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魔法少女お母さん
もう歳かしら。最近、三国はそう思うことが増えてきた。
短大を出て、二十二歳で夫と結婚。その二年後に産んだ息子も、今では地方で新米教師として働いている。夫は息子が小学生のときに事故で死んでしまったけれど、天国から息子の生活を見守っているはずだ。
スーパーを出て、今では一人暮らしとなってしまったアパートへと帰る途中、ふとショーウィンドウに移る自分の姿を見た。夏にピッタリな清楚のワンピースに、黒のロングヘア。「お若いですね!」とよく褒められるが、これでも随分とおばさんになってしまった。
「あの子も働き始めたし、もう転職しようかしら……」
アパートのポストには、カラフルな求人広告が入っている。この中から職を探すのも悪くないし、何なら自分で店を始めるのも手だ。
「お花屋さんを始めるのはどうかしら? それか、カフェなんかもいいわね!」
ガチャ、と扉を開けても、誰も「おかえり」の声を掛けてくれない。いつもは少し寂しくなるところだが、今日の三国は上機嫌で、そんな些細なことは全く気にならなかった。新しい職に胸を膨らませながら、部屋の隅に置かれた鎧の前を素通りした……。
「お母さんのバカ!!」
小学校から帰ってきた息子に、ある日突然こう言われたことがあった。六年生になって、少し小さくなったランドセルを背負ったまま、玄関で悔しそうな顔をしていた。
「お母さんが変な仕事してるから、友だちにバカにされた! お母さんなんて大キライだ!」
そのままリビングのソファに座って、ムスッとし始めた息子。三国は思わず胸が詰まって、何も言うことができなくなった。
「たっくん……。ごめんね……」
その日の夜は、始終ギクシャクとした雰囲気が流れていた。あのときほど、夫がいなくて心細いと思ったことはない。
息子に「変な仕事」と言われてから、ずっと転職しようと考えていたのだ。しかし、中々好機を掴めずにいて、今までズルズルと来てしまったのだ。
「もう、お金の心配をする必要もないし……」
独り言をつぶやきながら、三国は引き出しの中から書類を取った。明朝体のフォントで、「魔法少女契約」と書かれている。発行年は、なんと三十一年前だ。横に貼られている証明写真も、若々しくて可愛らしい。
「この年になって、『魔法少女』なんて馬鹿らしいわよね」
自嘲気味に吐き捨てると、今度は隅に転がった鎧に目を向けた。アニメの中にでも出てきそうな、重厚な銀の鎧。顔が隠れる甲冑までセットになっている。
昔こそ、フリフリのミニスカートを着ていたのだが、さすがに子持ちのおばさんにはきつい。その上、息子の一言にもグサッと来てしまったので、完全防備で身バレ防止の鎧スタイルになった。ここまで行くと、魔法少女の定義が揺らぎそうだが、「三国さんのためなら!」と協会が用意してくれた。
「大体、協会の引き留めが激しいのよね……」
突如日本中に現れたモンスター。それに対抗するために考案されたのが、この「魔法少女プロジェクト」だ。当時高校生だった三国は、「バイトにしては給料がいい」という安直な理由で、このプロジェクトに参加することになったのだった。
彼女の活躍は中々のもので、新人時代から協会のトップ魔法少女にまで登り詰めていた。その腕はおばさんになった今でも変わらず劣らずなので、協会側は何とか彼女を留めようと必死なのだ。
「給料がいいから、息子のためにって頑張ってきたけど……。最近とうとうギックリ腰になっちゃったし、いい加減引退の時期よね……」
その言葉とともに、イケイケの新人の顔を思い浮かべる。女子中学生に「何、こいつ」みたいな目で見られるのも、もう限界だった。
「よし、今がチャンスよ! 決断が揺るがない内に、協会に電話――」
――そのとき、スマホから着信音が流れてきた。画面を見ると、珍しいことに息子からだ。
「もしもし?」
爽やかな、低い声。夫に似ていて、落ち着くトーンだ。
「たっくん? 珍しいわね」
「いや、ちょっとね」
よいしょ、と腰を下ろしながら、スマホを肩に挟んだ。ガサゴソと書類を漁って、提出物を確認する。
「あ、そうだ。お母さんね、転職することにしたの」
「え? 転職?」
「そうそう。魔法少女は潮時かなって思って。たっくんだって、お母さんが魔法少女じゃ嫌でしょ? おばさんは引退しなくちゃね」
そう言い切ってスッキリした三国だったが、返ってきたのは意外な返事だった。
「そうか……。困ったな……」
「えっ? どうして?」
息子は少し恥ずかしそうな声で、こう答えた。
「実はさ、俺のクラスの子が、母さんに助けられたって言うんだよ。えーっと確か先週、山梨の遊園地がモンスターに襲われたとき……」
三国はすぐに思い出した。普段は東京で活動している彼女だが、急遽応援要請が出て、山梨まで駆けつけたのだ。そのときに助けた家族連れの中に、息子の生徒がいたらしい。
「あら、そうなの? すごい偶然ね」
「ああ。それでその子、母さんに憧れたみたいでさ。『これからも、がんばってね!』って言ってたぞ。『ずっと、応援してるから!』ってさ」
……頭の中に、キラキラと瞳を輝かせた少女の顔が思い浮かぶ。きっと彼女は、心の底から三国のことを応援してくれているのだ。
「……そんなこと言われちゃったら、引退できなくなっちゃうじゃない」
そう言いながら、儚げに微笑む彼女。書類を漁る手は、いつの間にか止まってしまっていた。
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