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第7話 お祖父さん
飛行機に乗り込んで一時間ちょっと。
ポーン。
機内に柔らかな電子音が響き、女性乗務員に促されてシートベルトを締める。
陽斗にとって初めての空の旅が間もなく終わるようだ。
興味津々で窓の外を見ていた陽斗だったが、離陸の時の加速には驚いたらしく表情を硬くして身を縮こまらせた。
その様子に彩音は微笑ましそうにしていたが、陽斗としては恥ずかしい場面を見られた気分だ。
シートベルトのランプが消えてからは女性乗務員の人達がアレコレと世話を焼いてくれた。それはもう過剰なほどに。
たったふたりの乗客に対して4人の乗務員がいるのだから当然なことなのかも知れないと思いつつ、それが普通かどうかの基準がわからないので陽斗には判断することができない。
ただ、時折陽斗を見て鼻を押さえてギャレーに消えていく女性に戸惑うだけだ。
彩音はそんな乗務員達を見て頭痛を堪えるような仕草をしていたが。
着陸地点となる空港はよく晴れており、それほど離れていない海は夕日を受けてキラキラと輝いて見える。
遠くに見えていた空港が見る間に近づいてきて滑走路が見て取れるようになると窓から外を見ていた陽斗の身体が再び強張る。
まるで滑走路に向けて墜落していくかのように思えたからだが、実際には陽斗の想像よりもフワリといった感触で着陸して拍子抜けしたほどだった。
もちろんこれは機長である大河内の技術によるものなのだが、そんなことは陽斗にはわからないし、また知る必要もないことなので彩音も何も言わなかった。
着陸した飛行機はそのまま駐機場まで移動する。
停止してからタラップが降りると、既に下には車の迎えが到着していた。
飛行機に乗ったときに送ってくれた車と見間違うほどよく似た真っ白なリムジン。
陽斗は一瞬元の飛行場に戻ってきたのかと思ってアワアワしていたが、運転手さんが違ったので別の車だというのに気付いて顔を赤くする。
そんな陽斗を彩音は笑うことなく、リムジンに促す。
陽斗はバッグの存在をすっかり忘れていたのだが、飛行機に乗り込むときも今も、運転手やCAの人が移動してくれていたらしく、ふたりが乗り込んですぐにバッグも手渡された。
そしてふたりが乗り込んだリムジンが走ること30分。
「間もなく到着しますよ」
「は、はい、え? でも……」
彩音にそう言われて窓の外を見た陽斗だったが、見える範囲に家といえるものは見あたらない。
見えるのは道に沿ってどこまでも続いているかのように見える高さ5メートルはありそうな白い壁だけだ。逆側は川が流れており、その向こうはなだらかな山になっている。
陽斗の戸惑いをよそにそのまま道沿いに進むと壁が途切れて大きな門が見えてきた。
リムジンが門の前に停まると、門が音もたてずに左右に開く。
そしてリムジンはそのまま中へと進んでいった。
門から入ってようやく家が見えてくる。
といってもどう見ても門からはまだ数百メートルはありそうだし、そもそも家というよりもホテルか美術館のようにしか見えない。
「え? あれが、家?」
「はい。といっても陽斗さんが幼い頃に住んでいたところはもっと敷地も狭く家も小さかったのですが、だからこそ陽斗さんを見咎められずに連れ去ることができたわけです。ですので、その後すぐにこの場所へ邸宅を移しましたからここへ来るのは初めてとなります」
微妙に質問の意図が誤解されたようだ。
陽斗としては家というイメージとかけ離れた光景に戸惑っていたのだが。
まるでヨーロッパの公園を思わせる敷地を通り抜け、家の前に停まったリムジンのドアが開く。
先に降りた彩音がまるで貴婦人にするかのように陽斗に手を差し出すが、さすがにそれは恥ずかしくて「だ、大丈夫です」と断って自分で車から出る。
彩音が非常に残念そうな表情をしていることに陽斗は気がつかない。目の前の光景に固まってしまっているからだ。
建物は門を入ったときに見て思ったほど大きくはなく、デザインや規模は少し大きめのペンションのような見た目だった。玄関前はホテルのように車止めのすぐ横まで屋根が張り出している。
もちろんその個人の家とは思えないような佇まいにも驚いたのだが、それ以上に陽斗が唖然としたのはその玄関前に20人近い人達、写真やイラストでしか見たことのないメイド服のようなものを着た女性や執事のようなタキシード姿の男性、真っ白なコックコートを着た料理人と思しき人などが左右に分かれて整列し、陽斗に向かって一斉に頭を下げたからである。
『陽斗様、お帰りなさいませ』
声を揃えてそう言われても陽斗は返事をすることもできない。
まるで驚きすぎて固まってしまった動物のように完全にフリーズしてしまっている。
「あなた達、陽斗さんがビックリしてしまってますよ。
申し訳ありません、陽斗さん。この家の使用人達も陽斗さんが帰ってくるのを心待ちにしていましたから。どうか許してあげてください」
「え? あ、は、はい。だ、大丈夫、です」
陽斗としては『許して』などと言われても怒っているわけでもなく単にわけが分からず困惑しているだけなのでそう言うしかない。
そんなこんなでようやく建物に入る。
リゾートホテルかペンションのような見た目に反して玄関を入るとそこは三和土になっている。
ただ広さは優に6畳はありそうで、右手側には巨大な靴入れと思われる家具、左手側には同じく大きな棚とコート掛けが置いてある。そして上がり框にはスリッパが用意されていた。
見た目のイメージはともかく、あくまでこの建物は住居だということなのだろう。
とはいえ、一般的な家のイメージとかけ離れているのは同じであり、陽斗が住んでいたアパートはもちろん、新聞販売の仕事などで訪れることもあった一軒家とも規模が違いすぎる。
「ご案内します。旦那様はリビングでお待ちです」
いつの間に入っていたのか、玄関前で陽斗を出迎えていた執事風の男性が、スリッパに履き替えた陽斗に恭しくそう言って先導する。
彩音も陽斗に微笑みながら頷いて促したので緊張しながらも後に続く。
意外にもリビングは玄関から近い位置にあった。
さほど歩くこともなく一際大きな扉の前で執事風男性(面倒なので執事さんと呼ぶ)が軽く扉を叩き、声を掛ける。
「陽斗様をお連れしました」
『……入りなさい』
扉越しの微かな声と同時にスッと扉が開かれる。
執事さんは開かれた扉から一歩下がると、陽斗に部屋へ入るように手で促した。どうやら執事さんはここまでの案内だけで中に入らないらしい。
とはいえ、促されたところではいそうですかと入るには陽斗には少々ハードルが高い。
すると、彩音が陽斗の横に並んで陽斗の腰に手を当てて一緒に中に入ってくれる。
「失礼します」
「あ、あの、し、失礼、します」
緊張のあまり自分がどう動いているのかイマイチわかっていないながらも彩音の真似をして頭を下げる。
頭を上げた陽斗の目に映ったのは、学校の教室よりも遥かに広い空間と、いくつもの豪奢なソファー、高級そうな調度品、なによりも入口から正面側にある二人掛けほどの大きさのソファーに座るひとりの男性の姿だった。
「旦那様、ご指示通り西蓮寺陽斗さんをお連れしました。
陽斗さん、こちらが陽斗さんのお母様の父で陽斗さんのお祖父様、皇重斗氏です」
「は、初めまして! あの、井上た、あ、いえ、えっと……」
彩音の紹介に慌てて頭を下げて自己紹介しようとするも、途中で言葉が詰まる。
自分が井上達也という名ではないことは理解したものの、西蓮寺陽斗という名前にはまだ実感が伴っていない。
それにこれほどの資産家が自分の祖父だというのは現実感がなさ過ぎて、頭のどこかでやっぱり人違いじゃないかという思いが拭えなかった。
「……彩音、ご苦労だった。詳しい話は後で聞く」
「はい。それでは失礼します。陽斗さん、なんの心配もいりませんよ。あなたは西蓮寺陽斗であり、この方は間違いなく陽斗さんのお祖父様です。今はしっかりとお話をしてみてください。
それでは、また後で」
そう言って彩音はリビングを出ていってしまった。
気を使ったのかも知れないが、残された陽斗としてはどうしたら良いのか分からず、不安げに立ち尽くすしかできない。
仕方なしにソファーに座る男性、重斗を見る。
年齢は60歳くらいだろうか、痩せ型で背筋はスッと伸び、眉間に皺を寄せた厳しげな表情をしている。
(う、こ、恐い。で、でも、この人が僕のお祖父さん、なの?)
「……君が、井上達也と名乗っていた少年だね?」
不意に重斗が陽斗に尋ねる。その目は陽斗を射抜くようにジッと見据えている。
「は、はい! そ、そうです」
質問に萎縮しながらもなんとか答える陽斗。
すると、その返答を聞いた重斗はおもむろに立ち上がり、しっかりとした足取りでツカツカと陽斗に近寄って来た。
反射的に全身をビクつかせ、目をギュッと瞑る陽斗が次の瞬間感じたのは予想したような痛みではなく、力強く陽斗を抱きすくめる感触だった。
「え? あ、あの?」
「……よく……よく生きていてくれた! 陽斗、ああ、陽斗! もう大丈夫だ! もう二度とお前に辛い思いなどさせん! させるものか!!」
その言葉と共に側頭部から頬にかけて温かな雫が掛かるのを感じる。
そして感情が高ぶっているのか、陽斗を抱く力がドンドン強くなってくる。
さすがに苦しくなってきて陽斗が身動ぎするも、もう離すまいとさらに力が込められる。
「だ、旦那様、陽斗様が苦しがってます!」
陽斗の意識が飛びそうになったとき、背後から女性の慌てたような声が響き、ようやく腕の力が緩められた。
「す、すまん。陽斗、大丈夫か?」
慌てて力を緩める重斗。しかし陽斗を放そうとはしない。
しゃがみ込んで陽斗を抱きしめていた重斗は陽斗の肩を抱きながら立ち上がり、ソファーに促す。
その時に視界の隅にメイド服姿の女性が映る。この女性が陽斗を窒息から救い出してくれたのだろう。
陽斗達がこの部屋に入るときソファーに座ったままだった重斗に代わって扉を開けてくれたようだし、緊張のあまり周囲を見る余裕はなかったがどうやらずっとこの部屋に控えていたようだ。
最初に重斗が座っていたソファーとは別の、もう少し大きなソファーにふたりで並んで座る。
そこでようやく重斗は陽斗から手を離す。
「もっとよく顔を見せてくれ……ああ、やはり子供の頃の葵によく似ているな」
「葵、さん?」
「儂の娘、陽斗の母親だ。儂の力が及ばず生きている間に会わせてやれなかったのは謝っても許されることではないが、陽斗が生きていてくれたのだ、ようやく良い報告を聞かせてやれる」
そう言って再び目尻に涙を浮かべる重斗は、最初の厳しそうな顔からは想像もできないほど心から愛おしそうに陽斗を見る。
「あの、僕は、その、まだその自分が西蓮寺陽斗だっていう実感がなくて、えっと、何かの間違いじゃないかとか」
「うむ、突然のことだっただろうからそう思うのも無理はないか。だが、儂はDNA検査でお前の存在を知ってから徹底的に調べた。念には念を入れて再度の検査もしたし、なにより、お前を虐げていたあの女が、かつて葵の家で働きお前を掠った女と同一人物であることは当時を知る複数の者に写真を見せて確認しているし、念のためにDNA検査もした。そして拘束された本人も認めている。
お前は間違いなく儂の孫であり、葵の息子の西蓮寺陽斗だ。
物心つく前に誘拐され、苦労を強いられてきたお前はこれからその分まで幸せに過ごす権利がある。ゆっくりと馴染んでいけば良い」
そう言って重斗が陽斗の頭を優しく撫でる。
「……お祖父ちゃん?」
「うむ! 儂が陽斗の祖父ちゃんだ!」
恐る恐るそう尋ねた陽斗に、重斗は穏やかな笑みを浮かべながらしっかりと頷く。
「お祖父ちゃん……」
もう一度そう呟いた陽斗の目から、ポロポロと涙があふれ出る。
その後は言葉にならない嗚咽を漏らし続けるだけだった。
それが治まるまで重斗やメイド達がオロオロアワアワしまくったのだが、それを見て更に陽斗の感情は乱れるのだった。
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