第13話 お正月

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第13話 お正月

第13話 お正月    陽斗の暮らす邸宅の敷地は大きく3つの区画に分かれている。  一つはもちろん重斗や陽斗が生活する家のある区画であり、全体の35%ほどの面積を占める。  それよりもやや広い面積を占めているのが迎賓館のある来客者用の区画だ。  高級ホテルに匹敵するほどの客室数やホール、庭園などを備えており、ヘリポートも備えている。基本的に(すめらぎ)家の客は迎賓館を利用することになる。  そして残りが使用人用の宿舎のある区画である。  面積としては全体の20%程度であるが、全室個室の単身者用と3LDKの家族用の建物に分かれており、各室の風呂の他に大浴場やサウナ、フィットネス&トレーニング用のジム、全天候型のプールに武道場まで揃っている。唯一の難点は売店が無いことくらいだろう。自動販売機はいくつも設置されているが。    一番狭い区画にそれだけの施設を詰め込んでいるために庭はほとんど無いが、それでも所々に木が植えられ、休憩できる程度のスペースは設けられている。  それぞれの区画は壁とゲートで仕切られており、各ゲートには警備員が常駐し簡単に出入りができないようにチェックがされている。  ちなみに外にはそれぞれの区画に門があり、個別に出入りが管理されている。  都内や神奈川などと比べれば地価の安い北関東の外れの県とはいえ、これだけの敷地を保有していること自体が並々ならぬ資産を持っていることを端的に表している。    そんな敷地内、使用人用区画にある武道場で30人ほどの男女が整列していた。  半数ほどは3~40歳代で、残りは20代前半。若い方の半数は女性だ。  全員が警備員用の制服に身を包んでいる。 「本日より新しい年が始まったが、例年正月期間中は旦那様への挨拶と称して呼んでもいない訪問客が絶えない。旦那様が不在の時もだ。  来客時は一応本邸に確認を取るが、相手がどれほど社会的・政治的地位を持っていたとしても本邸の許可のない者を絶対に敷地内に入れてはならない!  ましてや今年は葵様の忘れ形見である陽斗様がようやくご帰還なさった初めての正月である。何があっても陽斗様の身辺を騒がせるようなことは許されん!」    警備員達の前に立ち、年初の訓示を垂れている大柄な男の声は普段よりも数割増に力がこもっている。  そんな最中、後方の列に並んでいた若い男が隣の中年の男に小声で話しかける。 「班長、やたら気合い入ってますけど、何かあったんすか?」 「ああ、昨日なんだが、勉強の息抜きも兼ねて陽斗様が警備員の訓練の様子を視察しに来てなぁ。  旦那様が目茶苦茶可愛がってる坊ちゃんが来たってんで、全員結構真面目に訓練してたんだよ。そしたら陽斗様は『凄い、格好いい』って目を輝かせてな。  ほら、陽斗様って中学三年とは思えないくらい小っちゃな子供みたいな見た目だろ? 子供にそんな憧れがこもったような目で見られて気分よくなってたところに、『いつもお祖父ちゃんや僕を守ってくれてありがとうございます。僕はお礼を言うことくらいしかできないけど、これからもよろしくお願いします』なんて言われて、さらに『受験が終わったら僕にも格闘技教えてもらえませんか? 僕も皆さんみたいに格好良くなりたいです』なんて追撃くらったもんだから」 「ああ、コロッと墜とされちゃったってことっすか」    納得したようにため息をついた若い男に、中年の男も肩を竦める。 「まぁ、確かに警護対象の子供にあんな台詞をキラキラした眼で言われりゃ班長でなくても気合い入れざるを得ないだろうよ。  俺だって、別に普段から手を抜いたりしてないが、一層真剣にやろうと思ったくらいだしな。あの場にいた全員が似たような気持ちなんじゃねぇか?  だから、あの普段から暑苦しいくらいの熱血男が張り切らないわけがねぇよ」  そんな会話をよそに常にない熱意でもはや演説としか思えない訓示を続ける班長。  それを聞いている警備員達の態度は見事に2種類に分かれている。  半ばうんざりとした表情で訓示が終わるのを待っている者と真剣な表情で決意を新たにしている者。  その違いは仕事に取り組む姿勢、ではなく、陽斗の視察を受けた者とローテーションの関係で担当場所で警備に当たっていたり非番だったりした者だ。  ただ、陽斗と接する機会を持つうちに、一月も経たず全員が同じ表情をするようになるのだが。現在警備に当たっていてこの場にいない者も含めて。       「はい! これで大丈夫ですよ」 「あ、ありがとうございます」  陽斗は着付けをしてくれたメイドさんにお礼を言って、改めて鏡を見る。 「うぅぅ、僕、変じゃないですか?」 「よくお似合いですよ! 旦那様もお喜びになります!」  着慣れない格好に気恥ずかしげに何度も確認する。    今日は元旦ということで、早朝、陽斗にとってはさほど早いとは思えないが、夜も明けきらない内から身を清め、数人のメイドに囲まれながら身支度を調えていたのだ。  服は和装、それもいわゆる紋付き袴で、小柄な陽斗が着るとどう贔屓目に見ても七五三である。陽斗自身の感想も同じだ。  馴れていない以上に鏡に映る姿を見て恥ずかしさの方が大きいのだが、メイド達からは実に好評のようである。  最近になってようやく陽斗に対する使用人達の態度は思春期の男の子に対するものよりも子供に対するものに近いと感じるようになってきた。  しかも、それは日を追う毎に和らぐどころかどんどん過保護になってきているような気がするのだ。  ただ、陽斗はここに来るまで、家で甘やかされたことなど一度もなかったために、小説などに書かれた親子や家族の描写しか比較対象がない。なので世間一般ではどうなのか判断が出来ずにいる。   「陽斗様、旦那様が首を長くしてお待ちです。そろそろ待ちきれずに突撃してきそうなので行きましょう」  メイド長という肩書きを持つ女性が、なかなか降りてこない陽斗に痺れを切らしたのか部屋まで迎えに来た。  名を久代 比佐子(くしろ ひさこ)という彼女は年の頃は40代半ばだが、凛とした仕草で育ちの良さを感じさせる美しい女性である。  自分にも他人にも厳しく、他のメイド達からは少々恐がられている部分もあるが、基本的に面倒見が良く、状況によって融通を利かせることのできる柔軟さを持っている。重斗や執事達にも一目置かれていて、彩音が羽目を外しすぎたときに嗜める役目も担っていたりする。   「え~っ! 比佐子さん、もうちょっとだけ!」 「陽斗様の貴い姿を目に焼き付けさせてぇ!」  着付けをしてくれたふたりのメイド、加賀 恵美(かが めぐみ)大島 加奈子(おおしま かなこ)が唇を尖らせて抗議する。  恵美は江戸時代から続く呉服屋の娘で平成の世にあって幼少期から和服を日常的に着ていた。当然男性物であっても着付け程度は目を瞑ってでもできる。  加奈子の方は服飾の専門学校で和装を学んでいた経歴によって今回陽斗の着付けを担当したわけである。  ふたりとも20代半ばであり、モデルかタレントと言われても納得してしまうくらいの容姿ではあるのだが、比佐子相手にブーたれる姿は実に残念な印象を与えている。  陽斗の着付けがこれほど時間が掛かったのも、やれ袴の柄がだの、やれ着物の色合いがだの、袴の紐の結び目の形がだのと、1ミリたりとも妥協せず繰り返し着せ替えを楽し、いや、やり直したためである。   「あなた達、新年早々私に…」 「あ、ほ、ほら、陽斗様、終わりましたよ!」 「もう、完璧! その凛々しいお姿を旦那様に見せてあげてください!」  比佐子の目が据わったのを見て危機感を覚えた恵美と加奈子は、ヤバイとばかりに方向転換して陽斗を部屋から押し出しつつ、自分達も逃走する。  実際、正月といえど当番である彼女たちはまだまだやるべきことが沢山あるのだ。 「はぁ、まったくあの娘達は。陽斗様、申し訳ありません。後で言って聞かせますので」 「い、いえ、大丈夫です。あの、恵美さんも加奈子さんもとても良くしてくれていますから、叱らないであげてください」    自分のせいでふたりが怒られたりしたら申し訳ないと、陽斗は比佐子にそうお願いする。その際に思わず上目遣いで潤んだ瞳を向けたのだが完全に無意識の行動である。意図してそうしたわけではもちろん無い。  のだが、その分破壊力は抜群なわけで、比佐子は内なる衝動を表に出さないようにするために全精力を傾ける羽目になった。  そんな比佐子の葛藤など知るよしもなく、陽斗達は階段を降りてリビングへ到着した。  重斗の私室の方ではなく、共同のリビングである。   「失礼します。陽斗様が到着なさいました」  比佐子がそう声を掛けて、返事を待たずに扉を開ける。  リビングでは陽斗と同じような紋付き袴姿の重斗が笑みを浮かべながら待っていた。  七五三のような陽斗とは違い、重斗の袴姿は実に様になっている。  恰幅がよいわけではないが雰囲気に威厳があり姿勢も良い。  やはり和装というものはある程度の貫禄が必要なのだということを見せつけているかのようだ。   「あ、えっと、明けましておめでとうございます」  重斗と目が合った瞬間にその威厳たっぷりの姿に見惚れてしまった陽斗の挨拶が遅れるが、人生経験豊富な老人には陽斗の内心など簡単に読み取れる。  結果、それはもうこの上なく上機嫌になっているので当然咎めるわけがない。 「うむ。明けましておめでとう。今年は実に嬉しい正月を迎えられた。このような気分は何十年ぶりかな」  満面の笑みで陽斗を手招きし、ソファーに座らせた。  ふたりとも和装なのだが、リビングは完全に洋風だ。  というよりも、そもそも重斗は例年、正月であっても和服など着ない。  無論、茶会などに出席する必要があるときは着ることもあるのだが、普段は正月だからと特別なことはしないし、そもそもこの季節は季候の良い南半球の島などで過ごすことが多い。  だが、今年は陽斗が居るということで、これまでそういった体験をしていなかったであろう陽斗のために和装におせち料理、お雑煮などの“日本のお正月”を演出することにしたのである。  ちなみに、滅多に使われることのない客室の一つが和室に改装されており、炬燵や蜜柑も準備万端待ち構えている。   「おお、そうだ、正月といえばお年玉だな。ほんの気持ち程度だが取っておきなさい」  そう言って重斗は着物の袂からお年玉の入っていると思われる袋を取り出す。  ただ、常識外れの財力を持つ爺馬鹿の重斗である。  ごく無造作に対面に座る陽斗の前に置かれたのは、どう見てもポチ袋ではなくご祝儀袋。それも普通の文具店では売っていないような高額祝儀用の大きなものだ。厚みからして300万程は入っていそうである。  家族からのお年玉というものを知らない陽斗でもさすがにこれが普通じゃないことはわかったが、とりあえず断ると重斗ががっかりするだろうと思って受け取ることにする。これをどうすれば良いかは後で彩音にでも聞くことにしようと決めて。    その後、新たに作られた和室に移動してお雑煮とおせち料理を食べ、炬燵で膝をつき合わせて重斗と話をしていると、来客が告げられた。  そのまま待っていると、晴れ着を着た家庭教師の麻莉奈が案内されてきた。  といっても、いくら受験生であっても元旦くらいは休みが必要だろうということで勉強ではなく、純粋な挨拶ということだ。  麻莉奈は陽斗の指導を始めて3日目に正式に家庭教師として雇われることが決まった。  その指導は的確でわかりやすく、上手く陽斗の集中力を持続させながら付きっきりで受験勉強を進めさせている。  そして、通勤時間を無駄にしないために、現在は迎賓館の一室に寝泊まりしていた。  当初は使用人用宿舎が割り当てられる予定だったのだが、雇われとはいえ陽斗の先生になるということで期間中は賓客として扱われることになったのだ。  とはいえ、早朝から指導を始め、食事も陽斗達と共にしているので実質的に単に寝に帰っているだけなのだが。   「先生、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!」  和室の畳に正座で両手を付いて頭を下げる陽斗。 「か、可愛い……はっ!? あ、えっと、こちらこそ、明けましておめでとうございます。受験まで大変ですけど、よろしくお願いしますね」  ボソッと本音が漏れたものの、ハッと我に返ってきちんと両手を付いて挨拶を返す麻莉奈である。  重斗も部屋にいたメイドも気持ちがわかるのかウンウンと頷いている。  ほんの少しの時間話をしただけで麻莉奈は帰って行った。  折角の休みに家庭教師が居座っていたのでは落ち着けないだろうということだったが、実際には麻莉奈の理性が危なかったからというのは本人だけの秘密である。  例え、陽斗以外の者にはバレバレであったとしても。  
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