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相変わらず響は幸紘の隣にやってくる。被っている講義なら仕方ないと思うが、学食にいても図書室にいても隣に来るのはどうやって居場所を探しているのか純粋に疑問だ。玲人を待って空き教室にいたところを見つかった時は疑問を通り越して恐怖を感じた。
そもそも何故響はここまで幸紘の隣に来ようとするのか。ファンだというのは聞いた。友だちになってくれという願いも聞いた。それはいいのだ。幸紘のことをバラすつもりがないのなら何でもいい。害がなければこの際構わない。
幸紘は子役としてデビューしてからいろいろと嫌な経験をしたせいですっかり人間不信気味だ。友人と呼べるのは玲人ともう一人しかいない。玲人は幼馴染みでもあるから、友人というカテゴリーに入れていいのか微妙なところだが。
そのせいで、普通の友人同士の付き合いがどんなものなのか分からなかった。ただ、周りを見る限り響のそれが普通だとは思えない。響だって遼とは常に行動を共にしているわけではないようだし、そもそも距離感がおかしいと幸紘は感じていた。
「俺がおかしいのか?」
「ん? どうかしたの、幸」
講義が一コマ空いていたので、幸紘は玲人と空き教室で今日出された課題を片付けていた。後からパソコンでまとめるにしてもひとまず情報を集めてからだと、教科書から必要なことを書き出す。単調な作業だからか、何故か頭の中には余計なことばかり思い浮かんだ。
ルーズリーフから顔を上げ、遠い目をして思わず呟いた幸紘に、玲人も不思議そうな顔をして顔を上げた。
「友だちの距離感が分かんねーって思って」
「友だちの距離感?」
「俺、琴森と友だちらしいんだけどさ」
「え、そこから?」
幸紘から友だちになりたいと言ったことも、思ったことも特にない。でも響からは友だちになろうと言われたので、多分友だちなのだと思われる。そう言えば玲人は呆れた、という顔をしながらも続けて、と幸紘を促してきた。
「玲人と颯汰以外に友だちいないから、そもそもよく分かんないんだけど」
「うん、まぁ、そうね」
「琴森って、パーソナルスペース極小なんかな。すげぇ近いっていうか。友だちってこんなもん?」
「う~ん……。人による、としか僕も言えないな~。同性だし気にしない人はしないんじゃない?」
「講義で固まって座るのはまぁ分かるけどさ、一日中一緒にいるもんなの?」
「決まった人と固まってるのは普通かな~。用事があれば勝手に行動するけど、だいだい取ってる講義被ってる人が多いだろうし。琴森くんのは執念に近い何かを感じるけどね」
友だちが多かろうが少なかろうが、仲良くなった友人と一緒に行動するのは普通らしい。幸紘はたいてい一人でいるか、気まぐれに玲人といるくらいだったためピンとこなかったが、玲人が言うのだからそうなのだろうと自分を納得させた。
女子でなくてもグループ意識は生まれるらしい。そういえば養成所でもそうだったかもしれない、と幸紘はぼんやり考える。でも養成所の人たちは幸紘にとっては仲間だった。相手にライバル認定されていたこともあったが、幸紘にとっては同じ趣味の仲間、くらいの認識だ。幸紘にとって芝居とは勝ち負けのつくものではなかったから。
幸紘の中での結論は、響の距離感は別に友だちとしておかしくないということになった。なったのだが、だとしたら響とは気が合わないのかもしれないと思えてくる。
幸紘のパーソナルスペースは広い。あまりベタベタされるのは好きではないし、一人の時間が全くないのは精神的に疲れる。元々人間不信気味なのだ。誰といても精神を消耗している。それは自覚なく防衛本能が働いているからでもあったが、本人は無自覚だった。
「友だちって、どうやってやめんの?」
「ん? んん~?」
「絶交なって言えば終わるんかな」
「小学生かな?」
玲人に頭をヨシヨシと撫でられた幸紘は、不満そうな顔をしつつ止めることはない。幼稚園の頃からこうなのだから今更だ。
「僕がこうしても、幸は怒らないし、別に嫌だなって思わないよね」
「昔っからだし」
「うん。幸はね、こんな僕に慣れてるからだよ」
「慣れ?」
「そう。ずっと傍にいたから、それが日常に組み込まれてるの。僕が頭を撫でようが、悪口を言おうが、僕は幸を害さないって、傍で生きてきたから分かってる」
「玲人が恥ずかしいこと言ってる」
「茶化さないの~。それって、信頼関係じゃない? 友だちになるって、多少の信頼関係は必要だなって僕思うんだよね」
隣でへらりと笑った玲人に、幸紘は真顔しか返せなかった。
確かに玲人のことは信頼している。というか、家族以外では一番に信用もしている。でなければ幼馴染みでも、隣に居続けることはできなかっただろうから。
では幸紘は響のことを信頼しているか。全面否定はできないが、“友だち”と思えるほどではないのかもしれない。幸紘としては弱味を握られて一緒にいるという域を出ていないのだ。だから信用しきれないのかもしれない。
「友だちって難しいな」
「そうだねぇ。人間関係の第一歩って考えれば、難しいのかもね~」
「普通の人はこれをごく当たり前にすんのか。すげぇ」
「幸も普通にできてると思うけど」
玲人から見た幸紘と響は普通のお友だちに見えているらしい。幸紘も再び考えてみるが、やっぱり疲れるなぁという感想だった。ただ、誰といても基本疲れるのだ。きっと友人関係で悩むことが一切ない、という人はいないだろうし、こんなものなのかもしれない。
さきほどよりも納得しかけていた幸紘に、玲人がおもむろに問いかけてきた。
「ねぇ、幸と琴森くんって、友だちなんだよね~?」
「多分」
「それって、どういう意味? もしかしてもっと進展した仲?」
「どういう意味……? さっき玲人に言った通りだけど。でも友だちかそうじゃないかと言われれば、俺としては若干信頼は足りてない」
「あれ、そっちか~。幸が結構気を許してそうだから、全部飛ばして付き合ってるのかと思っちゃった」
「は?」
友だちかどうかも怪しいのに、付き合ってるってどういうことだ。そもそも幸紘も響も男同士なんだが。どうしてその関係が選択肢に上がったのか幸紘には理解できない。
思わず声音がグンと下がった。声音どころか外気温も多少下げたかもしれない。そんな幸紘の視線を受けても、玲人はあっけらかんと感想を述べる。
「いくら正体がバレてるからって、幸が琴森くんの家に行くなんて思わなかったから、意外だなって」
「金浮くじゃん。玲人もいたし。というか玲人が乗り気だったんじゃん」
「あ~そっち? でもさ~琴森くんの家でも結構くつろいでるよね? 前なんて琴森くんが帰ってくるまでソファで寝てたし。ちなみに僕は琴森くんのお家を見てみたかっただけ~」
「疲れてたら横になりたくなるし、眠くもなるだろ」
「幸とか、僕の家ならそうだろうけど、琴森くんの家じゃん。それって、僕の家にいる時と同じくらい、気を許してるんじゃないのかなって思って」
「……限界だっただけ」
以前、前日の単発の仕事が深夜どころか明け方まで続いてしまったせいで寝不足で学校に来たことがあった。その日の学校終わりは仕事も何も入れていなかったので、大学が終わったらすぐに帰るつもりだったのだが。
あまりの顔色の悪さに、いつもの三人に必要以上に心配され、学校から近い響の家で仮眠を取ってから帰るように説得されてしまった。幸紘の借りている部屋は大学から電車で五駅ほどの距離だが、夕方近くの混み始めた電車に乗るのは確かに苦痛だ。倒れでもしたらもっと困ることになるよ、と玲人に言われて、渋々幸紘はそれに従った。
ベッドを使っても構わないという響の申し出を断ってソファを借りた。幸紘が思っていた以上に体は深刻な疲労を感じていたらしい。気絶するように眠った幸紘が起きた時には、寝る時にはなかった掛け布団が掛けられていて、響がすぐ傍に座っていた。
ソファに寄りかかって床に座る響は、テレビをつけるでもなく、膝に置いた雑誌を眺めているようだった。寝ぼけ眼で周囲を見れば、いつも響が座っているソファの短辺では、玲人が丸くなって眠っている。そちらにもしっかり布団が掛けられていた。
『……今、何時……』
『起きた? 今は二十一時すぎ』
『……マジ?』
『夕飯作ってあるから、食べていきなよ』
『え、いや、いいよ悪いし。というか、起こしてくれてよかったんだけど』
『ぐっすり寝てたから。俺が起こしたくなかったの』
ごめんな、と口元に笑み浮かべる響に、幸紘は何も言えなくなった。家とソファを借りた身だ。起こさなかったことを幸紘が責めるのは違う。かと言って響が謝るのも違うと思ったが。
響が夕食を並べるのを手伝っていると、ようやく玲人も起きてきた。幸紘が起きた時に起こさなかったことを盛大に怒られたが、やっぱり響は謝るだけだった。玲人の機嫌は遠慮なくご馳走になった夕食で簡単に直っていたので、やっぱり響は謝ることはなかったと思う。
「僕が起きた時、幸は琴森くんとすっごく自然に会話してたよ。二人とも、笑ってたし」
「え?」
「起きるタイミング逃しちゃうくらいにね~。ふふふ、僕、ちょっと安心したんだから」
「安心?」
「幸はさっさと諦めちゃったけど。これからでも所謂友だちみたいな人たちに、幸はきっと出会えるよ」
「……」
「勿論、僕はずっとここにいるよ? だから安心して、一歩踏み出してね!」
「何だそれ」
自信満々な様子で胸を張る玲人に、幸紘は笑ってしまった。幸紘よりも小さな幼馴染みは、幸紘よりもよっぽどしっかりしていて、こんなにも心強い存在だ。これが友人関係だというのなら、幸紘にそんな人はもう現れないと、過去に見切りをつけてしまっていた。
でもそれは、ただ他人に関わることを幸紘が諦めていただけなのかもしれない。そう思えるくらいには、響は幸紘の近くにいる気がした。精神的には、疲れる。でも、本人を目の前にすれば、邪険にしようとは思わない。
玲人のいうとおり、気を許すくらいの関係には、なれているのかもしれない。
「あとは慣れだね!」
「慣れ……」
「どうせ一緒の学校なんだから、嫌でも慣れるよ~」
「やっぱり絶交かな」
「それ言ったら笹山くんがお腹抱えて笑いそうだから、僕としては止めないけどね」
遼が笑って、響に殴られるまでがセットだろう。いつの間にか、そんなことを予想できるくらいになっていた。不思議なことだ。他人に囲まれていた時にはできなかったことが、たった二人が近寄ってきただけでできるようになった。
ぼんやりと前を眺める幸紘の変化を、玲人は嬉しそうに眺めるのだった。
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