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 ミサトが告白してきたのは、半年ほど前のことだった。その少し前まで付き合っていた彼女に振られ、久しぶりにひとりの帰路。駅のホームで電車を待っていると、ミサトの方から声を掛けてきたのだ。 「瀬野君、ひとり?」  軽く頷く。話したことはある女子、程度の認識だった。クラスも違うし、よくは知らない。何も言うことがなくて、茶色がかった髪を黙って見下ろしていた。触り心地の良さそうな、光沢のある髪だった。  ホームを見まわして、見知った顔がいないことを確認すると、少し背伸びをして顔を寄せてきた。 「ねえ、瀬野君のことが好きです。あたしと付き合ってもらえませんか」  踵を下ろし、半歩下がる。俺は、足元とは裏腹に一歩も引く様子のない眼差しと向き合った。おとなしい女子、という印象だったが、改める必要がありそうだった。 「いいよ」  承諾したのは特に断る理由もなかったからだ。でも強いて理由をあげるならば、その眼差しが印象的だったからだろう。  俺の返事を聞いて、ミサトは大げさに飛び上がって驚いた。文字通り、飛び上がった。オーバーリアクションな子だな、とは思ったが、こんなに喜ばれて正直悪い気はしなかった。 「ねえ、瀬野君の下の名前ってスバルだよね? スバル君って呼んでいい?」  せき込んでミサトが言う。散々呼ばれてきたはずなのに、なんだかむずがゆかった。 「あたしのことはミサトって呼んで欲しいな」  この時はまだ、ミサトのことを「少し変な子かもしれない」程度にしか思っていなかった。  半年、というのは俺にしては長い方だ。大体二ヵ月くらいでいつも別れてしまう。彼女の制服が衣替えするのを見ることすら新鮮だった。  ミサトに聞いてみたことがある。半袖のブラウスから伸びる白い腕を眩しく思えてきた頃のことだ。ミサトは、夏服の時もリボンを付けるような女子ではなかった。第二ボタンまで外された胸元が無防備だった。 「俺のどこが良かったの?」  ミサトは照れるでもなく、顎に手を添えて真剣に悩み始めた。少し傷ついた。すぐには思いつかないのか。  購買で買ったアイスを食べ終えた頃、ミサトは顔を上げた。 「全体的に、かな」 「全体的に」 「特に顔」 「顔」  少し笑ってしまった。そんなことを言われたのは初めてだ。嬉しくないはずがないが、「本当に?」と尋ねる前に質問を返された。 「そう言うスバル君は、どうしてオッケーしてくれたの?」  断る理由もなかったからだが、そのまま言うわけにもいかない。ミサトの眼差しが印象的だったから、と言うとなんだか冗談みたいだ。うまい表現を探し当てる前に、口からは「なんとなく」という言葉がこぼれ落ちていた。  それを聞いて怒るでもなく、ショックを受けるでもなく、ミサトは笑っていた。 「そういうところだよ。顔と、特にそういうところ」  どういうところだよ、と聞く前にミサトが滔々と語り始める。 「付き合いたての頃だったら、スバル君は『なんとなく』なんて言わなかったよ。それっぽい理由をいくつか言ってたと思う。でも今は、思ったままを言ってくれて嬉しい。いつも誰にでも紳士だけど、そっちが本当なんでしょ」  どうして嬉しそうなのかわからない。変な子だ。この時初めて、ミサトのことを不快に感じた。ミサトの掌の上にいるような感覚だったのだと思う。
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