私の死体を運ぶ私

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 警察署はいつだって緊張感に包まれたものであるが…今日はその中でも一際重苦しい足音がその廊下に響いていた。  殺人があったのだ。通報者は現場となった家の隣人。警察が到着するころには家主の帰宅もあって人間関係は比較的すぐに判明した。あとは犯人が逃走に使ったと思われる自家用車のETCを追跡し、家主からの情報もあって犯人逮捕もあっさりとしたものだったが…。  問題はその犯人が捕まってからである。  「まいりましたよ。あの婆さんの話、てんで要領を得ない」  「婆さん言ってやるな、まだ五十前半だそうだぞ。昨今では若いほうだ」  「えぇ⁉ 俺てっきり七十手前かと…」  会話しているのは若手警部とベテラン刑事の二人組だった。若手の方が天埜悠馬(てんやゆうま)、ベテランの方が斎義人(いつきよしと)。二人揃って本庁が頭を抱えるデコボココンビだが、まあ、その辺の逸話は脇に置き…その二人が珍しく難しい顔で頭を抱える羽目になったのは、とうの殺人犯を見つけた瞬間から始まっていた。  「西城美月(さいじょうみつき)、五十三歳。夫の秀樹(ひでき)と娘の美樹(みき)の三人家族。今回見つかった仏は娘の美樹で間違いなさそうだ。秀樹がさっき仏の顔を見て確認した」  「いや、仏さんの顔、だいぶ潰れていたじゃないですか」  「わかるんだと」  「まあ、実の娘さんですからねぇ」  「恋人だからわかるんだと」  ぶぼぉっと、悠馬が派手に唾を吹き出す。「こ、こ、こ」と続く言葉も意味を成していない。いつもなら注意するところなのだが、今回ばかりは義人も物調面を崩せない。その顔のまま、「そっちはどうだった?」と犯人の取り調べを担当していた相棒を促せば、こちらも即座に物調面。  「『私が殺したのは私です』、『私は私を殺しただけなのに、なぜ罪に問われるのですか?』。その一点張りです。  育ちの良さそうな上品面で、目なんかキラッキラに輝かせて言うんですよ。  もう、薄ら寒くて薄ら寒くて…」  「取り調べはセーラー服のままか?」  「セーラー服のままですよっ!」  義人と悠馬は足を止めると、顔を見合わせて深く重い溜息を吐いた。  警察が西城家の自家用車を見つけた時、美月は別荘の中にいた。娘の部屋で、娘の学校の制服に身を包み、きょとりとした顔で踏み込んだ警察官たちを出迎えたのである。初老の女性がセーラー服に身を包んでいたのだから、流石の義人たちも驚いた。  この別荘は年に一度西城家で使用しているらしく、美樹は一着だけ学校の制服を別荘の箪笥にしまっていたらしい。なんでも学校と関係ない場所であえて制服の写真を撮るのが『エモい』のだとか――若い子の考えることはわからない。  ただ、美月の着ていた制服について夫の秀樹に問うたところ、若い娘の制服姿について熱く語ってくれたから、実際はこの男の嗜好の方に理由は寄っているのかもしれない。  美樹の遺体は山林の中であっさり見つかった。土の中から顔が露出していたのである。とはいえ、惨たらしく潰され砕かれた顔面を直視した悠馬はその場で吐いた。  顔を潰すのに使ったのだろうシャベルは、遺体のすぐ脇で先端部分を完全に土の中に埋没させ、柄から先が地面からまるで墓標のように突き立っていた。  事件そのものは、表向き酷く簡単で短絡的なものだ。ややこしいのはそこに関わっている人間たちの内情だ。  「今すぐあのクソババアを殺せっ! 死刑にしろっ!! いっそ俺が殺してやる‼」  その人間たちの一人である男の声が、すぐ目の前の扉から聞こえてくる。悠馬が指さし、義人が頷いた。あの扉の向こうにある部屋には、西城秀樹がいるのである。  加害者ではない彼は参考人程度の扱いだが…それにしたって娘が死んだと知ってから、そしてその遺体を見てからの秀樹の荒れようは激しい。  「よくもっ、よくも美樹を! 俺の美樹をっ‼  なあ、警部さん。俺は美樹を愛していたんです。美樹だって俺も愛してくれた。  家族? 父娘?? それがどうしたっていうんですか! 私たちは心から愛し合っていた。世間が押し付ける隔たりなど乗り越えてしまえるほど…こんなにも…こんなにも…。  なのに、なのにアイツが…。美月が、あの女がっ!」  扉の向こうから聞こえてくる怒声は次第に嗚咽に変わっていく。その泣き声があまりに切実過ぎて、悠馬の顔から表情が抜け落ちた。その背を義人が撫でて宥めてやる。  部屋の中で秀樹の対応をしているであろう警察官も、悠馬と同じような顔をしているのだろうか。  悠馬がもそもそと口を開く。  「義人さん、西城美月が着ているのは娘のセーラー服ですよね?」  「そうだな」  「娘の美樹の年齢は…あ、いや、聞きたくないです」  「んなもん、いくら耳塞いでもその内聞こえてくるだろうが。十七歳だよ、高校二年生」  ひぎぃっと、ついぞ聞いたことも無い奇声を上げて悠馬はのけぞった。なかなか良い反応である。義人も一連の情報を聞いて似たような反応をした。自分たちはバディを組んでいるのだから、どこまでも一蓮托生であるべきなのだ――うむ、あとで吸う煙草は美味そうである。  「『私が殺したのは私です』か」  「義人さん?」  「いや、なんで美月は娘の服を着て、そんなことを言うのかと思ってな…。以前、妻に詰られた言葉を思い出した」  「ああ、離婚した奥さん」  拳一発、殴るふりだけだ。昨今はその辺煩い。悠馬も付き合いよく頭を抱えるフリ。  「女は、腹を痛めて自分の中から子供を産むから、子供を自分の分身みたいに思う。  男は、気が付いたら子供が目の前に産まれてるようなもんだから、子供を他人のように思う。  他人ってのは言い過ぎだろうが、男は女ほど子に対して我が身じゃねえって話だろうな」  「はあ…」  「まあ、こいつはどこぞの家庭を顧みず育児には煩く口出しする、古臭い男を詰る言葉だったんだが…。  西城家にあてはめると、なんとなくわからねえか?」  「えぇ~」  悠馬が天井を仰いだ。両手を自分の耳に添えながら、塞ぐのはなんとか自制している。根は真面目な男なのだ。  「母親の美月から見れば、美樹を自分の腹から産み落とした自分の分身だ。それが遂には娘を自分自身と完全に混合してしまった。実際、近隣から聞いた話だと、美樹は若い頃の美月と顔がそっくりなんだそうだ。  父親の秀樹から見れば、美樹は他人だ。だからただの娘から逸脱した見方をするようになった。ちなみに秀樹は、歳を重ねてからの美月を揶揄する発言を隠さなかったというぞ。これも近隣情報だが」  「それにしたって、実の娘に手をかけますか? 手をだしますか?」  どっちも信じられねぇ…、と悠馬は唇を尖らせた。こういうところに、義人は悠馬との経験の差を感じる。いい意味での『差』だ。義人にとって擦り切れてしまったものを、悠馬はちゃんと持っている。  世の中には、常識ではとんと及ばない考えや感情を抱え込んでいる者が存在する。そういった者たちだって、普段はちゃんと社会に溶け込んで生きているのだ。西城家も最初から歪だったわけではないだろう。ただ、ふとした拍子にそれが表面化した。表面化したところにさらに罅が入って、ついには事件となった。そんなものは、この仕事に関わっていれば山と目にすることになる。  気になるのは殺されてしまった美樹の内情だが、ここら辺は余計だろう。死んでしまった者はどうやっても自分の弁護などできないのだから。  そういう意味では、とことん後味の悪い事件である。  「悠馬、お前は俺とバディ組んでいる間だけでも経験不足のままでいてくれよ?」  「いや、なにがどうなってそんなこと言われにゃならんのですかっ!」    義人は悠馬の頭をぽんぽんと叩いた。悠馬は歯ぎしりしている。例えば義人がこの悠馬に実の息子を重ねているなどと、親権を取って別れた妻が知ったら…まさに彼女にとっては信じ難い、常識の外側ではなかろうか。  目の前の扉から、秀樹の一際激しい慟哭が聞こえてきた。  今頃美月の方も要領の得ないことを言い続けているのだろう。  あるいは真の意味で常識なんてものは存在しないのかもしれない。皆、常識という名の殻を被って隠しているだけ…。  義人は首を振った。だとしても、それは自分たちが肯定するところではない。  改めて義人は悠馬を促すと、秀樹の相手をしているだろう同僚の助力をするため、部屋の中へと踏み入った。
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