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しかしながら、目に入るのは、根本から折れた傘や、片目が取れた動物のキーホルダー・・・いずれも『感情』に近い品物ではなさそうだ。
「どうですか?」
男が数メートル先の女に声をかけると、女はさっきよりも焦った様子で答えた。
「この段にはありません・・・・でも、早くさがさないと・・・」
「・・・非常に 大切なものなのですね。」
「えぇ・・・それに・・・なんだか怖いことが起きそうで・・・脚立をお借りしても宜しいですか?」
「え?あ・・・えぇ・・・どうぞ。」
備え付けの脚立を設置すると、女はせわしなく上がり、最上階の段を捜し始めた。
「作家なんです。」
「・・・え?」
「私の仕事」
「あ・・・作家さんでいらっしゃるんですね・・・。」
唐突に話しかけられ、男は愛想笑いで返すのが精一杯だった。
「・・・感情は・・・時に一人歩きをするんです。職業病みたいなものなんですけど、今日も電車に乗りながら人間観察をしていたら、うっかり見失ってしまって・・・」
女は、さも常識的理論を話すように口早に明かしながら、棚の奥へ顔をつっこむ。男もまた、この非日常的な会話に多大なる違和感を感じつつ、その違和感を悟られぬよう演技を続けた。
「あれ以上 変な形になっていなければいいんですが・・・」
「・・・あれ以上・・・・?」
「・・・あぁ すみません。私事です。忘れてください。」
女は、自分がさっきやったようにぎこちない微笑みを向けた。しかし、それはどう考えても「忘れてください」という顔ではないことぐらい、男にも読み取れた。
「・・・感情って 移ろいやすいって言うじゃないですか。今日の私の感情は、少なからず良いものでは無かった気がするんですよ。なんか・・・最近上手くいかなくて・・・」
「そうだったんですね。」
「・・・ごめんなさい。こんなこと話してしまって・・・」
女は、男と目を合わせない。だけど、目尻に涙がうっすら浮かんでいるのを見た瞬間、男は女を放っておくことができなくなった。
「いいんですよ。・・・そういう時ってありますよね。」
男は、自分からこういったことに首を入れる人間ではない。ただ、感情の話になってから、女への疎ましさが憐れみに変わっていく気がした。
「この仕事で食べていくって決めてから、覚悟は決めていたんです。たくさん大変なことはあるって。でも、漠然とした予想と実際に直面したのとでは、やっぱり違くて・・・前みたいにアイデアが浮かばないし、応募しても賞どころか噛み跡1つも残せない・・・周りはどんどん成功しているのに・・・だとしたら、そのなんとも言えない感情を小説で昇華させようって思ったんですけど、その感情さえも無くしてしまうなんて・・・」
女は、ため息をついて脚立から降りてきた。
「こっちにはなさそうなので、そちらの棚も捜して良いですか?」
女は指で目尻を押し、涙を隠したように見えた。
「えぇ どうぞ。」
改めて同じ土台に立った時、男は女がとても小さく見えた。
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