第一部

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 少なくとも、西暦二千三十年までは、日本はまだ社会的な統制を保っていた。だけど、国際的な紛争が世界各地で頻発し、その結果世界中に難民が溢れかえることになった。日本国憲法第九条で自衛権の行使以外の武力行使を禁止している我が国は、国際的な紛争に直接関与することは少なかった(米国の後方支援、主に兵站、ロジスティクスは行われていた。ただ、それが集団的自衛権の行使の範疇であるかどうかという議論が白熱した)。しかし西暦二千三十年。「難民受容法」が国会で可決された。その後施行されたこの法律が、日本を混沌の渦に叩き込んだ。難受法(難民受容法の略)の施行と同時に、東京には多種多様な人種の人々がごった返した。問題となったのはこの法律の、難民認定に関する事項だ。当然のことながら、難民が戦地を逃れ他国に入る際には、難民認定が必要となる。難民認定をもらうことで、当該国内の滞在が認められるのだ。これは二千三十年以前の各国の難民受け入れに関係するどの法律でも規定されていることだった。だが「難民受容法」で画期的であった(その革新性が仇となったのだが)事項というのが、難民認定を“入国後に”申請できるという点だった。可及的速やかに紛争地帯から退避せねばならない難民に対するせめてもの慈悲のつもりだったのだろう。しかしその結果、本来想定されていた以上に、指数的な勢いで外人が日本に流入したのだ。外人、と表記したのは他でもない。想像自体は難しくないと思うが、難民認定を入国後に申請できることで、本来難民とは認定されることがないであろう人々――例えば日本に出稼ぎに来たかったが、在留資格を獲得できなかった東南アジア系の人々など――が津波のように押し寄せた。その結果、東京には正式な許可を取らず、不法入国にあたる行為で流入した連中が住処を失った蟻のように溢れかえることになった。一箇所に言語が集まりすぎたのだ。バベルの塔、の話は有名だろう。神域を侵そうとした人類に対する罰として、意思疎通の手段である“言葉”を奪う。その結果は言うまでもない。統制を失った人々は乱れ、最終的に塔は崩壊する。それと同じことが東京でも起こった。つまり言葉が通じないことにより(翻訳機があるにしても、各国間のイデオロギー等の違いが軋轢を生んだ)、意思疎通が困難であるため、社会的な規律が崩壊したのだ。
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