369人が本棚に入れています
本棚に追加
第6話 実家へ
商店街と住宅街の境目にある地方紙の販売店。
道路にはみ出すような形で何台ものスーパーカブが停めてある。
そんなどこの街にもあるような店の中は現在騒然とした雰囲気に包まれていた。
昼過ぎのこの時間は、普段ならまだ夕刊の配達員が出勤しはじめる頃で、のんびりとした空気が流れているはずだ。
ところが突然店の前に長い車体の真っ白なリムジンが停まり、降りてきたのはビジネススーツに身を包んだモデルのような美女と、販売店の社長をはじめ従業員一同からこの上なく気遣われ可愛がられている小学生のような容姿の少年。
常になくただならない雰囲気の少年を居合わせた従業員達が心配そうに取り囲んだ。
最初彩音は陽斗の雇用主である社長と別室で話をしようとしていたのだが、陽斗が『皆さんにもお世話になっていたので』と皆に聞こえるように事情を説明することになったのだ。
そしてその結果、話を聞いた面々がこれまで母親だと思っていた誘拐犯に怒り心頭になったり、陽斗の祖父という人物に対して心配していたりと一種異様な状態となったわけである。
「なるほどな、話は分かった。渋沢さん、申し訳ないがちょっと達坊と、いや西蓮寺陽斗君、だったか、直接話をしたい。少し席を外したいんだが了承してもらえるだろうか」
彩音が説明している間中、まるで観察するようにその様子をジッと見ながら聞いていた社長がそう言いだした。
「……わかりました。ここで待たせていただきます」
少し考えてから彩音は頷く。
「ありがとう。ほら、オマエらはさっさと夕刊の準備始めろ! 余計な事考えてミスすんじゃないぞ!」
「そりゃないっすよ社長!」
不満そうな従業員達のブーイングを無視して陽斗を奥の事務室に促す。
普段何度も入っているし机を借りて勉強することもある場所だが、事情が事情なだけに陽斗も少し緊張しながら社長の後に続いた。
「適当に座れ。ああ、そんな緊張しなくていい。別に説教しようってんじゃないからな」
小さな事務室に3つある簡素な事務机にセットとなっている椅子に陽斗はちょこんと腰掛ける。試験勉強や宿題をするのによく使わせてもらっている所だ。
社長はその向かい側にある自分が使っているデスクに掛ける。
「それでだ、あの渋沢という弁護士先生の説明と達坊の聞いた話に違いはないか? 俺にはあまりに突飛な話しすぎてイマイチ呑み込めねぇんだが」
「あ、うん、ぼ、僕もさっき話を聞いたばかりで……」
「だろうなぁ。けどまぁ、あの達坊の母親って女がロクでもない奴だってのは間違いない。そこから抜け出せるなら悪い話ってわけじゃないんだろうが……
達坊の本音はどうなんだ?
いつか家を出て大学に行きたいってのは聞いてるが、新しい保護者に引き取られることになればその希望は叶うかもしれんが、逆にもっと悪い状況になる可能性もないわけじゃない。それにこの街を出ちまったら俺達が助けてやることも難しいぞ」
真剣に陽斗の身を案じた言葉だ。
陽斗はそのことがとても嬉しく、同時に誇らしい。
「僕は、あの人を信じてみたい。本当の家族がいるなら会ってみたい。けど、社長やほかの人たちに迷惑も掛けたくないし……」
「そっちは別に心配いらん。お前ひとり分の抜けた穴くらいならみんなで補えるし、人はまた雇えば済むからな。それまでの間くらいなら何とでもなる。
それに、あの弁護士の話が本当で、達坊に新しい保護者ができるならそっちの了承が無きゃ達坊に仕事をさせるわけにはいかないしな」
本来は義務教育期間中の未成年者に就業させることはできない。例外として家業を手伝ったり、経済的理由で保護者の同意があった場合のみ特例として働かせることができるだけだ。
陽斗の保護者とされていた女が本当に陽斗を誘拐した犯人なのであれば就業の同意は無効となり販売店で働かせることはできないのだ。
「まぁ、達坊は不思議とまともな奴に気に入られるからな。どこへいっても大丈夫だとは思うが、ちょっと待ってろ」
そう言ってデスクの引き出しを開けて箱と小さな袋を取り出す。
そして箱から真新しいスマートフォンと付属品、袋からスマホケースや小ぶりなモバイルバッテリーを出して陽斗の目の前に置いた。
「こいつを持っていけ。使い方は配達の時に持たせている物と同じだから大丈夫だろう。格安キャリアの奴だからネットはそれほどできねぇだろうが、電話帳に店と俺、うちの女房の番号とアドレスを入れてある。
何かあったら何時でも構わないからすぐに電話してこい。いや、それだけじゃなくて当分の間は週に一回は必ず連絡しろ。メールじゃ駄目だ。いいな?」
いきなり渡されたスマートフォンと社長の顔を見比べて戸惑う陽斗。
確かに配達や集金の際に連絡が取れるよう、携帯電話を持っていない陽斗のために社長が販売店名義のスマートフォンを持たせている。
だがそれは配達や集金を終えて販売店に戻ったときに毎回返却しているものだ。
それとは明らかに意味合いが異なるこのスマートフォンをどう扱えばいいのだろうか。それに月々の利用料金だって掛かるはずである。
「で、でも」
「元々卒業してうちに就職するなら支給するつもりだったし、高校行けるようならその合格祝いで渡そうと思ってたやつだ。大手のじゃないから料金だってたかがしれてるから落ち着くまでくらいは何でもねぇ。お前が無駄な使い方するとも思えないし。
それよりも会ったこともない奴に達坊が引き取られるってことのほうが心配だからな。他の連中だって同じだろうよ。定期的に連絡が取れてりゃこっちも安心できる」
なおも困惑気味の陽斗にかまわず、社長は今度は事務所奥にある小さな金庫を開けて封筒を取り出して戻ってくる。
そしておもむろに陽斗の手を取ると、その封筒を握らせた。
「これは給料とは別の、あ~、ボーナス、だな。ほんの気持ち程度しか出せんから申し訳ないが、何かあったときのために取っておけ。念のため、あの弁護士先生や祖父とかいう人にも内緒にしておけよ。
いいか? 困ったことがあったら絶対遠慮なんかせずに連絡しろ。ここにはお前の味方が沢山いるんだからな」
「社長……あり、がとう、ございます」
言われるままに中身を確認すると十数枚の一万円札が入っていた。もしもの時はこれを使って帰ってこいという気持ちを込めた金額なのだろう。
感激のあまり嗚咽を漏らす陽斗。
仏頂面のまま照れたように頬を掻きつつ陽斗が泣き止んで落ち着くまで待ってから封筒とスマートフォンを陽斗が上着にしまうのを確認して事務所を出た。
「お話は終わりましたか?」
「ああ。……最後に確認しておくが、達坊、あんたの言う西蓮寺陽斗は本当に大切にしてもらえるんだろうな。いや、そうじゃねぇな、こいつの意思を尊重して、幸せに暮らせるようになるんだな?」
「はい。陽斗さんの意思に沿わないようなことは絶対にしないとお約束します。もし陽斗さんがお祖父様とお会いになった上で、やはりこの街で暮らしたいと望まれるなら、まだ未成年なので後見人をつけた上でになるでしょうが、責任を持ってお返しします」
彩音は社長の視線を真っ直ぐ受け止め、はっきりと約束する。
「ならこちらからはこれ以上言うことはないでしょうな。陽斗君が少なくとも当分そちらでお世話になるのは寂しくなるが」
「お祖父様の元で暮らす事になったとしても、いつでも連絡は取り合えますし、学校の手続きなどもありますので一度はこちらに戻ってくることになるでしょうね」
「だったらこれっきりじゃないな! 達坊、元気でやれよ! 困ったことがあったらいつでも連絡してこいよ!」
「そうそう! なんだったらうちの子になっても良いからな!」
「今度来たときはまた美味い物食いに連れてってやるからな!」
従業員達は口々にそう言いながら陽斗に自分の連絡先を書いた紙を渡す。
「今までありがとうございました。僕、皆さんと会えて良かったです。絶対にまた来ますから!」
そう言って涙を溜めながら頭を下げる陽斗を、社長を始め従業員全員が店の外まで見送り、リムジンに乗り込んで走り去ったあとまで手を振り続けていた。
「……陽斗さんは職場に恵まれましたね」
「はい。僕が暮らしてこれたのはあの人達のおかげです。いつか恩返しをしたい……」
陽斗は寂しそうな顔を隠すことなく販売店が見えなくなるまで後ろを見続けていた。
リムジンは一度自宅まで戻ってもらい、簡単に身の回りの物をくたびれたバッグに詰め込んだ。それから30分ほど移動すると辿り着いたのは陽斗の暮らす県の北部にある地方空港だった。
滑走路とターミナルがそれぞれひとつしかない小さな空港だが、何故かリムジンはターミナルの前を通り過ぎてその向こう側にあったフェンスの前で一旦停止する。
するとリムジンを確認した職員がフェンスの門を開け、陽斗達はそのまま空港の中に入っていった。
陽斗は飛行機に乗ったことはなかったが駅で電車に乗ったことはある。
飛行機に乗るには搭乗手続きというものがあるということくらいはどこかで聞いたことがあったので電車と同じように切符を買ったり席を決めたりといったことをするのだと思っていたので車のまま滑走路近くまで行くとは思っていなかった。
人というものは自分の予想と違う展開になると不安を感じる。
陽斗もリムジンに乗ったまま空港の中に入ったことで窓から外をキョロキョロと落ち着きなく見回すことになった。
さほど進むこともなく、リムジンは滑走路脇にあるそれなりの広さがある舗装されたスペースに駐められている飛行機の前で停車した。
「着きました。次はこの飛行機での移動となります」
彩音が陽斗の不安を和らげるように穏やかに言って、先に車を降りる。
それを見て陽斗も慌てて外に出たのだが、そこは本当に飛行機の目の前だった。
写真や遠くを飛んでいるもの以外で初めて間近に見る飛行機に陽斗は目を奪われていた。
大きさはいわゆるジャンボ旅客機と呼ばれる一般的な航空機よりも小さく、ジェットエンジンは翼の下ではなく尾翼の根本付近の両側に付いている。
主翼の形も先端が角度を付けて上に折れていて、どこか戦闘機を思わせる形をしていた。
「わぁ~……かっこいい」
今の状況を忘れて目を輝かせる陽斗。
実年齢よりも幼く見えようと男の子である。いや、むしろ今の陽斗は飛行機に憧れる小学生に見えているのである意味似合っているとも言えるのだが。
「気に入ってくださって良かったです。それでは乗りましょうか。また別の機会にゆっくりと見る事もできますので」
「あ、ご、ごめんなさい」
見惚れて足が止まったままだった陽斗は、彩音の言葉で我を取り戻し頭を下げる。
心配いらないと小さく首を振ってから彩音は先に立って飛行機のタラップを上がる。
その後を追った陽斗だったが、角度の急なタラップを先に上がっている彩音のスカートが間近に目に入り慌てて顔を伏せる。
タイトなビジネススカートなので中が見えるというほどではなかったが、それでもすらりとした足が太もも近くまで見えてしまい、陽斗は真っ赤な顔を隠すように俯きながらタラップを必要以上にゆっくりと上がった。といっても僅か十数段程度の階段なのですぐに上りきるのだが。
上がりきっても俯いたままだった陽斗に彩音が「どうかしましたか?」と声を掛けるも、本当の事を言うわけにもいかず首を振って誤魔化すしかない。
『ようこそいらっしゃいました陽斗様』
動揺が修まらぬまま機内に入った陽斗だったが、そこでもまた驚かされることになった。
入口を入ってすぐの場所は柔らかなカーペットが敷き詰められているものの、壁際に予備シートのようなものが2つあるだけで特に目に留まるものはなかった。
陽斗は彩音に手で示された右手側の通路に進んだのだが、そこで4人の女性達に出迎えられることになったのだ。
女性達は揃いの制服に身を包み、優しげな笑みを浮かべながら陽斗に向かって頭を下げている。
そのキャビンアテンダントと思われる女性達に名前を呼ばれたことには驚いたが、それ以上にその先の客室を見て陽斗は固まってしまう。
客室は両側に高級なソファーを思わせる座席が数える程度しかない。ざっと見たところ10ほどの座席とどう見ても3人は座れるほどの大きなソファー。その対面には電気屋さんでしか見たことのないような大型のテレビが置いてある。
飛行機の中ではなく高級なホテルか映画のセットのような印象を受ける。
「どの席でもお好きにお座りください。飲み物をお持ち致しますが、何を飲まれますか?」
戸惑って歩を止めてしまった陽斗に女性のひとりが席に促しつつ聞いてくる。
「え、あ、あの、えっと、お、お茶を」
手前から二番目の座席にちょこんと両膝を揃えて座り、なんとかそう絞り出した陽斗。
何故か女性のうち2人がくるりと背を向けて俯いている。
(え? ぼ、僕、何か変なことしちゃった?)
不安になる陽斗だったが、実際には陽斗の仕草を見て萌え過ぎた彼女たちが堪えきれずに後ろを向いてプルプルしていただけである。
程なく彩音も客室に入ってきて、陽斗の前の座席を回転させ向かい合う形にする。
「ふふ、落ち着かないですか?」
「えっと、はい。飛行機の中ってこういう風になっているんですね」
「一般的な旅客機だともっと座席は狭く多くの乗客が乗りますよ。この飛行機は…」
「ご歓談の途中、失礼します」
彩音の言葉の途中で、入口側の通路から2人の男性がやってきて声を掛けてきた。
「ご搭乗ありがとうございます。本日この機体の機長を務めさせていただきます、大河内と申します」
「同じく副機長を務めます、河名と申します。本日はよろしくお願い致します」
スーツ姿に黒い帽子をかぶった穏やかそうな男性が陽斗に向かって深々と頭を下げる。
初めて飛行機に乗る陽斗にはパイロットが挨拶に来ることが普通なのかどうなのかは分からないが、彩音に対して頭を下げる様子がないのには少しの違和感を感じていた。
「準備が整いましたので間もなく離陸致します。何か気になることなどはございますか?」
大河内と名乗った機長が穏やかに微笑みながら問いかけるが、その内容に陽斗は驚く。
「え? あ、あの、他のお客さんは乗らないんですか?」
陽斗の質問に、大河内機長はチラリと彩音に視線を向ける。
「陽斗さん、この飛行機は陽斗さんのお祖父様のプライベートジェットなんです。ですから今日も陽斗さんが乗るためだけに来ていますので、他の方が乗ることはないんですよ」
「はい。2時間弱のフライトとなりますが、どうか寛いで空の旅をお楽しみください」
そう言ってパイロットの2人は戻っていってしまった。
「あの、お祖父さんって凄い人なんですか?」
プライベートジェット機を持つということがどのくらい凄いことなのかは想像もできないが、とにかくお金が掛かるだろうということくらいはわかる。
思い返してみれば、陽斗を捜すためだけに全国の小中高校の生徒全員を対象にDNA検査までしたのだ。その費用を祖父が負担したのだとしたらいったいどのくらいの金額になるのか気が遠くなるほどだ。
そのことに思い至っていっそう緊張感が増してしまった陽斗。
「そうですね。資産家であることは間違いありませんが、それよりも孫である陽斗さんに会えるのを楽しみにしているひとりの老人にすぎませんよ。ですから今はそのようなことを気にせずに、会ったらどんなことをしてもらうとか、クリスマスプレゼントに何が欲しいとかを考えていてください」
そんな言葉を聞きながらも未知の不安に襲われていた。
最初のコメントを投稿しよう!