わたしは布団の中で夏みかんを受け取る

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「あまんきみこの『白いぼうし』について、ぼうしの持ち主の立場から続きの物語を書きなさい」というのが、総合科目の記述問題だった。  頭の中に現れた夏みかんを両手で受け取る。  少しだけ青みのある黄色のような、すっぱいにおい。  もんしろちょうを失った代わりに夏みかんをもらった子どもは、果たして怒っただろうか。  悲しかっただろうか。  からかわれたと思っただろうか。  どれもちがう気がした。  外は雪で、オンラインにだけ蝶がいて、わたしはその蝶を取り逃がして夏みかんのかおりをかいでいる。  夏みかんはいつまでも夏みかんのままで、なかなかその行間を語ってくれなかった。  布団から出られたら、自分の手でシャープペンシルを動かせたのにと思った。  オフラインの試験会場にたどり着けていたら、物語を書いては消して、消しては書いての繰り返しを、顔の見えない採点者に見てもらうことができたはずだ。  タイプされた文字の下に、消しゴムの跡は残らない。  蝶を失った子どもは、夏みかんを忍ばせた松井さんの物語を知らないから、受け取った夏みかんの行間を考えることしかできない。  想像するしかない側に立って、わたしは書かなければいけない。  わたしと母の関係にも通じる。  母のできないことを、わたしはそのまま理解することができない。  わたしのできないことを、母もまた、その通りに知ることができない。  そのままで生きながら、書いて喋って、歩いていかなければいけない。  試験終了5分前のポップアップがスクリーンに映った。  回答:夏みかんの意味をずっと考えていた子どもが、おとなになってから、『白いぼうし』という物語を書いたのでした。  そういう人と会うためだったら外を歩けるだろうか思い、わたしは上書き保存のボタンを押した。  試験用のサーバーから落ちて、自分の部屋に戻る。  窓の外は大粒の雪だった。  雪が降らなくても、わたしは布団受験を選んだかもしれない。  電車の運行状況を知ったとき、内心ほっとしていたことがそれを物語っていた。  デバイスに適応してさえいれば、布団から出なくても大学に通える時代だ。  入学式も卒業式もオンラインで参加し、一度も大学の敷地内に入らないまま社会人になる人もいる。  布団受験、布団入学式、布団デート、布団交際、布団成人式、布団就活、布団卒業式、布団入社式、布団辞職、布団結婚、布団離婚。  布団が自宅に変わったり、こたつになったりしながら、毎年おびただしい新語がつくられている。 「最近は外が静かだから、鳥の声がよく聞こえるの」  わたしが大学受験をしたいと申し出たとき、母はわたしにそう言った。  口でしゃべる人が少なくなって静かになったことに気づいているのは、母のような人間ばかりだ。  その心地よさも、不便さも母は知っている。  わたしはしばらく、その場所に立っていない。  わたしは大学をきっかけにその場所に立てるだろうか。  夏みかんに出会えるのだろうか。  今はまだ分からないが、行間にただようわたしの香りに気づいてくれる人がいないこともないだろうと考えながら、デバイスを切って雪の日の静けさを聞いた。
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