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瞼の先で、淡くぼやけた白い光を知覚する。まるで現実感がなく、身体の感覚というものが全て取り除かれたような、ぼんやりとした浮遊感が全身を包んでいた。思考回路も間延びしているようで、自分をいつも後ろから観察している客観視の自己がうまく機能していない。つまり今自分が何を考えているのか自分でもよくわからないわけで、緩慢に時間が流れていく感覚だけが内を支配していた。
ふと、懐かしい香りが漂っていることに気が付いた。心に深く沈み込むような、そんな匂い。女性ものの香水。少し男らしい力強さがある中、女性を意識させる甘い香り。この匂いを嗅いだのは久しぶりだ。ということは彼女が傍にいるのだろう。俺はかなりの重みを放っている瞼を強引に押し上げた。目が少し開けた途端、網膜を莫大な白い極光が蹂躙する。網膜が眼球内に入る光量を調節し始めて、しばらくした後、周囲の状況を確認できるようになった。
白、が辺りを支配していた。白い蛍光灯、白い壁紙に、白いカーテン。目に入る全てが白くて、俺はこれまでの経験からここが病院であることを理解する。ここが病院だということは、俺は恐らくベッドに寝かされていて、何らかの事情で運び込まれる事態になったらしい。一体、何があったのか。俺は脳内のライブラリを参照する。確か、セレネをセントレアまで移送しようと寝床を出て、環七に通りかかったところで、車に撥ねられて――。
「――セレネ」
思い出した。俺は突っ込んできた車からセレネを守って吹き飛ばされて、特高の男に殺されそうになったんだ。頭を撃ち抜かれそうになって、誰かが男の腕を吹き飛ばした。
俺はそこで自分を助けてくれた女性が、すぐ傍にいるであろうことを思い出す。感覚の薄い首を右に動かすと、周りの白に相容れない色が混ざっていることに気が付く。黒。その一色に身を包んだ女性が、パイプ椅子に座ってこちらを見つめていた。
「起きたか、少年」
長い金髪に、しっかりとした目鼻立ち。その女性、俺の賞金稼ぎとしての師匠であるヴィヴィが、慈愛に満ちた表情で目を細めていた。彼女の匂い、シャネルの香り。少し強めの香水が、俺に安心感をもたらす。
「セレネは……」
自分の声を聞いて驚く。まるで病人のような声だ。まぁ怪我をして入院しているのだろうから怪我人には違いないのだが。俺の質問に、ヴィヴィは小さく肩を竦めた。
「君をあの場から連れ出すので手一杯でね。そもそもナオトを殺そうとしていた愚か者の腕を吹き飛ばして、君の倒れている場所へ辿り着いた頃には連中、クラウンで走り去っていたんだ。申し訳ないが、奴らを追うより君の緊急搬送が優先だったからね」
つまりセレネは特高の連中に連れ去られたままだということだ。助けてもらって文句を言う筋合いはないが、それでもセレネを奪われてしまった。
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