第166話 年長者の企み

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第166話 年長者の企み

 速度を上げた飛行機がフワリと地上を離れる。  陽斗が以前乗ったプライベートジェットよりも機体が大きいためかそれほど加速感はなかったが揺れることもなくあっという間に街並みが小さくなっていく。  ちなみに、離陸前のアナウンスもあったが今回も機長は大河内、副機長が河名という皇家専属のベテランパイロットである。  今回の機体が納入されてから幾度となくテストフライトを行っており、安心して空の旅を過ごしてほしいと言っていた。  もっとも、陽斗のほうはといえば穂乃香の姉、亜也香に捕まり尋問、もとい、追求をうけていて楽しみどころではなさそうだ。  一方、友人たちはというと、重斗たちに招待経験済みの光輝と、なにげに神経の太い傍若無人ぶりを要所で発揮する華音は、シートベルト着用ランプが消えた途端にラウンジスペースに移動して寛ぎはじめ、それに引っ張られるように飛行機初体験の大隈兄妹も徐々に楽しみ始めていた。  なにしろ普通の人なら一生乗ることのないであろう高級感溢れるプライベート機だ。  エコノミー席はおろかファーストクラスすら遠く及ばないほど贅沢な空間に、非現実的な感覚を覚える。  特にそれは青少年よりも大人世代のほうが感じるようで、肩の力が抜けてからは興味深げに周囲や設備を見て回ったり、メイド兼フライトアテンダントの女性たちが提供してくれたワインや軽食に舌鼓を打ちながら、この降って湧いたような体験を話し合っていた。 「こんなにリッチなのにピアノが無いのが不満」 「さ、さすがに飛行機でそれは難しいんじゃないですかね」  高級ホテル並みの内装の中に、高級品の代表みたいなグランドピアノが置かれていないことが不満な華音が呟くが、それは仕方がないことだ。  ピアノほど重量があると安全性の面からも簡単に設置することはできないし、機内の乾燥した空気や気圧の変化を考えると適切に保つのは難しいだろう。  無表情のまま唇を尖らせる彼女に、巌が苦笑しながら反論する。 「まぁ良いじゃん。こんな機会そうそう無いんだから、せっかくだから楽しもうぜ」 「ん。倉ポンの言うことも一理ある」  光輝は華音の「倉ポン」呼びを気にすることなくニヤリと笑うと、巌とその妹、明梨をソファーに座らせる。 「おしっ! んじゃ俺たち今回が初顔合わせみたいなもんだし、自己紹介とか色々話をしようぜ」  いつの間にやら長年の友人のように接している光輝と華音もそうだが、同じ学園生の華音と巌も面識はあれど話したことはほとんどない。  ましてやまだ小学生の明梨は家族以外は全員が初対面だ。  ただ、光輝の人懐っこく、易々と距離を詰めてくるコミュ力の高さに、わずかな時間で打ち解けてきていた。 「たしかに、クマちゃんは陽斗に助けられたって聞いた。詳しい事情の説明をプリーズ。それと将来ライバルになるかもしれないそこの女児にも釘を刺す」 「なんですか、それ?! 明梨のことはともかく、俺も光輝さんとは話をしてみたいと思ってたんで」 「ぶぅ~! 私だって陽斗おにいちゃんのこと好きだもん!」  賑やかなものだ。  離陸から約9時間。  夕日を反射して輝く海辺の空港に降り立ったプライベートジェットを降りた陽斗たち一行は、ごくごく短時間の手続きを終えて、用意されていた車に分乗して別荘に到着する。  重斗が毎年年末年始を過ごしている場所であり、昨年は穂乃香たちと訪れていた南国の島だ。  日本を出発したのが朝方だったのでまだ周囲は明るく、その広い敷地と大きな建物が目に入るや巌と華音の家族からはまたしても驚きの声が上がる。  光輝の家族はすでに重斗の桁違いの資産家ぶりを何度も見ているのでやや呆れたような顔を見せていたが。 「……昨年よりも建物が大きくなっているようですわね」 「陽斗さまやそのご友人が退屈されないように遊戯室やシアタールームを増設して、浴室も男女別に改装されましたので。隣の土地も買い足して全天候型の体育館と屋内プールも設置したそうです」 「……もう何も言いませんわ」  穂乃香の問いに答えたのは重斗付のメイドのひとり。  そのことについても比佐子と和田に叱られているのか、重斗はどこかばつが悪そうにそっぽを向いて無理矢理光輝の両親に話しかけている。 「穂乃香ちゃんの部屋もちゃんと用意してあるわよ。同じフロアに空き部屋もあるから、ね」  話を聞いていたらしい桜子が悪戯っぽく言葉を付け足すと、その中に含まれた意味を理解して穂乃香の顔が真っ赤に染まる。  要は、まだ付き合いたてホヤホヤのふたりが、これから先もこの別荘を使い、さらには家族が増えても大丈夫にしてあるという。  飛行機の中でどんな追求がなされたのか、全身を真っ赤に染めて脳が焼き切れたようにぐったりとしてしまった陽斗を支える穂乃香は、既に立派なパートナーに見える。  見つめる比佐子やメイドたちの表情も温かい。未来の女主人と認めているのだろうか。  別荘の玄関は昨年と変わらず、入ってすぐに広いホールが出迎える。  南国の島らしく、高い天井と背の高い観葉植物で開放感がある。  一行がまず案内されたのは、ホール正面の奥にある食堂だった。  滞在中、食事を摂る場所なのでついでに紹介されたのだ。 「おいおい、どこ行くんだよ」  扉を開けて簡単に説明するだけのはずだったのが、華音がテコテコと中に入ろうとしたのを光輝が襟首を掴んで引き留める。  彼からすれば、クソ重い荷物をとっとと部屋に運んでから散策すれば良いと思っていたからだ。 「あのピアノ、スタインウェイ&サンズの、多分最高級品。弾きたい」 「それは後で、爺さんに許可もらってからな。多分駄目とは言われないだろうし、今は大人しくしとけ」  首を摘ままれてジタバタと暴れる華音を強引に引っ張りながら食堂を出て、各々に宛がわれた部屋に向かうのだった。 「桜子様、穂乃香です」 「どうぞ~」  夕食や入浴を終えて数時間。  友人たちの保護者は慣れない飛行機での旅と、色々とカルチャーショックを受けたために疲れたらしく既に就寝した。一番年少の明梨も入浴を済ませた途端に船をこぎ始めたために一緒に休んでいる。  体力の有り余っている高校生たちはまだまだ話し足りないらしく、陽斗の部屋で談笑中だ。  そんな中、穂乃香はひとり、桜子の部屋を訪ねていた。 「失礼いたします」 「来ると思ってたわよ」  穂乃香が部屋に入ると、嬉しそうな桜子と穏やかな笑みを浮かべる重斗が出迎えた。  それを見て困ったような苦笑を浮かべる穂乃香。 「もしかして、わたくしは試されたのでしょうか?」 「勘違いさせたかしら。私たちにそんな意図は無いわよ。穂乃香ちゃんの性格ならきっと確認するために来るんじゃないかって思ってただけ」  本当に他意がなさそうに笑いながら、桜子は穂乃香をソファーに座るように促す。 「でも、一応聞いておこうかしら。私に何を訊きたいの?」  どこか悪戯っぽく、それでいて期待するかのような問いに、穂乃香は小さく溜め息を吐きながら穂乃香と重斗の対面に腰を下ろした。 「……今回の人選の意図ですわ。門倉さんはともかく、大隈さんと羽島さんをご家族ごと招待された理由を知っておきたいと思いましたので」 「穂乃香嬢は彼らが陽斗の友人では不満かな?」  重斗が問いかけると、彼女は首を振ってそれを否定する。 「おふたりともとても良い方々ですわ。陽斗さんが友人としてお付き合いするのに反対する理由はありません」    穂乃香が気にしているのはふたりの為人ではなく、陽斗が親しくしようとしている友人が桜子や重斗からどう評価されているのかだ。  実際には巌も華音も、陽斗との関係は良好なのは確かだが、そこまで深い付き合いがあるわけではない。  陽斗の将来を見据えて関係を深めるという意味ならば壮史朗や賢弥のほうがメリットは大きいだろうし、錦小路家の琴乃や前生徒会長の雅刀という選択もある。  クラスメイトの3人組男子、千場、宝田、多田宮もそれなりの家柄だ。  もちろん穂乃香は桜子が陽斗にとってマイナスになるような人選や、悲しい思いをさせるなどと思っていない。  むしろ、意図を正確に理解した上で、望む方向にサポートできればと考えている。それに加えて、自分たちのように幼い頃から制約や教育を受けてきたわけではない巌と華音が未熟だと断じられないようにフォローもしたい。  そう意気込んでこうしてやって来た穂乃香だったが、桜子の次の言葉に拍子抜けする。   「光輝君はもちろんだけど、大隈巌君、羽島華音さん、あのふたりも陽斗の友人として仲を深めてほしいのよ」  軽い調子だが、その表情は真剣そのものだ。 「まぁ、羽島のお嬢さんは異性だからな。少々心配な部分が無いわけではないのだが、どうにも彼女の態度は言葉どおりとも思えんし、穂乃香嬢とも仲が良いのだろう。同性だけでなく異性の友人もこれからのことを考えると必要になる。特に距離感の部分でな」  重斗が苦笑気味に付け足すが、それには穂乃香も同意する。  華音は言動はともかく、どことなく浮世離れしていて陽斗を異性として意識させることがない。  穂乃香に対しても勝手に愛称をつけるなど、なかなか個性的な距離の取り方をしていて、どうにも憎めない。  とはいえ、そういった異性が近くにいることは今後陽斗が気をつけなければならないハニートラップの類いに対する牽制にはなるだろう。  女性が陽斗に近づいたとしても、あの本質を見極める神眼で(よこしま)な目論見は見抜けるだろうが、そもそも近寄らせないに越したことはない。 「巌君は家族のことで陽斗に恩義を感じているようだし、とても義理堅い性格をしているわ。陽斗に必要なのは損得を越えて力になろうとしてくれる信頼できる友人よ。学校だけの付き合いでそこまでの関係を築くのは難しいから、こういう機会を作ったというわけ」 「この先数多くの者が陽斗に近づいてくるだろう。その大半は金や権力を目当てにな。穂乃香嬢ならばわかるだろうが、有り余る資産がもたらすのは豊かな生活だけではない。それ以上に多くの責任と危険が伴う。それをひとりの力で乗り越えるのは難しい。周りの力が必要だ。どんな困難にも手を取り合って助け合う家族、悩みや苦しみを打ち明けられる友人、共に競い合える仲間。それらは儂等が与えることのできないものだ。  ……儂等はどうしたって陽斗よりも先に逝く。どれほど心配しても、どれほど備えても、最後の時まで寄り添うことなどできないだろう」  重斗の言葉には様々な経験を積み重ねた重みと、陽斗に対する溢れるほどの愛情、そして同じだけの心配がたっぷりと込められている。 「黎星学園を卒業して大学に進学、そして社会に出る。これから先に出会う人はどうしても損得が絡みやすくなってくるわ。純粋な気持ちで友人を作れるのは今が最後の機会になるかもしれない」  ステージを上がるたびに世界は広くなり、人との付き合いは浅くなりがちだ。  大人になっても気の置けない友人関係というのは学生時代に培われたものが多い。高校や大学時代の友人との関係が生涯にわたって続くことも珍しくない。逆に、大人になってから友人を作るのは結構難しいものだ。  だから桜子と重斗はお膳立てしてでも陽斗に信頼できる友人を作らせたいと思ったのだろう。 「まぁ、結局孫可愛さに儂等大人が勝手にしていることだからな」  自嘲気味にこぼす重斗に、穂乃香はクスリと笑みをこぼす。 「お気持ちはわかりますけれど、確かに少々やり過ぎのように思えますわ。それに、重斗様も桜子様も、陽斗さんを見くびっておられませんか?」 「ほう?」  挑発的とも取れる穂乃香の言葉に、重斗はむしろ嬉しそうに口角を上げる。 「わざわざ家族ごと旅行に招待して外堀を埋めるような真似をしなくても、陽斗さんと親しく接した人は心から力になりたいと思ってくれています。それは陽斗さん自身が相手にそう接してきたから。陽斗さんにはそれだけの魅力が、力があります。財力でも権力でもない、陽斗さんが自ら磨いてきたものが。もし、この先、陽斗さんを裏切るような人が出たとしてもわたくしや友人たちが許しませんし、そもそも最初から近寄らせませんわ」  キッパリと言い切る穂乃香の顔は、陽斗への信頼と、なにより彼女自身の覚悟と自信に満ちていた。  重斗と桜子は顔を見合わせ、そして、心から幸せそうに笑った。
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