母が恋に落ちたとき……

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「ありがとう。助かったよ。腹減っただろ? 食べて帰ろう」 社長がそう言うから、私たちは、施設内にあるイタリアンレストランへと入った。 食べながら、社長が尋ねる。 「平野さんのとこは、ご主人と仲いいの?」 なんて答えよう? 一瞬、迷う。 けれど、取り繕っても仕方ないので、ありのままに答える。 「悪くはないと思います。大きな喧嘩(けんか)もありませんし」 でも、良くもない。 家族としては円満だけど、男女としては終わってる。 けれど、それはあえて言わなかった。 「そっか。なら、いいな。うちは、もう終わってるからな」 社長がぼそっと呟く。 私はなんて答えていいか分からなくて、無言で食後のカプチーノを口に含む。 「俺、ずっと思ってたんだ。平野さんとは、お互い独身の時に会いたかったって」 それって…… 途端に胸が高鳴る。 蓋をしていたはずの思いがあふれそうになる。 ダメ。 私は、独身じゃない。 いろいろと多感な年頃の娘たちがいる。 私が返事をしないでいると、社長はふぅっと息を吐いた。 「それを飲んだら、帰ろう。送るよ」 それを聞いた瞬間に、胸が苦しくなる。 成就しかけた思いが、今、終わったんだ。 私が、無言で終わらせたんだ。 私は母親なんだから仕方ない、そう思ってたはずなのに、胸が苦しい。 コーヒーを飲み終えた私たちは、会計を済ませて駐車場へと向かう。 私は、社長の半歩後ろを歩いてついていく。 向かい合ってだと、恥ずかしくて見られなかった社長の後ろ姿を心ゆくまで眺める。 今日が最初で最後のデート。 ほんとはデートじゃないけど、今日1日くらい素敵な思い出にすり替えてもいいよね。
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