第165話 穂乃香の姉

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第165話 穂乃香の姉

 暮れも押し迫り、例年ならばコート無しでは寒く感じる時期なのだが、この日は暖かな日差しが降り注いでいる。  遮る物のない地方空港、それも海にほど近い場所にあるにもかかわらず風も穏やかだ。 「ふわぁ~!」 「……すごいな」 「な? すっげぇだろ?」 「なぜ倉ポンが自慢気なのか、謎」  小さな女の子、小柄な女子、茶髪でやんちゃそうな男子、一際大きな若い男。  どうにも凸凹な4人が目の前の飛行機を見ながらそれぞれの感想を漏らしている。  陽斗の後輩、(おお)(くま)(いわお)とその妹(あか)()、幼馴染みの(かど)(くら)(こう)()、それに同じ学年の音楽科クラス所属の友人、()(しま)()(のん)だ。    そんな友人たちの後ろではその家族が額から冷や汗を垂らしながら顔を引きつらせていたりするのだが、一緒に居る陽斗は困惑したように首をかしげていた。 「陽斗さま、どうかされました?」 「あ、うん。前に乗った時より飛行機が大きいような気が」 「あの機体はそれほど人数が乗れませんからね。陽斗さまがご友人と出かけるときに小さすぎるだろうと旦那様が買ったらしいです」  陽斗の専属メイドである湊がどこか呆れを滲ませながら教えてくれる。 「買った?!」 「はい。それも学園に入学が決まった直後に注文して、数ヶ月前に納入されたそうですね。サプライズとか言って和田さんにも内緒にしてたらしいので、先日和田さんと比佐子さんに滅茶苦茶怒られてました」 「あ、あはは、この間すごく疲れた顔してたのはそのせいだったんだ」  陽斗の100mほど先に駐められている飛行機は普通の旅客機とほぼ同じ大きさのもの。  買うとしても発注から納入まで少なくとも1年以上、価格に至っては考えたくないほど高額だ。いくら重斗の資産が莫大とはいえ、さすがに気軽にできる買い物ではないし、皇家の財務を与る和田に内緒となればそれは一言も二言も文句が出てくるだろう。 「さすが爺さん、ぶっ飛んでんなぁ!」  光輝が大笑いしながら陽斗の背中をバンバンと叩くが、これまでの爺馬鹿具合を知る陽斗としては笑い事とも思えない。が、今さら気にしても仕方がないと思い直したようだ。 「重斗おじさまはお金持ち。庶民には理解できない」 「でも、本当に良いんすか? 俺たちの家族まで」  相変わらずの無表情で華音がツッコミを入れるが、巌が落ち着かない様子だ。だが、それに答えたのは陽斗ではなく後ろからの声だった。 「招待したのは私たちだから存分に楽しんでもらいたいわ。夏休みの時は別の友達を四条院さんが招待したから、今回はあなたたちを呼んだのよ」  振り向いた巌と陽斗に歩き寄ってきたのは桜子と重斗、それから比佐子を初めとしたメイド数人だ。 「俺は夏も一緒だったけど良いの?」 「光輝君は学校が別だから一緒に居られる機会が少ないでしょ。それにご家族も招待したかったの」 「私は嬉しい。夏休みに南の島でバカンスしてたって聞いて涙で枕を濡らしてた。不公平は悪」    そう。  昨年に引き続き年末年始を海外で過ごすため、陽斗は重斗や桜子と共に空港に来ているのだが、それに桜子は友人とその家族を招待したのだ。  それはまぁ、別におかしなことではないのだが、今回は壮史朗や賢也、セラといういつもの面子ではなく、桜子が指名したのは巌と華音、そして光輝の3人とその家族だ。秋頃には声を掛けていたらしい。  残念なことに光輝の兄と巌の伯父である毅は仕事が外せず不参加となったが。片や年功序列気質が強い都市銀行の若手社員、片やいまだ立て直しの最中にある元破綻間近の中規模企業社長であればそれも仕方がないのかもしれない。  光輝は都内に、華音の両親は新幹線の距離に住んでいるため、昨日のうちに到着して皇邸の迎賓館に泊まっていた。そして巌たちは空港までの道中で迎えに行った。  それぞれの家族は迎賓館や送迎のリムジンなど、驚いてばかりでこれまで挨拶しかしていない。今も巨大なプライベートジェットを前に呆然としているようなので落ち着くまでにはもう少し時間が必要だろう。 「来年は進学の準備で忙しくなるだろうし、今年くらいは友人と楽しく過ごしてもらいたい。それに、儂も普段あまり交流の無い立場の人たちとゆっくりと話をしたいからな。すまんが年寄りの我が儘に付き合ってほしい」  重斗のことをよく知っている門倉家と大隈家はもちろん、わけもわからず娘に促されるまま招待を受けた華音の両親も、想像したことすら無いような大富豪からそんなことを言われれば頷く以外ない。だって怖いもの。  その心情を察している陽斗は少し申し訳なさそうに友人の家族たちに頭を下げた。  陽斗たちは飛行機を前にしながらも、そのまま談笑を続ける。  プライベードジェットは一般の旅客機に比べれば簡略化されているとはいえ、やはり積みこまれる荷物はしっかりとチェックされるので、機体と荷物の確認を終えるまでは乗り込むことができないのだ。  昨年はターミナル内のラウンジで待っていたのだが、この日は暖かく過ごしやすかったので外で待つことになった。まぁ、光輝たちが間近でプライベートジェットを見たがったのも理由ではあるが。  そんな中、陽斗は落ち着きなくキョロキョロとターミナルに視線を向けていることに気づいた桜子がクスリと笑う。 「そんなに心配しなくても、もう到着してるわよ。ほら」  桜子が陽斗に顔を寄せて小さく指を指す。  その先に見えたのはターミナルの入り口からこちらに出てくる数人の姿だった。 「!」  先頭に立つ人物の顔を見て、陽斗の顔がパッと明るくなる。  その人物、穂乃香も陽斗に気づいて手を上げると、小走りで駆け寄ってきた。   「陽斗さん、お待たせしました」 「う、うん、その……」 数日ぶりの再会に、ふたりは嬉しそうに、それでいて少しぎこちなく笑みを交わす。  もちろんどちらの顔も赤く染まっている。 「ん゙、んんん。僕たちも居るんだけどね」 「あ、あの、ごめんなさい」 「きゃっ、に、兄さま!」  掛けられた声に慌てて顔を向けると、気まずそうに頬を掻く穂乃香の兄と両親、それからもうひとり見慣れない若い女性が居た。  そして桜子と一緒になってニヤニヤしている光輝と巌、無表情ながらどこか不満そうな華音や興味津々で目をキラキラさせている明梨も。 「へぇ~、たっちゃんもとうとうお嬢ーさまとくっついたのかぁ」 「ついこの前よ。まったくのんびりしてるんだから」 「聖夜祭の時の先輩はかっこよかったっすよ」 「のかちゃん抜け駆け。けどウチは寛大だから許す」 「明梨もお兄ちゃんみたいなカレシほしい!」 「明梨はちょっとまだ早いんじゃないかな?」 「あ~、僕らもまだ気持ちの整理がついてないからその辺にしてくれないかな」  すぐ側で人の色恋を好き勝手はやし立てている若者+大叔母に、真っ赤になっている初心者カップルに変わって苦笑いの晃が割って入ってくれる。 「あ、はい、すんません」 「ふふ、ごめんなさい。つい初々しくて」  素直に謝る光輝と桜子。 「陽斗君も久しぶりだね。聞きたいことは沢山あるけど、まずは初対面になる姉を紹介するよ。長女の由香利だ。結婚して家を出てるからあまり会う機会はないかもしれないけど」 「えっと、西蓮寺陽斗です。えっと、あの、ほ、穂乃香さんと、お、おつ、お付き合い、させていただいています!」  話には聞いていたが初めて会う穂乃香の姉に、緊張しながら陽斗が慣れない台詞をカミカミしながらピョコンと頭を下げる。  が、由香利は無表情でジッと陽斗に視線を固定したまま無反応だ。   「…………」 「姉さん?」 「姉さま?」  常とは違う態度に、晃と穂乃香が訝しげに声を掛ける。 「……可愛い」 「は?」 「え?」   「なにこの子! スッゴく可愛いじゃない! え? この子が私の義弟(おとうと)になるの? あ~ん、穂乃香ちゃんが羨ましい! あ、でも私は旦那のこと愛してるし! でもうちにも欲しい!」 「わ、え、あぅ!」  ボソリと小声で呟いたと思えば、武道家もかくやという動きで踏み込み、一瞬で陽斗を抱き上げて頬ずりしはじめる。 「姉さま! 何をしてるんですか! 陽斗さんを放しなさい!」 「あん! 穂乃香ちゃんのケチ!」  穂乃香が慌てて陽斗を奪い返すと由香利が子供のように頬を膨らませて抗議する。  ちなみに由香利から引き離された陽斗だが解放されたわけではなく、穂乃香に背中から抱きしめられて足がプランとしていたりする。  ついでに言うと、今回もしっかりと同行し、重斗の後ろに居た警備班班長の大山は、由香利の動きに反応できなかったようで、ショックを受けたように落ち込んでいる。 「と、とにかく、挨拶は済んだだろう? 続きは飛行機に乗り込んでからにしよう」  口を出しあぐねていた彰彦がようやく割り込んで穂乃香(陽斗付)と由香利を引き離す。  重斗の目の前で陽斗の取り合いを繰り広げるなど、心臓が止まりそうになっているので必死である。  さすがに見かねて桜子も助け船を出す。 「そうね。搭乗準備もできたみたいだし、とりあえす乗り込みましょう」 「そうだな。お待たせして申し訳なかった。皆さんも乗ってくれ」  一連のやり取りを楽しそうに見ていた重斗もそう言ったことで用意されたタラップに向かう。  そこにはすでにキャビンアテンダント風の服装に身を包んだ皇家のメイドたちが待機している。  彼女たちに促されて、まず重斗が、続いて陽斗と穂乃香、友人たちがタラップを上る。 「うっわ、すっげ!」  光輝が真っ先に感嘆の声を上げるが、他の招待客たちも心情は同じだろう。  陽斗が以前搭乗したプライベートジェットも豪華だったが、これも引けを取らない。  両側の窓際にビジネスクラスと同じくらいのシートが3席ずつ並んでいるが、前後も左右も十分なゆとりがある。  機内の中央部はホテルのラウンジのようにソファーが設置され、20人ほどがくつろげるスペースになっているし、後部は壁で仕切られ、その向こう側にはシャワールームや寝室、救護室などが用意されているそうだ。  民間の商業旅客機であれば200~300席ほど用意されるスペースは50席ほどのシートだけ。随分と贅沢な代物である。  搭乗口では重斗がひとりひとりを丁寧に出迎え、おっかなびっくり乗り込んだ友人の家族たちはそれぞれ適当な席に着いた。  光輝と華音は手荷物を座席の収納棚(Overhead bin)に乗せるやラウンジ部分のソファーにダイブしようとして顔色を変えた父親によって首根っこを掴まれて座席に固定された。  どうやらこのふたりはあまりよろしくない部分で気が合うようだ。  そして、陽斗はといえば、乗り込むなり由香利に引っ張られて四条院家が陣取ったエリアに連れてこられていた。 「さて、聖夜祭でファーストダンスとラストダンスを踊ったんでしょ? 詳しく訊かせてもらうわよ。良いわよね?」  まるで獲物を狙う猛禽類のように目を輝かせて詰め寄る由香利。 「あ、あの」  助けを求めて周囲を見回すが、穂乃香の母親である遙香は同じように興味津々といった感じで前のめりになっているし、父親の彰彦は眉を寄せて渋い表情だ。  そして晃はといえば、苦笑しながらも話を聞きたそうにしているので仲裁は期待できない。  周囲は味方ばかりのはずなのに、何故か孤立無援の状況に追い込まれたのだった。  
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