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「今回、女の役は少ないんだよ」
劇団のオフィスで、夏に行う公演の配役を知らされた。演出家の岡山さんはそれだけ言うと、再びスマホをいじりだした。もらった台本をめくると、出演者表のほとんど終わりのほうに私の名前があった。登場シーンもセリフも、ほんのわずかだ。
もうちょっとセリフもらえませんか。
きっと冗談にとられてしまうから、本音は言えない。岡山さんの中で、高杉茜という役者の居場所はこの辺りにしかないのだろうか。これも怖くて聞けないけれど。
その時、「おつかれさまです!」と軽快な声が響いた。「来たか、新人」と岡山さんが出迎える。
「あの子じゃない? 子役からやってるっていう」
隣の机からスタッフたちの噂話が聞こえてきた。
「ああ、テレビドラマにも出てたんだっけ」
「岡山さんが熱心に口説いて、やっとウチに来てくれることになったんだって」
遥子ちゃんと呼ばれたその子は、私よりも年下に見える。岡山さんが台本を渡しながら話しかけた。
「宝探しをする冒険家の話なんだけど、その相棒が遥子ちゃんです」
重要な役柄に彼女が配役されていることを初めて知った。順番待ちの列に横入りをされた気分だ。
「へぇ」と言いながら台本を開いた遥子ちゃんの目つきが変わった。「宝物を見つけられたら、結婚してあげてもいいわ。……こんな感じですか?」
そこだけ太字で強調しているかのような声。アゴを上げ、見下ろしながら言う所作もサマになっている。肘の関節のあたりに鳥肌が立つのを感じた。
「いいね。その気もないくせにワンチャン感じさせる、今みたいな悪女でいこう」
たった一行のセリフを、初見でもプランをもって臨める。「スイッチが入る」とはよく言ったもので、役者モードに切り替わった瞬間を見た気がした。
印象派の絵画を鑑賞したことがあるが、あの時と似た感覚にとらわれた。本物と自分の圧倒的な違いを見せつけられる絶望感。もう一生、埋められないのではないかとさえ思える距離感。これは敵わないな。私は遥子ちゃんのようにできない。
彼女は大学生か高校生だろうが、職業欄には「役者」と書いていいのだと思う。私がどうにかして手に入れたかったものを、彼女は既に持っている。羨ましかったが、私にはもう届かない。
だから私は、役者を辞めることに決めた。
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