕を掴み、結子はいつになく真剣な眼差しで見上げた。母に言い寄られ、蒼矢はややためらうように沈黙した後、頬を紅潮させながら視線をそらした。
「……実は…」
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