ふたりの愛悼歌

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ふたりの愛悼歌

 多分僕は、生まれついて運が悪かった。ただそれだけのことだったのだと思う。  大量生産品の、白い猫のぬいぐるみ。それが僕だった。タオルようにふかふかの記事、子供達の最高の友達――そういう名目で売り出された僕は、他のそっくりな兄弟たちと一緒におもちゃ売り場に並んだのである。そう、そこまでは何も変わらなかった。僕もいつか、僕のことを誰より愛してくれる“お友達”のところに行けるはずと、そう信じて疑わなかったのだから。  ところが、ある時売り場を走り回っていた子供の一人が、僕をうっかり棚から落としてしまったのである。その勢いがなかなか凄くて、他の硬い棚に思いきり目をぶつける羽目になった僕は――ぱきん!という硬い音と共に、目玉として縫いつけられていた青いボタンのうち、片方が欠けてしまったことに気づかされたのだった。 「あっ……!」  その子は、僕を落としてしまったことに気づいた。そして僕の眼が欠けてしまったことに気づくとさっと青ざめて――そのまま慌てて僕を棚の上に戻し、逃げ去ってしまったのである。  不幸な事故だった。あの子を責めたいとは思わない。子供が元気に駆け回り、様々なことの興味を持つのはいいことだし、その子は決して悪人などではなかったのだから。もしそうならば、落ちてしまった僕を棚に戻すことさえせず、見て見ぬ振りをしたに違いない。僕を壊そうとして壊したわけでもない。だから僕は、あの子を恨んではいけないのだと知っている。  そう、運がなかっただけ。  僕の目玉が欠けてしまったことで、他の兄弟たちが売れていく中僕一人取り残される結果になったのも。やがて店員さんが、ため息をつきながら僕に値下げの札をつけ、“廃棄するべきかどうか”を他の店員さんと話している声を聴いたとしても。 ――僕、お友達のところに行けないのかな。  ぬいぐるみは動けない、喋れない、涙を流せない。  でも人間達は知らないだろう。子供達の友達になるために、人間の役に立つために生まれた道具。特に僕達のような“人形”や“ぬいぐるみ”という存在は、生まれついて意思を持っていることも少なくないということを。僕は動けなくても喋れなくても、ずっと新しいおうちに行くその日を待ち望んでいた。いつか誰かに愛されて、僕も精一杯その新しいお友達を愛して一緒に遊ぶ日を夢見ていたというのに。僕は目玉が事故で欠けてしまった、それだけでそんなささやかな望みさえ絶たれてしまうというのだろうか。  僕は棚の上からお店の中を、ショッピングモールを行きかう人々をずっと見ていた。ベンチの近くにあるゴミ箱投げ込まれる紙ごみや空き缶を見るたび、僕もいずれああやってぽいっと捨てられてしまうのかと恐怖したのである。空き缶は、中身のジュースを美味しく飲んで貰えて捨てられるのだからいい。でも僕は、誰にも愛されることなく、抱きしめられることもなくゴミにまみれて捨てられ、やがて熱い熱い炎の中で誰にも知られることなく消えていくのかもしれないのだ。何でこんなことになってしまったのだろう。僕は涙もなく、ずっと一人ぼっちで泣いていた。そう。 「お母さん」  君が、目の前に現れるまでは。 「わたし、この子が欲しい」  その女の子は棚の上にぽつりと取り残されていた僕を取り上げ、そっと抱きしめてくれたのである。  真っ暗に沈むばかりだった僕の世界に、光が射した瞬間だった。  僕は心の中から感謝したのだ。  ああ、神様はいたのだ。僕を見捨てなかった。君と出逢わせてくれてありがとう、と。
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