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貞治の足取りは軽快だった。
幾人かの顔見知りとすれ違い、挨拶を交わしたが、彼らは弾むように歩く貞治を見て目を丸くした。
これほどまでに快活な彼を見るのは、皆初めてのことだったからだ。
貞治は鷹揚な性格で、常に悠々と自らのペースを重んじるように生きてきた。
急ぐことも、焦ることもなく、亀のようにぽつぽつと歩き、言葉を吟味するように訥々と話す。
それがこの七十年間の貞治だった。
貞治は一店舗目の和菓子屋、『藤松菓子舗』に到着した。
店内を右往左往して栗まんじゅうを探したが、どこにも見当たらない。
「なにかお探しですか?」
訝しげに貞治の様子を見ていた店員が、痺れを切らして声をかけた。
後ろから急に声をかけられて、貞治はビクンっと肩を跳ねさせた。
それから、「栗まんじゅう」と小さな声で言った。
「すみません、うちは栗まんじゅうは置いてないんですよ……」
貞治は思わず、「は」と声を発した。
もう食える、もう食えるぞとうきうきしていた彼は、絶望の底に落とされたように眉を八の字に垂らした。
口は「は」の形のままぽっかりと開き、時が止まったように数秒間静止した。
「申し訳ございません。『萬庵こだま』さんでしたら置いてあるかと思います」
店員は本当に申し訳ないといった様子で競合店を貞治に教えた。
貞治も我に返って無礼を詫び、仕方なく買う予定のなかった苺大福を二つ購入した。
財布の中には千円程しか入っておらず、無駄な買い物をしたなと貞治は思った。
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