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『くらもと製菓』に着く頃には、正午を過ぎていた。
家を出てから二時間以上も経っている。
ずっと早足で歩いていたため、貞治の額には汗が滲んでいた。
店内に入ると、梅干しのように顔をしわくちゃにした老婆が、「らっちゃい」と言った。
貞治は、恐らく「いらっしゃい」と言ったのだろうと見当をつけた。
「栗まんじゅうを、頂きたいのですが」
「栗よおかんは置いとらん、置いとらん」
そう言って、老婆は右手をぱたぱたと顔の前で振った。
「ようかんじゃなくて、栗まんじゅうです」
貞治が訂正すると、老婆は「はぇ?」としわくちゃな顔をさらに顰めた。
老婆の耳は遠く、そして貞治の声は人よりも小さかった。
「おまんじゅう。栗の、おまんじゅう」
貞治が苛立たしげに声を張ると、老婆は「はいはい、栗まんじゅう」と言って、ショーケースを裏側から開けた。
ようやく、この謎の食欲が満たされる時が来たのだと貞治は嬉しく思った。
これが普通の人間が日々味わっている心地なのだと、感動すら覚えた程だった。
老婆は静かにショーケースを閉めると、店の奥に消えていった。
それから少しして戻ってくると、「みーんな、売り切れてしもうたね」と言った。
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