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わたしは布団の中で夏みかんを受け取る
母はわたしの決めた進路についてなにも口を出さなかったが、むかしから大事な行事の日は雪が降りやすいような気がすると言った。
「わたしの大学受験の日は、雪だったから」
そうは言っても天気予報は向こう1週間冬晴れで、関東地方はしばらく高気圧に覆われるようだった。
「成人式も雪だったし、おばさんの告別式も雪だった」
母の経験則がまかり通らないことを願ったが、晴れの予報が曇りになり、雪マークがついたのが試験の3日前だった。
こういう大人数のイベントには晴れ男も晴れ女もいるはずなのだが、今年は雪側の人間に偏りがあったようだ。
「オンラインの申し込みもしておきなさいよ」
「平気だよ」
「当日行けなかったら、後悔するでしょ」
「がんばるから」
「そうじゃなくて、雪だったときのことも考えておくの」
去年の母の忠告がありがたく感じられた。
前日の夕方から関東全域に雪が降り始めた上に、深夜の追い込みに熱を上げすぎたせいで体調も悪くなり、試験当日の朝は頭が重く、布団の外に出たくなくなってしまった。
脳内疑似端末のニューロ・デバイスを使ってニュースサイトにアクセスした情報によると、都心でも5センチの積雪があり、わたしの地元はマイナス7度まで気温が下がっているのだという。
電車の運行状況を見ると、すでに運行中止を決めている路線が多かった。
脳内に電脳空間を立ち上げ、自分の受験場所を会場からオンラインに変更する。
オンライン試験に切り替えた旨のメッセージを仕事に出かけた母宛てに送り、9時半の試験スタートに向けて、頭の中のキーボードの感度を確認した。
「布団受験準備中」
「部屋に暖房なくて震えるしかない」
「倒木×4、車両故障×2、停電×1、架線トラブル×2。みんな駅行くなよ」
「電車止まったからこたつ受験にする」
タイムラインのつぶやきが、そろそろオフラインの受験を不適応者に限ったほうが良いのではないかと言っていた。
いまでも携帯端末を手放さないわたしの母は、生まれながらのニューロ・デバイス不適応者だ。
身内に不適応者がいるからこそ、わたしは人よりも、デバイスの便利さと不便さを知っている。
母は25年前、雪の中を歩いて試験会場に行かねばならなかった。
デバイスはすでに普及し始めていたが、不適応のために彼女にはそれしか選択肢がなかったのだ。
いつからか、わたしは母のようになりたいと思うようになった。
不適応者からしてみれば失礼千万だが、わたしは逃げ道がないことに憧れている。
何をするにも玄関から出なければいけないことに、羨望を感じている。
わたしは2年間、玄関から出ていない。
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