意に誘われる砌─みぎり─

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「ねぇ、あの時のこと覚えてる?」  彼は、言った。横浜みなとみらい殺人事件後、彼は再び現れこう言ったのだ。それはあまりに無垢で、恐ろしいほど澄んでいた。 「覚えてるも何も……」 「思い出したくもないって?」  ニタッと張り付く笑みを浮かべる彼に、坂東桃愛(ばんどうもえ)はどうしようもなく答えていた。 「懐かしいよな……もう、二週間経つか」  彼の名は、山崎維和(やまざきいお)と言う。彼は彼氏の山崎(かける)の『別人格』に相当する。そんな彼と平気で話しているのも可笑しな話だが、彼との付き合いは割と長い。かれこれ十年は経つのではないだろうか。  そもそも翔と出会ったのが、大学二年生くらいの時だった。その時に翔本人から別人格の存在を聞かされたのだ。 『維和って名前は知ってるけど、それ以外は分からない。裏の人格が何をしているのか、表に帰って来ないと理解できないんだよね』  翔はそう話していた。維和が出てくる時、必ずふたりに何かが起こる。それは喜怒哀楽に関係なく、維和が意図した瞬間に現れるのだ。  そして、桃愛と翔が住むアパート。休みを過ごしていたふたりを邪魔するかのように維和が現れたのである。今、ふたりはソファに座り顔だけ突き合わせている。 「もえちゃんさ、今でもずっとあの現場行ってるんだってね。飽きないよねぇ」 「飽きるとか飽きないとか、そういう話じゃないの……。あれは、見たらいけないもの──。人格を破壊する物よ」 「人格の破壊、か。髄分と面白いこと言うんだね。だけど、それは違うなあ」  維和は桃愛の言葉をあっさり否定した。 「そもそも、事件をモノ扱いしている時点で可笑しいんだよ?あれは、れっきとした人生そのもの。歴史が繰り返されることと同じだ。人が死ぬなんて日常茶飯事なのに、人はそれを大袈裟に語ること自体が不可思議なんだよ」 「大袈裟?人の生死に関わることなのに……!」 「前にも言ったよね?オレは生死に興味がない。……だけど、人の感情には興味がある。だからこそ、今回の事件は興味をそそったわけ」 「人が死ぬことを日常茶飯事だっていう維和(アナタ)が何言ってるのよ」  維和との話は、いつも言葉のぶつかり合いだ。何を言っても維和には通じないが、それでも話さないことには本物(かける)が戻って来ないのだ。
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