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隆二が郁人に出会ったのは3年前のこの時期だ。
まだ、昨今の流行病は影も形もなくて、一人気ままにツーリングで訪れた信州路。
人里離れた空に近いダム湖の堤体の上で涼やかな風が頬を撫でるのを楽しみながら静かに白い月と共に空を写す湖面を見ていたら突然、心臓が叩きつけられ頭を揺さぶられる様な衝撃に見舞われた。
ここに来る道は一本でこの先は遊歩道しかない行き止まりだ。道中お仲間も作業する人の姿も見なかった。遠くから聞こえる山の中にこだまするバイクのエンジン音は確実にこの場所を目指しているものだろう。
近づくにつれて心臓の音が高鳴る。
隆二はαだ。だがこの歳まで番の縁がなかった。
都市伝説の『運命』にこだわった訳でもない。官民のお見合いもマッチングシステムも試したが、手応えも何も感じない自分に、この生は番がないのだと諦めたのは十数年前。ずっと昔に出たきりの実家はαの兄が継いで次代も生まれ育っているとネットニュースか何かでみかけたから、この先一人で生きる覚悟は番を探し続ける孤独よりも受け入れるのは容易かった。
けれど今、本能が『番』だ『運命』だと叫び『離すな』と暴れる。
感情の嵐に破裂しそな心臓を抱えたまま見つめた先の駐車場にあらわれたのは1台のバイクに乗った青年だった。
隆二のとめたバイクの隣に、バイクを停車させヘルメットを外しグローブを外す姿から隆二は目が離せない。
黒いライダースジャケットのファスナーを下ろしくつろげる姿は、よくあのサイズのバイクを操るものだと思える程とても細い。フルフェイスのヘルメットから溢れる落ちた色素の薄い髪の毛は軽く結ばれていて、風に揺れる。
遠くからでもはっきりとわかる美しい目鼻立ちに見とれていたら相手の視線と交わった。
ここは空に近い。
早くつかまえなければ空に帰っていく。
なぜかそう思った。
そう思った瞬間、隆二は人生で一番本気で走って駆け寄り、その細い腕を握っていた。
力一杯引き寄せてその美しい桜色の唇に口付ける。
無理矢理舌を差し入れて、その口内を穢していく。
人間の、いや、隆二の手で、体液で穢してく。
もう空には返さない。
胸の中に甘い香りが、初めて知った充足感が満ちていった。
今では笑い話になったものの無理矢理襲ったと言われても仕方ないその出会いの後、郁人からの強烈な頬への一発で隆二は目が覚めた。
酷く獣じみた出会いにもかかわらず郁人は逃げなかったし、隆二も拉致はしなかった。
謝罪と共に一言二言話してみれば、その日の宿が同じだったのも幸運だった。
先に出立し、宿にチェックインした際、部屋の宿泊人数が増えること伝えておくのも忘れない。
偶然を装いラウンジで声をかけ、再び謝罪をしつつ、すこし話し、そのまま郁人を隆二の部屋に誘った。
男性体用、女性体用の露天風呂は完備されていても、男性体Ω専用の露天風呂を持つ宿はまだ少ないからだろう。個室タイプの貸切露天風呂の予約がとれなかったと話した郁人に自室が露天風呂付離れであることを伝え、居もしないツーリング仲間が急にキャンセルしたからよかったら露天風呂に入りにおいで、ああ、よかったら食事も一緒に部屋で食べないかと誘えば郁人は一瞬悩んだ表情を見せたものの『これもご縁かな?』なんて言いながら喜んでついてきた。
確かに郁人は隆二に自身の性別は話さなかった。だがきっとすでに互いに『番』と感じていた。
だからとはいえ、今からしてみれば、その頃から郁人の危機管理力は低かった。いくら見た目が男性体であってもその細さと美しさ、そして首につけられた黒いネックガードが彼の二次性がΩだと如実に語っていた。なにより、昼間野外で隆二は郁人を一度襲ってる。
食事を食べながらバイカーらしい会話から踏み込んで話してみれば当時大学生だった郁人の住まいは隆二の暮らすマンションから二駅の距離だった。
今度、二人でツーリングに行こうと連絡先を交換し約束した。
その夜、月光が差し込む露天風呂で美しい裸体をみせていた郁人を隆二は喰った。
勿論、きちんと郁人の同意は得てからだ。
それから月に数回一緒にツーリングに行き、一泊し、身体を交える仲になった。
人との接触を制限する昨今の流行病を理由に同棲をはじめたのは三ヶ月前。
狙っていたタイミング通り、引越し後三日目にやってきた郁人の発情期に隆二は躊躇いなくその艷やかな項に噛みついた。
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